9月23日(木・祝)公開『MINAMATAーミナマター』30秒予告編
ジョニー・デップ製作/主演最新作『MINAMATA―ミナマター』が9月23日(木・祝)にTOHOシネマズ 日比谷他にて全国公開いたします!
熊本県水俣市のチッソ工場の廃水を原因とし、現在まで補償や救済をめぐる問題が続く日本における“四大公害病”のひとつ水俣病。その存在を世界に知らしめたのが、写真家ユージン・スミス氏とアイリーン・美緒子・スミス氏が1975年に発表した写真集「MINAMATA」だ。ジョニー・デップ自身が長年の憧れだったと語るユージン氏。彼の遺作ともなったこの写真集を基に、ジョニー自身の製作/主演で待望の映画化が実現した。共演はビル・ナイ、日本から真田広之、國村隼、美波、加瀬亮、浅野忠信、岩瀬晶子など実力派キャストが集結。坂本龍一が音楽を手掛けた。
製作:ジョニー・デップ
監督:アンドリュー・レヴィタス 脚本:デヴィッド・ケスラー
出演:ジョニー・デップ、真田広之、國村隼、美波、加瀬亮、浅野忠信、岩瀬晶子 and ビル・ナイ
音楽:坂本龍一
© 2020 MINAMATA FILM, LLC
公式サイト:longride.jp/minamata/
提供:ニューセレクト株式会社、カルチュア・パブリッシャーズ、ロングライド
配給:ロングライド、アルバトロス・フィルム
絶賛公開中『MINAMATAーミナマター』本編映像/ヤマザキ(真田広之)が命がけで水俣病を訴える
ジョニー・デップ製作/主演最新作『MINAMATA―ミナマター』が9月23日(木・祝)よりTOHOシネマズ 日比谷他にて全国公開中です!
熊本県水俣市のチッソ工場の廃水を原因とし、現在まで補償や救済をめぐる問題が続く日本における“四大公害病”のひとつ水俣病。その存在を世界に知らしめたのが、写真家ユージン・スミス氏とアイリーン・美緒子・スミス氏が1975年に発表した写真集「MINAMATA」だ。ジョニー・デップ自身が長年の憧れだったと語るユージン氏。彼の遺作ともなったこの写真集を基に、ジョニー自身の製作/主演で待望の映画化が実現した。共演はビル・ナイ、日本から真田広之、國村隼、美波、加瀬亮、浅野忠信、岩瀬晶子など実力派キャストが集結。坂本龍一が音楽を手掛けた。
製作:ジョニー・デップ
監督:アンドリュー・レヴィタス 脚本:デヴィッド・ケスラー
出演:ジョニー・デップ、真田広之、國村隼、美波、加瀬亮、浅野忠信、岩瀬晶子 and ビル・ナイ
音楽:坂本龍一
© 2020 MINAMATA FILM, LLC
公式サイト:longride.jp/minamata/
提供:ニューセレクト株式会社、カルチュア・パブリッシャーズ、ロングライド
配給:ロングライド、アルバトロス・フィルム
https://eiga.com/movie/94900/
ジョニー・デップが製作・主演を務め、水俣病の存在を世界に知らしめた写真家ユージン・スミスとアイリーン・美緒子・スミスの写真集「MINAMATA」を題材に描いた伝記ドラマ。1971年、ニューヨーク。かつてアメリカを代表する写真家と称えられたユージン・スミスは、現在は酒に溺れる日々を送っていた。そんなある日、アイリーンと名乗る女性から、熊本県水俣市のチッソ工場が海に流す有害物質によって苦しんでいる人々を撮影してほしいと頼まれる。そこで彼が見たのは、水銀に冒され歩くことも話すこともできない子どもたちの姿や、激化する抗議運動、そしてそれを力で押さえ込もうとする工場側という信じられない光景だった。衝撃を受けながらも冷静にカメラを向け続けるユージンだったが、やがて自らも危険にさらされてしまう。追い詰められた彼は水俣病と共に生きる人々に、あることを提案。ユージンが撮影した写真は、彼自身の人生と世界を変えることになる。「ラブ・アクチュアリー」のビル・ナイが共演し、日本からは真田広之、國村隼、美波らが参加。坂本龍一が音楽を手がけた。
2020年製作/115分/G/アメリカ
原題:Minamata
配給:ロングライド、アルバトロス・フィルム
https://ja.wikipedia.org/wiki/MINAMATA-ミナマタ-
公式サイト:
