映画『日本独立』12月18日(金)公開 予告編
第二次大戦終戦直後、GHQに占領された日本において、そのGHQと互角に渡り合った二人の男、吉田茂と白洲次郎。米国主導で早急に憲法改正を推し進めようとするGHQに抵抗し、一刻も早い日本の独立回復にこだわって熾烈な“戦い”に挑む二人。親子ほども年の違う二人の絆、そして日本の未来を見据えた熱い思いと覚悟を描く、人間ドラマが幕を開ける。
GHQとの交渉の最前線で辣腕を振るう白洲次郎を演じるのは浅野忠信。そして、冷徹な視点と信念をもって日本独立への道を切り開いていく政治家・吉田茂に小林薫。白洲次郎の妻で、のちに随筆家として名を成す正子を演じるのは宮沢りえ。
さらに、柄本明、石橋蓮司、松重豊、伊武雅刀、佐野史郎、大鶴義丹、渡辺大、青木崇高、浅田美代子、梅宮万紗子、野間口徹、といった錚々たる豪華俳優陣。ナレーションを務めるのは奥田瑛二。
終戦から憲法制定、独立に至る歴史の裏側のドラマを日本側とアメリカ側の両方の視点からスリリングに描き出した重厚かつ壮大なスケールの人間ドラマ。
公式サイト https://nippon-dokuritsu.com
映画『日本独立』本編映像
映画『日本独立』白洲次郎映像解禁
『日本独立』白洲次郎(浅野忠信)“本作最重要シーン”
第2次世界大戦直後のGHQ占領下の日本を舞台に、一刻も早い日本の独立を求めて尽力した吉田茂と白洲次郎を描いた人間ドラマ。親子ほども年の離れた2人の絆を軸に、終戦から憲法制定、独立までの歴史の舞台裏を、日米両国の視点からスリリングに描く。終戦直後に外務大臣に就任した吉田茂は、日本の再出発のため、旧知の仲である白洲次郎を呼び寄せる。抜群の英語力を備える白洲は、開戦前から既に日本の敗戦を予測し、実業の第一線を退いて郊外で農業に専念していた。吉田はそんな白洲に、GHQとの交渉役となる終戦連絡事務局の仕事を託す。こうして白洲は交渉の最前線に身を置くが、GHQは米国主導の憲法改正を強引に推し進めようとする。白洲次郎を浅野忠信、妻・正子を宮沢りえ、吉田茂を小林薫が演じる。監督は「プライド 運命の瞬間」「ロストクライム 閃光」の伊藤俊也。
2020年製作/127分/G/日本
配給:シネメディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/日本独立
公式サイト:https://nippon-dokuritsu.com
終戦直後、絶対的権力のGHQによる占領下の日本で、のちの首相・吉田茂が日本の再出発のために呼び寄せたのは、実業の第一線を退いて、郊外で農業に専念していた一人の男だった。
その名は白洲次郎。流暢な英語を話し、せっかちで喧嘩っ早く、いかなる時でも物事の筋を通す男。そして彼は、吉田茂の右腕としてGHQとの交渉の最前線で辣腕を振るい、GHQをして「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめることになる。“勝ち目のない”現実に直面して苦悩しながらも、可能性を追求し続け、GHQとの交渉の場で戦い抜く姿には、きっと魂が揺さぶられることだろう。そんな熱くて人間くさい白洲次郎を体現するのは、ハリウッドでも活躍、国内外で高く評価される俳優・浅野忠信。
そして、冷徹な視点をもって未来を見据え、占領下にある日本の独立への道を切り開いていく政治家・吉田茂に扮するのは、小林薫。マッカーサーとも渡り合う度胸満点の政治家の顔と共に、短気で包容力があってユーモアのある人間・吉田茂を魅力的に演じる。
さらに、白洲次郎の性分を知り尽くしている理解者で、能や工芸に造詣が深く、のちに随筆家として名を成す妻・正子を、はつらつと、そして凛とした佇まいで演じるのは、宮沢りえ。
他に、国務大臣・松本烝治を演じる柄本明、内閣総理大臣・幣原喜重郎役の石橋蓮司、元内閣総理大臣・近衛文麿役の松重豊、戦艦大和からの生還者・吉田満役の渡辺大、その母・ツナ役の浅田美代子をはじめ、伊武雅刀、佐野史郎、大鶴義丹、青木崇高、梅宮万紗子、野間口徹といった錚々たる俳優陣が、重厚な人間ドラマを繰り広げる。ナレーションを務めるのは奥田瑛二。
