【予告編】史上最も危険な映画『DAU. ナターシャ』2月27日(土)公開
第70回ベルリン映画祭 銀熊賞(芸術貢献賞)受賞!
オーディション人数約40万人、衣装4万着、欧州最大1万2千平米のセット、
主要キャスト400人、エキストラ1万人、制作年数15年……
ロシアの奇才イリヤ・フルジャノフスキーによる異次元レベルの映画プロジェクト。
それは、今や忘れられつつある「ソヴィエト連邦」の記憶を呼び起こすために、
「ソ連全体主義」の社会を現代に再建することだった!
あるウェイトレスの目を通して語られるスターリン体制下の監視社会
いま、明かされる「ソ連全体主義社会」の真実とは――?
2月27日(土)シアター・イメージフォーラム、アップリンク吉祥寺他ロードショー!
公式HP:www.transformer.co.jp/m/dau/
Twitter&Instagram:@DAU_movie
監督・脚本:イリヤ・フルジャノフスキー / 撮影:ユルゲン・ユルゲス『ファニーゲーム』
出演:ナターリヤ・ベレジナヤ / オリガ・シカバルニャ / ウラジーミル・アジッポ
2020年/ドイツ、ウクライナ、イギリス、ロシア合作 / ロシア語 / 139分 / ビスタ / カラー / 5.1ch / 原題:DAU. Natasha / R-18+
日本語字幕:岩辺いずみ / 字幕監修:松下隆志 / 配給:トランスフォーマー
ロシアの奇才イリヤ・フルジャノフスキーとエカテリーナ・エルテリが共同監督を務め、“ソ連全体主義”の社会を前代未聞のスケールで完全再現し、独裁政権による圧政の実態と、その圧倒的な力に翻弄されながらも逞しく生きる人々を描いた作品。オーディション人数約40万人、衣装4万着、1万2000平方メートルのセット、主要キャスト400人、エキストラ1万人、撮影期間40カ月、そして莫大な費用と15年の歳月をかけ、美しくも猥雑なソ連の秘密研究都市を徹底的に再現。キャストたちは当時のままに再建された都市で約2年間にわたって実際に生活した。ソ連某地にある秘密研究所では、科学者たちが軍事目的の研究を続けていた。施設に併設された食堂で働くウェイトレスのナターシャは、研究所に滞在するフランス人科学者リュックと惹かれ合う。しかし彼女は当局にスパイ容疑をかけられ、KGB職員から厳しく追及される。「ファニーゲーム」のユルゲン・ユルゲスが撮影を手がけ、2020年・第70回ベルリン国際映画祭で銀熊賞(芸術貢献賞)を受賞。
2020年製作/139分/R18+/ドイツ・ウクライナ・イギリス・ロシア合作
原題:DAU. Natasha
配給:トランスフォーマー
公式サイト:http://www.transformer.co.jp/m/dau/
INTRODUCTION
オーディション人数39.2万人、衣装4万着、欧州最大1万2千平米のセット、
主要キャスト400人、エキストラ1万人、制作年数15年……
「ソ連全体主義」の社会を完全再現した狂気のプロジェクト !