INTRODUCTIONイントロダクション
ジョニー・デップがキャリアの全てをかけて伝える
世界への警告と希望の光
伝説の写真家ユージン・スミスと水俣の
実話から生まれた衝撃の感動作
ジョニー・デップが、全世界に関わるある重大なメッセージをハリウッドから発信する。伝説の写真家ユージン・スミスと当時の妻が、1975年に発表した写真集「MINAMATA」の映画化だ。ユージン・スミスは、今尚注目される史上最も偉大なフォトジャーナリストの一人、そんな彼が日本の公害病“水俣病”を取材した写真集である。ジョニーは今もまだ続く水俣の危機に当てたスポットライトで、各国で同じ環境被害に苦しむ多くの人々をも照らし出そうと、主演し自らプロデューサーにも名乗り出た。共演は英国の名優ビル・ナイに、日本からは真田広之、國村隼、美波、加瀬亮、浅野忠信、岩瀬晶子と、国際的に高い評価を受ける実力派が集まった。また、音楽は産業公害に強い関心を持つ坂本龍一が同じ志を持つ者として引き受けた。
人々の暮らしに寄り添ったユージンの瞳とカメラを通して私たちが見るのは、闇に包まれた苦難の瞬間にも、光として浮かび上がる人間の命の輝きと美しい絆。警告と希望を焼き付けた、今こそ体験するべき一本が誕生した。
STORYストーリー
1971年、ニューヨーク。アメリカを代表する写真家の一人と称えられたユージン・スミスは、今では酒に溺れ荒んだ生活を送っていた。そんな時、アイリーンと名乗る女性から、熊本県水俣市にあるチッソ工場が海に流す有害物質によって苦しむ人々を撮影してほしいと頼まれる。水銀に冒され歩くことも話すことも出来ない子供たち、激化する抗議運動、それを力で押さえつける工場側。そんな光景に驚きながらも冷静にシャッターを切り続けるユージンだったが、ある事がきっかけで自身も危険な反撃にあう。追い詰められたユージンは、水俣病と共に生きる人々にある提案をし、彼自身の人生と世界を変える写真を撮る──。
CASTキャスト
JOHNNY DEPP
W・ユージン・スミス役W.EUGENE SMITH
ジョニー・デップ
1963年6月9日、アメリカ・ケンタッキー州オーエンズボロ生まれ。6歳の時にフロリダに移り住み、高校卒業と同時にロック・スターを目指しロサンゼルスへ渡る。そこで知り合ったニコラス・ケイジの勧めにより俳優を目指し『エルム街の悪夢』(84/ウェス・クレイヴン監督)でスクリーンデビュー。その後TVシリーズ「21ジャンプ・ストリート」で注目を集め、『クライ・ベイビー』(90/ジョン・ウォーターズ監督)で映画初主演。同年、長年の名コンビとなるティム・バートン監督のファンタジー『シザーハンズ』に主演し人気を確立した。以後、『ギルバート・グレイプ』(93/ラッセ・ハルストレム監督)、『エド・ウッド』(94/ティム・バートン監督)、『デッドマン』(95/ジム・ジャームッシュ監督)、『ラスベガスをやっつけろ』(98/テリー・ギリアム監督)など作家性の強い作品に好んで出演し、ハリウッドきっての実力派俳優として活躍。『ブレイブ』(97/ジョニー・デップ監督)では監督、脚本、主演を手がける。デップの名を一躍世界中に広めた大ヒットシリーズの第1作『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』(03/ゴア・ヴァービンスキー監督)では、映画俳優組合(SAG)賞とエンパイア賞を受賞、アカデミー賞®主演男優賞に初めてノミネートを果たす。彼が演じた海賊ジャック・スパロウは瞬く間にスクリーンの人気者となる。2004年にはGKフィルムズと製作契約を結び、姉クリスティ・デムブロウスキーと共に製作会社インフィニタム・ニヒルを設立し、自身が主演の『ラム・ダイアリー』(11/ブルース・ロビンソン監督)や、マーティン・スコセッシ監督作『ヒューゴの不思議な発明』(11)などプロデュース業も精力的に行う。その後も『チャーリーとチョコレート工場』(05/ティム・バートン監督)、『アリス・イン・ワンダーランド』(10/ティム・バートン監督)、『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』(18/デヴィッド・イェーツ監督)などで様々なキャラクターを自在に演じ分け、大ヒットに導く。人気実力ともにトップの映画スターとして君臨する。本作では、プロデューサーと主演を務めた。