監督は、『プライド 運命の瞬間』(98)、『ロストクライム -閃光-』(10)を手掛けた社会派の名匠・伊藤俊也。吉田茂と白洲次郎の絆を軸に、終戦から憲法制定、独立に至る歴史の裏側のドラマを、日本側とアメリカ側の両方の視点から、歴史に基づくイマジネーションを交えてスリリングに描き出した。
互いに本音で激論を交わしながら、GHQと渡り合い、国の難局に立ち向かう吉田と白洲。二人にあったものは、時代や状況がどうあろうと変わらぬ人としての誇り高さ。今、私達は、コロナ禍という経験したことのない危機に直面し、社会や経済に対する不安の中に生きている。現実を冷静に見つめ、未来を見据えて戦った先人達の思いや覚悟は、先の見えない時代を生きる私達への熱いメッセージになることだろう。
1945年8月15日、第二次世界大戦終戦。日本は、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領下に置かれた。連合国最高司令官マッカーサーが厚木に降り立ち、GHQは第一生命ビルに拠点を置いた。正装の昭和天皇とラフな格好のマッカーサーが並んだ写真が新聞に掲載されると、国民は、敗戦の事実に改めて衝撃を受けた。
終戦直後に外務大臣に就任した吉田茂は、日本の再出発のため、旧知の仲である白洲次郎を呼び寄せる。彼は、ケンブリッジ大学の留学経験を持ち、抜群の英語力を備え、いかなる時でも筋を通す男。開戦前から既にアメリカとの戦争の敗戦を予測していた彼は、数年前に実業の第一線を退いて、東京郊外に移住し、農業に専念していた。
吉田は白洲に、GHQとの交渉役、終戦連絡事務局の仕事を託す。吉田は言う。「占領はすぐに終わる。だが、その間の対応を日本が間違えると、一度負けたどころか、二度も三度も負けることになる」。
その言葉を胸に、白洲は、交渉の最前線に身を置いた。彼の堂々とした態度は、GHQの度肝を抜いた。マッカーサーの側近でGHQ民政局長ホイットニーから流暢な英語を褒められると、白洲はこう返した。「あなたも、少し勉強なされば、すぐに上達なさいますよ」。
GHQは、日本の民主化と非武装化を求めて、占領政策に着手していく。間接統治とはいえ、GHQの力は絶対的だった。戦争犯罪人の逮捕が始められ、憲法の民主化が示唆された。国務大臣・松本烝治は、憲法問題は内閣の仕事であるという主張のもと、憲法学者を集めて、憲法改正に取り組んでいく。
だがそんな時、日本政府が想像し得なかったことが起きる。GHQ自らが、憲法草案作成の極秘プロジェクトを組んだのだ。ソ連に介入の余地を与えぬよう、ソ連が参加する極東委員会が発足する前に憲法草案を仕上げてしまうためだった。さらにGHQは、その憲法を日本が作ったものとして世界に公表しようと考えていた。草案完成までの期限は1週間。そのメンバーに憲法学者はいなかった。
そして1946年2月13日、外相公邸を訪れたGHQ民生局長ホイットニーは、外務大臣・吉田、国務大臣・松本、白洲らを前に、松本による憲法案は容認できるものではないと告げ、GHQ自らが作成した憲法草案を手渡す。呆然とする日本側。草案には、天皇を象徴とする条項と戦争放棄の条項が記されていた。
他国主導で自国の憲法が作られる、という国の危機に直面し、白洲は、日本側の考えへの理解を求めてGHQとの交渉の場に立ち続ける。勝ち目のない現状に苛立つ彼に、吉田は、本音を明かす。「従うふりしてやり過ごす。早くGHQに退散してもらって、早く独立することだ。独立すれば、また憲法も変えられる」。
だが、何とかしてGHQとの“戦い”における可能性を追求しようと懸命な白洲は、そんな冷静な吉田に激論を吹っ掛け、怒りをぶつけるのだった。
一方、GHQ案をめぐり、閣議も紛糾していた。激高する松本。「自衛権すら持たないで、それを国家と言えるのか!」。
そんな中、深夜、吉田は白洲を伴い、密かにある場所に向かう。彼の胸には、一刻も早く日本の独立を勝ち獲ろうとする強烈な思いと、それに伴う覚悟があった・・・。
GHQ案をもとに憲法の改正を進めるべく、日本政府に強硬に迫る絶対権力のGHQ。日本としての意志を尊重した新憲法を目指すべく、国の威信をかけて抵抗する日本政府。
期限を切られて緊迫した状況の憲法改正の現場に身を投じ、白洲はGHQと対峙する。果たして、最後まで戦い抜こうとする白洲の、その熾烈な“戦い”の行方は?そして、吉田茂が白洲次郎と共に見据えた日本の未来とは?