第70回ベルリン映画祭において、あまりにも衝撃的なバイオレンスとエロティックな描写が物議を醸し賛否の嵐が吹き荒れたが、映画史上初の試みともいえる異次元レベルの構想と高い芸術性が評価され銀熊賞(芸術貢献賞)を受賞した『DAU. ナターシャ』。
ロシアの奇才イリヤ・フルジャノフスキーは処女作『4』が各国の映画祭で絶賛を浴びると、ソ連時代に生きた物理学者レフ・ランダウの伝記映画に着手したが、それは次第にいまや忘れられつつある「ソヴィエト連邦」の記憶を呼び起こすために、「ソ連全体主義」の社会を完全に再現するという前代未聞かつ壮大なスケールのプロジェクトに発展していき、「史上最も狂った映画撮影」と称された。
実に、オーディション人数延べ39万2千人。衣装4万着。欧州史上最大の1万2千平米のセット。主要キャスト400人、エキストラ1万人。撮影期間40ヶ月。35mmフィルム撮影のフッテージ700時間。莫大な費用と15年もの歳月をかけて本作を完成させた。
タイトルの「DAU」とは1962年にノーベル物理学賞を受賞したロシアの物理学者のレフ・ランダウからとられている。彼はアインシュタインやシュレーディンガーと並び称されるほどの優秀な学者であると同時に、スターリンが最高指導者を務めた全体主義時代において、自由恋愛を信奉し、スターリニズムを批判した罪で逮捕された経歴も持つ。
本作『DAU. ナターシャ』はその膨大なフッテージから創出された映画化第一弾であり、ランダウが勤めていた物理工学研究所に併設されたカフェのウェイトレス、ナターシャが主人公となる。本作でスカウトされた新人ナターリヤ・ベレジナヤが演じるナターシャの目を通し、観客は独裁の圧制のもとで逞しく生きる人々と、美しくも猥雑なソ連の秘密研究都市を体感していくことになる。
撮影は徹底的にこだわって行われ、キャストたちは当時のように再建された研究所で約2年間にわたり実際に生活し、カメラは至るところで彼らを撮影した。本作には本物のノーベル賞受賞者、元ネオナチリーダーや元KGB職員なども参加。町の中ではソ連時代のルーブルが通貨として使用され、出演者もスタッフも服装も当時のものを再現した衣装で生活。毎日当時の日付の新聞が届けられるという徹底ぶりで、出演者たちは演じる役柄になりきってしまい、実際に愛し合い、憎しみ合ったという。
このプロジェクトは2019年1月にパリ、ポンピドゥー・センターで展覧会という形でお披露目され、様々な形でアート作品として人々に提示され、大反響を呼んだ。さらに、すでに劇場映画第二弾『DAU. Degeneration(原題)』も本作と同じベルリン映画祭でお披露目されており、これからどれだけ「DAU」の世界が広がっていくのか、それは誰にも分からない。 『DAU. ナターシャ』は巨大な迷宮の入り口であると同時に、当時の政権や権力がいかに人々を抑圧し、統制したのか――その実態と構造を詳らかにし、その圧倒的な力に翻弄される人間の姿を生々しく捉えていく。この壮大な実験の果てに待ち受けるのは――?
STORY
1952年。ソ連の某地にある秘密研究所。
その施設では多くの科学者たちが軍事的な研究を続けていた。
施設に併設された食堂で働くウェイトレスのナターシャはある日、研究所に
滞在していたフランス人科学者と肉体関係を結ぶ。言葉も通じないが、
惹かれ合う2人。しかし、そこには当局からの厳しい監視の目が光っていた。
DAU.PROJECT
GENERAL
プロジェクトの概要
本プロジェクトは、2007年4月に撮影が始まり、当初は長編映画として計画されていたが、開始してすぐにロシア出身のイリヤ・フルジャノフスキー監督により映画、科学、パフォーマンス、精神性、社会性、芸術性、実験、文学、建築を組み合わせたユニークで壮大で学際的で絶え間なく変化するプロジェクトに変わった。
2009年9月、ウクライナ・ハリコフの廃墟となったプールの敷地内に「物理技術研究所」が建設された。実在したソヴィエトの研究機関にインスパイアされた、この広大な機能を備えた実験研究施設は、ヨーロッパに建設された最大の映画セットになった。アーティスト、ウェイター、秘密警察、普通の家族など、時間と空間から隔離された何百人もの厳選された意欲的な参加者たちが実際にセットの中で暮らし、科学者たちもそこに住みながら、自分の実験を続けることができた。