STAFFスタッフ
ANDREW LEVITAS
監督/脚本/プロデューサー
アンドリュー・レヴィタス
1977年、アメリカ・ニューヨーク州生まれ。ニューヨーク大学卒業後、画家・彫刻家として活躍し、2008年には、権威ある国民美術協会の展覧会に受け入れられた数少ないアメリカ人アーティストの一人となる栄誉を受けた。近年の展覧会としては、バークレー・スクエア(ロンドン)のPHILLIPSで開催された単独アーティストによる初の個展「Metalwork Photography®︎: A Survey / Works by Andrew Levitas」、マンハッタンのPhillips de Pury & Co.で開催された「Metalwork Photography®︎: Sculptures」などがある。近年、ウェールズ国立博物館や英国首相官邸などに作品が収蔵され、話題を呼んだ。映画のキャリアとしては、映画制作会社メタルワーク・ピクチャーズを立ち上げ、『Lullaby』(14・原題)で長編監督デビューを果たし、『ホワイト・クロウ 伝説のダンサー』(18)、『Georgetown』(19・原題)のプロデューサーを務めた。その他の活動として、アフリカ全土で野生生物の保護を推進するために設立された非営利団体Tusk Trustの大使を務め、現在ではニューヨーク大学で教鞭を執るなど、幅広く活躍している。
W. EUGENE SMITH ウィリアム・ユージン・スミス(1918-1978)
1918年12月30日、アメリカ・カンザス州ウィチタ生まれ。高校在学中から地元の新聞に写真を発表し、1936年ノートルダム大学に入学するも半年で中退し、翌年にニューヨーク・インスティチュート・オブ・フォトグラファーに編入。同年「ニューズウィーク」誌のカメラマンとなり、続いて「LIFE」誌のカメラマンとなる。1941年、太平洋戦争が勃発し、「フライング」の特派員として戦地に向かう。サイパン、沖縄、硫黄島などの戦地で取材を重ねる。1945年、沖縄戦で砲弾の爆風を受け重傷を負い、2年間カメラマンとしての仕事を休業する。その後、復帰したスミスは「楽園へのあゆみ」、「カントリー・ドクター」、「スペインの村」、「助産師モード」など数多くの優れたフォト・エッセイを「LIFE」誌に発表。1954年、「LIFE」を辞め、翌年に世界的写真家集団「マグナム・フォト」に加わる。1959年、「ポピュラー・フォトグラフィー」誌より世界の十大写真家の一人に選出。1961年9月日立製作所のPR撮影のため来日し、1年間日立市に滞在する。1971年8月、写真展 「真実こそわが友」を新宿・小田急百貨店で開催するため再び来日。同年アイリーンと結婚し、水俣市に移住。3年間水俣市に暮らしながら水俣病の問題を取材。1972年には五井事件に巻き込まれ重傷を追った。1975年、アイリーンとの連名による写真集「MINAMATA」がアメリカで出版され、世界中で大反響を呼んだ。翌年、スミスはロバート・キャパ賞を受賞。アイリーンと離婚し11月、アリゾナ大学の写真教授になるため、アリゾナ州ツーソンに移る。1977年末、脳溢血の発作で倒れ、1978年10月15日、二度目の脳溢血の発作により死去。享年59歳。写真集「MINAMATA」がスミスの遺作となった。
AILEEN MIOKO SMITH アイリーン・美緒子・スミス
1950年、東京生まれ。アメリカ人の父親と日本人の母親をもつ。1968年、スタンフォード大学入学。1970年に、語学力を生かして通訳者として富士フイルムのコマーシャル制作の仕事に携わりユージン・スミスと出会い、結婚後すぐに水俣に移住。1983年コロンビア大学にて環境科学の修士号取得。1991年、環境市民団体グリーン・アクション設立。
横浜ブルク13: 10:55-13:00 (115分)
https://ja.wikipedia.org/wiki/水俣病