過去(1938年~1968年)に戻された参加者は当時のソ連の人々と同じように生活し、働き、当時の服を着て、愛し、互いを非難し、憎しみ合った。この台本のない人生は、2009年10月から2011年11月まで続き、その全期間にわたって断続的に撮影された。彼らが着ていた服から使用した言語まで、彼らの存在は研究所に設定された時間=1952年 、1953年、1956年のものに統一されていた。
KHARKIV
研究都市ハリコフ
プロジェクトに影響を与えたレフ・ランダウの研究所が設立された1930年代後半、ハリコフはソヴィエト連邦の重要な知性・創造性の中心地であり、人工的な飢饉(1932-1933の「ホロドモール」として知られる)の起きた悲劇的な時代から回復していた。ハリコフは、ソヴィエト建築だけでなく、住民もソヴィエト時代の感性を保持していて、「最もソヴィエト的な都市」であると監督イリヤ・フルジャノフスキーが考えたため、研究所を再建する場所として選ばれた。撮影終了までに、ハリコフの住民の7人に1人が本プロジェクトに参加していた。
PARTICIPANTS
参加者
数百人の人々が現代社会を離れ、このソヴィエト連邦に戻り、空間的・時間的なパラレル世界の研究所で生活をした。そこは服から台所用品、食べ物、お金、言葉に至るまで、すべてが当時の物や習慣を再現した綿密な歴史的シミュレーション空間だった。研究所には、当時の歴史的出来事を参加者に知らせる独自の日刊新聞があり、使用されていた通貨はルーブルだった。
SCIENCE, ART, RELIGION
科学・アート・宗教
実際の科学者は研究所で研究を続けることができた。その中にはノーベル賞を受賞した物理学者デイビッド・グロスや、数学者ドミートリー・カレージン、神経科学者ジェームズ・ファロン、生化学者リュック・ビジェ、さらにアンドレイ・ローセフ、シン・トゥン・ヤウ、ニキータ・ネクラーソフなど多くの学者たちが含まれていた。「あるグループは弦理論を研究し、別のグループは量子重力を研究していて、これらのグループはお互いを嫌っていた。一方のグループは12の次元があると述べ、もう一方は24の次元があると主張した。弦理論グループは24の次元はあり得ないと信じ、量子重力グループは、他の科学者は偏狭であると考えていた」(イリヤ・フルジャノフスキー監督)
メディアアーティストのアレクセイ・ブリノフは研究所の技術設計者として参加。リュックの設計に基づいてブリノフが組み立てを構築したことによって芸術と科学が融合した。研究所を訪れた他の芸術家には、科学の博士号を持ち、研究所で実験を行ったカールステン・フラー、パフォーマンス・アーティストのアンドリュー・オンドレイカクとマリーナ・アブラモヴィッチ、劇場監督のロメオ・カステルッチとピーター・セラーズ、「旧ソ連から現れた最も重要な芸術家の一人」と称されるウクライナ出身の写真家ボリス・ミハイロフが含まれている。
宗教は、ユダヤ教指導者(ラビ)のアディン・シュタインサルツ、ロシア正教会の典院・ダニール、ペルー人ベジタリズモ(メスティーソ・シャーマニズム)のギジェルモ・アレバロ、シャーマンのヴィアチェスカフ・チェルトゥエフなど、宗教の著名人が研究所を訪問し、本人役で登場した。また、本プロジェクトには、俳優のウィレム・デフォーやシャーロット・ランプリング、ロシアの作家、ウラジーミル・ソローキンなども参加した。
RESIDENCE
住居
常時約200〜300人の参加者が、研究所で働き生活していた。参加者は、この正確で緻密なソヴィエト連邦の設定に引き込まれ、研究所内で新しい生活を作り出した。多くの人にとって撮影は二次的であった。研究所では、友情も生まれ、科学的発見や研究論文の発表もあり、そして結婚、出産もあった。
バビ・ヤールもグラーグも、最近起こったことです。ポスト・ソヴィエト時代には、犠牲者または加害者、あるいはその両方がいない家族は存在しません。それこそがソヴィエトのトラウマです。ソヴィエトが残した病は記憶喪失です。誰もが覚えておきたいことだけを覚えています。この記憶喪失を克服しない限り、それは何度も何度も繰り返されます。意識的に忘れているのかもしれませんが、魂は覚えています。反省し二度と繰り返さないための努力をしない限り、何度でも同じ経験をすることになるでしょう。
―― イリヤ・フルジャノフスキー監督 (南ドイツ新聞 2020. 2.21より抜粋)
CAST&STAFF
ILYA KHRZHANOVSKIY
イリヤ・フルジャノフスキー(監督)
1975年モスクワ生まれ。ボン美術アカデミーで学び、1998年にロシア国立映画研究所(VGIK)の撮影学科を卒業。2005年、長編デビュー作『4』でゴールデン・カクトゥスやロッテルダム国際映画祭のタイガー賞を含む、多数の映画賞を受賞。世界50以上の国際映画祭で公開され、イギリス、イタリア、オランダ、アメリカ、スカンジナビア、南アジアで配給された。「DAU」シリーズは彼にとって二つ目のプロジェクトで、2006年から制作してきた。これは映画、芸術、人類学を組み合わせた学際的なプロジェクトで、制作の過程では700時間以上のフッテージが撮影された。プロジェクトの中から選ばれた素材の一部(音、アート、ストーリーなど)が、パリ市庁舎の支援を受けて、2019年初めにパリでプレミア上映された。人々を「DAU」の世界へ没頭させるこのイベントは、パリ市立劇場とシャトレ座という2つのパリの劇場で行われた。また、ポンピドゥー・センターでの展示は、「DAU」施設の雰囲気を再現し、施設内に住んでいた様々な人物たちも登場した。彼はまたヨーロッパ映画アカデミーとロシア映画監督協会両方のメンバーである。
JEKATERINA OERTEL
エカテリーナ・エルテリ(共同監督)
1966年サンクトペテルブルク(レニングラード)生まれ。1970年に東ドイツに移る。1987年にモスクワ映画演劇学校を卒業し、その年から、東ドイツのDefa-Studioでアシスタントとして働き、メイクアップアーティストとしてのキャリアをスタートさせた。1990年から、50を超える国内および国外の映画とテレビ番組で、メイクアップ&ヘアを担当。トム・ティクヴァ、ビレ・アウグスト、マティアス・グラスナー、ローランド・エメリッヒなどの監督と仕事をしてきた。2013年、シングルカメラ・シリーズ作品部門のメイクアップでエミー賞にノミネートされた。 2008年から「DAU」プロジェクトに参加。撮影中、メイクアップとヘアデザインの責任者を務め、ポストプロダクションで編集と共同監督の役割を担った。2015年以降、「DAU SFXワークショップ」で開発と芸術監督を主導し、「DAU」プロジェクト参加者すべての等身大シリコンフィギュアを作成した。
JÜRGEN JÜRGES
ユルゲン・ユルゲス(撮影監督)
1940年ドイツ・ハノーファー生まれ。ドイツを代表する撮影監督。『僕とカミンスキーの旅』(17)、『クララ・シューマン 愛の協奏曲(』09)、ミヒャエル・ハネケ監督『タイム・オブ・ザ・ウルフ』(03)、ミヒャエル・ハネケ監督、ジュリエット・ビノシュ主演『コード・アンノウン』(00)、『ファニーゲーム』(97)、ヴィム・ヴェンダース監督『時の翼に乗って/ファラウェイ・ソー・クロース!』(93)、森鴎外原作、郷ひろみ主演『舞姫』(89)等の作品に携わってきた。
NATALIA BEREZHNAYA
ナターリヤ・ベレジナヤ(ナターシャ役)
1972年にルビージュネで生まれる。大学卒業後、工場で料理人として働いた。息子の誕生後、ロシアとウクライナ間で商品を輸出入する仕事をする。 2000年代に起業家になり、現在はハリコフ在住で、営業として働く。
OLGA SERGEEVNA SHKABARNYA
オリガ・シカバルニャ(オーリャ役)
1987年にロシア・オムスクで医師の家族に生まれる。観光を学び、2009年に卒業。在学中、モデル、管理者、そしてカフェでウェイトレスとして働く。「DAU」プロジェクトの後、旅行に出て、2017年にクライミングインストラクターになる。
VLADIMIR ANDREEVICH AZHIPPO
ウラジーミル・アジッポ : MGB / KG
調査官、研究所所長役
1956年にハリコフで生まれる。ハリコフ大学で心理学の学位を取得。ソヴィエト連邦の刑務所と拘置所で働き始める。その後KGB大佐になり、ウクライナ内務省で20年以上働いた。投獄に関する専門知識、特に囚人と刑務所職員の行動心理学の専門として有名だった。「DAU」の撮影後、ウクライナのアムネスティ委員会のメンバーになり、「DAU」プロジェクトに取り組み続けた。 2017年に心臓発作で亡くなる。
LUC BIGÉ
リュック・ビジェ : 研究所の生化学研究所の科学者
生化学の博士号を持ち、酵素学を専門とする。カリフォルニア大学サンフランシスコ校とクレルモンフェランの生物物理学センターで研究職を歴任。シンボリック分析のコンサルタントとして働く。 歴史、芸術、広告、神話を通して記号や記号を読むことに関する学際的なトレーニングを専門とするスイスの財団である記号大学を設立。
横浜ブルク13: 12:40-15:10 (139分)
http://www.imageforum.co.jp/theatre/movies/4048/
https://joji.uplink.co.jp/movie/2021/7582
「ソ連全体主義」の社会を完全再現した「DAU. ナターシャ」監督が語る狂気のプロジェクトの狙い
2/27(土) 16:00配信
オーディション人数39万人以上、衣装4万着、欧州最大1万2000平米のセット、主要キャスト400人、エキストラ1万人、そして莫大な費用と15年の歳月をかけ、美しくも猥雑なソ連の秘密研究都市を徹底的に再現。その膨大なフッテージから創出された映画化第1弾が、2020年・第70回ベルリン国際映画祭で銀熊賞(芸術貢献賞)を受賞した「DAU. ナターシャ」だ。このほど、共同監督を務めたロシアの奇才イリヤ・フルジャノフスキーとエカテリーナ・エルテリのインタビュー(一部南ドイツ新聞より抜粋)が公開された。
物語の舞台は1952年、ソ連の秘密研究所内のカフェ。ウェイトレスである中年女性ナターシャが働く店は、秘密実験について話す科学者たちで賑わっている。閉店後、ナターシャと若い同僚オーリャは酒を飲み語り合うが、ナターシャは内心若いオーリャに嫉妬している。ある日、オーリャは実験に成功した科学者たちのためのパーティーを開催。招かれたナターシャとフランス人科学者リュックは一夜を共にする。しかし幸せも束の間、ナターシャは国家保安委員会(KGB)の犯罪捜査の上級役員であるアジッポに連行される。アジッポはナターシャが外国人科学者と寝たことを責め立て、心理的にも肉体的にも激しい尋問を行い、リュックをスパイとして告発するよう命令する。
本プロジェクトは2019年1月にパリ、ポンピドゥー・センターでアート作品の展覧会という形でお披露目され反響を呼んだ。イリヤ・フルジャノフスキー監督は、本作が暴力的なポルノであるとの非難に対しこう回答している。
――「DAU. ナターシャ」では、研究所の食堂のウェイトレスであるナターシャがKGBの尋問中に殴打され、頭をトイレに押し込まれ、コニャックボトルを性器に挿入することを余儀なくされました。この場面を見せる必要があるのでしょうか?
大事なのはボトルではありません。我々は人間の本性について学んでいるのです。そして、この本性には非常に異なる側面があります。スターリン主義だとか、邪悪な人間だと言うのはあまりに簡単です。彼らはすべてシステムの一部であり、そのシステムは彼らの意識の中にあります。「DAU. ナターシャ」の時代設定は1952年と1953年です。当時、ソビエト連邦では尋問中の拷問は普通でした。ナターシャを演じたナターリヤ・ベレジナヤとKGB職員のウラジーミル・アジッポは、「DAU」のほかのすべての作品のように、尋問シーンを即興で演じました。演出はありませんでした。そしてもちろん、彼らはいつでも尋問を止めることができました。そして何より、ナターシャが信じられないほど強い個性の持ち主であることがこの場面から分かるはずです。また、アジッポは、ベルリン国際映画祭で上映した2番目の「DAU」映画「DAU.Degeneration」にも出演しています。きっと彼を好きになるでしょう。彼は知的で、気配りができ、礼儀正しい人間です。残念ながら、撮影後に亡くなってしまったのですが。
――KGB職員を演じたアジッポは自然に拷問方法について語り、残酷な尋問も慣れているように見えます。彼は実生活でも囚人を拷問していたのですか?
そうだろうと思いますが、彼はそのことについて話しませんでした。彼は厳しい尋問で知られていましたし、それが彼の仕事でした。「DAU」の後、彼は人生の終盤で、囚人のためにキャンペーンを行い、ウクライナ政府のアムネスティ委員会のために働きました。「DAU」プロジェクトは、セットに少しでも滞在したすべての人を変えました。私たちは多くの元KGB職員をキャスティングしました。私の家族はソビエト時代に常にKGBを恐れていて、彼らを嫌っていました。元KGBの人々とのオーディションで、彼らが非常に明確な名誉の概念を持っていることに私は驚きました。彼らはいろいろな意味で絶対的な悪を体現していますが、同時に道徳を持ち合わせており、それが彼らにとって重要なのです。
―― あなたはノーベル文学賞受賞作家のスベトラーナ・アレクシエービチの書籍のように、対話を通じて物語を作るということを「DAU」でやろうとしているのでしょうか。「DAU」とはある種、考古学のようにソ連の生活を思い起こす試みなのでしょうか。
はい。おそらく「DAU」とは考古学であり、ソビエトの現実を発掘することであり、ロシア文明の肖像であると思います。現代の人々がソ連時代の語法で話をしますが、この言葉はまるで武器のようであり、ナチスの言語のようなものです。この言葉を使えば悪いこともできてしまいます。まさにソビエト的思考の代表的なものだと思います。
―― なぜ集合的記憶に取り組むことはあなたにとってとても重要なのですか?
(ドイツ国防軍が2日間で3万人以上のユダヤ人を射殺した)バビ・ヤールもグラーグ(ソ連強制収容所)も、最近起こったことです。ポスト・ソビエト時代には、犠牲者または加害者、あるいはその両方がいない家族は存在しません。それこそがソビエトのトラウマです。ソビエトが残した病は記憶喪失です。誰もが覚えておきたいことだけを覚えています。この記憶喪失を克服しない限り、それは何度も何度も繰り返されます。意識的に忘れているのかもしれませんが、魂は覚えています。反省し二度と繰り返さないための努力をしない限り、何度でも同じ経験をすることになるでしょう。
本作共同監督で、編集を担当したエカテリーナ・エルテリは、「最もソビエト的な都市」であるとフルジャノフスキーが考え、研究所を再建する場所として選ばれたハリコフに2008年から2011年の3年間滞在。参加俳優たちが、住民になっていくプロセスなど当時の経験を振り返る。
―― ハリコフの滞在はどのような経験でしたか?
それは間違いなく私が今までに経験した中で最も強烈な撮影でした。過去10年間、私たちは「DAU」を言葉で表現し、実際に体験できなかった人々に説明しようとしてきました。なぜ説明がここまで難しいか分かりますか? それは全参加者、全スタッフ、これまで関与したすべての人が、「DAU」についてそれぞれ独自の真実を持っているからです。ある人にとっては珍しい撮影であり、他の人にとっては忘れられない人生の挑戦でした。何年も働いて素晴らしい仕事をした人もいれば、何が起こっているのか理解できずに去っていく人もいました。チャレンジを受け入れるか拒否するかは、私たち全員が自由に決めることができます。「DAU」は、個人的には最大かつ最もやりがいのある課題でした(そして今でもそうです)。
―― 参加者が研究所に参加するためのプロセスはどのようなものでしたか?
それを理解するには、セットに入る人は常にその時代の衣装と化粧をしていなければ、入場を許可されなかった、ということを知る必要があります。ケーブルを持った電気技師、検診に来た医者、トイレの修理を依頼された配管工、VIPゲストなど、全員が例外なく同じ手順を踏みました。
新しい参加者が研究所に入るときは、一大イベントでした。撮影中かどうかに関係なく、セットに足を踏み入れるためには、すべての人がチェックポイントを通過する必要がありました。新しい参加者が研究所に入る準備には多くの作業があり、約3~4時間かかりました。眼鏡や下着など、誰もが上から下まで全て着替えなければなりませんでした。メイクアップ部門はまた、必要とするすべての人に個々に処方された度入り眼鏡を提供しました。まるでタイムマシンに入るようなもので、その過程には多くの人が関わっていました。各キャストの伝記・経歴は、実際の生活に基づいて、すべてのゲストと参加者のために作成されましたが、時代に合わせた調整が加えられました。
研究所内に長く滞在するゲストのために、衣装を選び、スーツケースに詰めて参加者に渡したので、彼らは自分で何を着るかを選ぶことができました。喫煙者は自分の好きな種類のタバコを尋ねられ、自分の好みに合うようにタバコを巻いてもらいました。スーツケース、財布、ペン、新聞など、研究所内に滞在していた期間中、すべての小道具と衣装が彼らの持ち物になりました。女性には口紅チューブとパウダーパフが提供されました。ナチュラルな化粧品をすべて制作し、独自の口紅の色とフェイシャルマスクを作りました。
―― 参加者はお互いについてどのくらい知っていましたか?
人々が長い間密接に暮らし、共に働くとき、彼らはお互いを知るようになります。誰もがアジッポと2人の尋問エージェントが実生活でKGB職員であったことを知っていました。 本物のソビエト連邦のように、誰もがお互いについてすべてを知っていました。オープンであることは、このような状況で結果を達成するための前提条件であると私は信じています。人々は愚かではありません。嘘をつかれていると感じたならば、彼らの多くがそうであったように、オープンにはなりません。そして誰かがカメラの前で肉体的および精神的に裸になる場合、彼らは身の安全を感じなければなりません。ナターシャとアジッポの尋問のような場面は、信頼と誠実さが伝わっていなければ不可能です。
―― ナターシャのシーンから編集を始めたのですか?
はい、彼女のストーリーが私に一番響いたので。ナターシャは困難な生活を送ってきました。彼女が発する言葉の全てにそれを感じることができます。とても孤独で傷つきやすいように見えるにも関わらず、とてもタフな行動をした彼女にとても感動しました。編集中は、彼らがパフォーマンスをしているわけではないので、時々彼らと一緒に暮らしているような気分でした。彼らの気持ちは本物です。映像の中で、彼らが隠そうとしているすべての感情を見ることができます。
―― ナターシャがアジッポに「(あなたとは)仲良くなれません」と言った事に驚きました。
彼女がそう言うことは本当にパワフルだと思います。彼女を誇りに思います。過小評価してはいけません。ナターシャは決してあきらめないし、戦います。それが彼女の性格です。別のシーンからも分かると思います。権威と不正に対する彼女の反逆心はピークに達します。ナターシャとボトルシーンについてはたくさんの議論があると思います。ナターシャの強さは、自分自身を守る方法と彼女のプライドの両方において、そのシーン全体を動かすものです。彼女は弱くないですが、拷問は彼女からすべてを奪うでしょう。彼女は「何か他のものに座りたい」と言い返せる人です。私は彼女のその勇気を称えます。ナターシャは目線の高さでアジッポと出会いますが、まさにそれがシーンをとてもパワフルにするのです。最初、彼女は自分の恐れをまったく示さず、自分自身を主張します。なぜなら、それが女性としての行動だからです。恐ろしい状況で証明される防御本能。
私が知るすべての女性はこのような瞬間を経験しています。私は夜に公園で男に襲われたことがあります。私は自分の恐れを出してはいけないことを知っていました。その状況から抜け出して生き残るチャンスを得るためにそうしなければならないのです。彼女が壊れて、アジッポの心理ゲームについていけなくなるシーンがあります。そのシーンで、彼が彼女を壊したと思った瞬間、彼にはそうする力がないことに気付きます。彼女は頭を高く上げて去ります。私はこのシーンは、ただの犠牲者で自分を守ることができず拷問を受けた女性への尋問シーンではないと思います。もちろんナターリヤはこれが本当のKGBの尋問でないと知っているし、カメラに向かって「止めて」と言うこともできるし、このシーンのことも事前に知っていました。しかし、その瞬間、彼女が感じる恐怖は、彼女の怒り、絶望と同様に本物です。彼女が「これでは、仲良くなれません」と言うとき、私は勇気、知性、機知に富んだ彼女に感心しました。
―― 彼女はアジッポに温かさを感じますが、彼の職業で温かさを持っていることは本質に反しています。
彼のことを知らず、普通の生活で彼に会ったら、彼が誰かに何か悪いことをするなんて想像できないはずです。彼は自分の仕事をしたままでで、それは決して個人的なものではありませんでした。彼は誓いを立て、命じられたとおりに行動しました。明るい未来の名の下に他人を拷問することが仕事である人間にとって、限界とはどこにあるのでしょうか。あなたが陸軍士官としてこの仕事を割り当てられた場合、それはあなたがモンスターとして振る舞わなければならないことを意味するのでしょうか? 私がハリコフとロンドンで会ったアジッポは、信じられないほど、親切で、礼儀正しく、気配りのできる人でした。彼は、「DAU」での経験の後、人生を根本的に変えたと私に言いました。撮影後すぐに、彼はウクライナのアムネスティ委員会のメンバーになりました。
2月27日から、シアター・イメージフォーラム、アップリンク吉祥寺ほか全国で公開。
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