伊藤俊也/監督
1937年生まれ。『女囚701号さそり』(72)で監督デビュー。大ヒットとなってシリーズを生み、『女囚さそり 第41雑居房』(72)、『女囚さそり けもの部屋』(73)を監督する。その後、『誘拐報道』(82)を監督し、モントリオール世界映画祭審査員賞を受賞、国内外で高く評価される。認知症を患う老人を抱えた家族のドラマを描いた『花いちもんめ。』(85)は、日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞。東條英機を主役に東京裁判の全貌を描いた『プライド 運命の瞬間(とき)』(98)は賛否両論渦巻く社会的話題作となった。その他の監督作品に、『犬神の悪霊』(77)、『白蛇抄』(83)、『花園の迷宮』(88)、『風の又三郎 ガラスのマント』(89)、アニメーション映画『ルパン三世 くたばれ!ノストラダムス』(95:総監督)、日本映画監督協会70周年記念映画『映画監督って何だ!』(06)、『ロストクライム-閃光-』(10)、『始まりも終わりもない』(13)など。
https://ja.wikipedia.org/wiki/伊藤俊也
https://ja.wikipedia.org/wiki/プライド・運命の瞬間
浅野忠信/白洲次郎
1973年生まれ。『バタアシ金魚』(90:松岡錠司監督)で映画デビュー。以降、国内外の作品に多数出演。08年に主演作『モンゴル』(セルゲイ・ボドロフ監督)が米国アカデミー賞®️外国語映画賞にノミネートされ話題となる。11年に『マイティ・ソー』(ケネス・ブラナー監督)でハリウッドデビュー、続編(13・17)にも出演。『私の男』(14:熊切和嘉監督)でモスクワ国際映画祭最優秀男優賞を受賞。以降の主な出演作に『寄生獣』シリーズ(14.15:山崎貴監督)、『岸辺の旅』(15:黒沢清監督)、『母と暮らせば』(15:山田洋次監督)、『淵に立つ』(16:深田晃司監督)、『沈黙-サイレンス-』(17:マーティン・スコセッシ監督)、『新宿スワンⅡ』(17:園子温監督)、『幼な子われらに生まれ』(17:三島有紀子監督)、『アウトサイダー』(18:マーチン・サンフリート監督)、『パンク侍、斬られて候』(18:石井岳龍監督)、『海辺の映画館-キネマの玉手箱』(20:大林宜彦監督)、『ミッドウェイ』(20:ローランド・エメリッヒ監督)などに出演。日本を代表する国際派俳優として活躍を続ける。公開待機作に『Minamata(原題)』(21:アンドリュー・レヴィタス監督)など。
撮影:吉田茂と白洲次郎、白洲正子
吉田茂という人物を演じるにあたり、小林薫は、特殊メイクでその外見を“吉田茂”に変えた。「あまりにも顔付きが違うと、こりゃ吉田茂じゃないよ、となってしまうのもなかなかやり難いな、と思い、『とりあえず吉田さんにして下さい』と言ったんです。見た目から入ったというところはあるかもしれませんね」と笑う。
GHQをして「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた主人公・白洲次郎を演じる浅野忠信は、本作への参加の理由を、「あの当時にいち早く世界に目を向け、語学にも長けており、外国の方とも対等にやり合った白洲次郎さんへの興味」だと語る。ダンディで生き方も魅力的な白洲次郎という人物を演じることにワクワクしたという彼は、「白洲さんの情熱やピュアな面に想像を膨らませて役作りをしました」。そして、「白洲さんの熱い生き方から何か受け取っていただけたら嬉しいです」とメッセージを送る。
憲法改正をめぐるGHQとの“戦い”のドラマの中で浮彫になるのは、親子ほども年の違う吉田と白洲の人間的な絆。吉田役の小林薫は、メイクを施した外見からその内面まで常に“吉田茂”その人として撮影現場に存在し、強い存在感を放っていたと浅野は言う。そして、白洲と吉田の信頼関係や仲の良さが表れるいくつかの印象的なシーンの中で、「“喧嘩”のように激論を交わすシーンは、二人が本当に心を許し合っているのだなと思いました。小林さんは僕が熱さをぶつければ、さらに強い熱さや説得力で跳ね返してくれました」と振り返る。
一方で、白洲次郎と正子の夫婦の姿が描かれるのも本作の魅力の一つ。
浅野忠信は、「宮沢りえさんは、完璧に白洲さんの奥さんでした」と称賛する。「宮沢さんの大胆な生き方は正子さんに通ずるところがあると思うので、とても楽しく夫婦のシーンを演じることができました」。
そんな白洲夫妻が暮らす郊外の家や畑は、古い茅葺の家を移築・復元した滋賀県の「葛川かや葺の家」及び神戸の「あいな里山公園」がロケ地となった。白洲邸の調度品に関しては、正子が目利きであった事実を踏まえつつ、当時のものに似た物が揃えられた。
次郎の妻・白洲正子を演じた宮沢りえは、「当時その場所が本当にそこに存在していたんだろうと思うような素敵なロケ場所で撮影をして、そこの空気感に馴染むように自然と正子さんになれたような気がします」と語る。そしてまた、「この脚本を読んで目から鱗が落ちた、という、この感覚が観てくれた人達に伝わりますように」。
本物志向の映画作り
本物志向のコンセプトから、スタジオにセットを組むのではなく、ロケ撮影が選択された。前述の白洲邸のみならず、ドラマの世界観を担うロケ地が選定され、昭和初期やそれ以前の建物が残っている、神戸を拠点とした関西地方で撮影が行われた。たとえば、GHQ本部のエントランスは、吹き抜けの大階段が印象的な大正15年竣工のロマネスク様式の大阪府庁舎。マッカーサーの執務室やGHQ民生局局長室は、明治の面影を残す兵庫県公館。日本の閣僚達が激論を交わす首相官邸の閣議室は、国の重要文化財に指定されている、明治37年竣工のルネサンス様式の京都府庁旧本館で撮影された。そして、GHQから憲法草案を渡されるという衝撃的なドラマが繰り広げられた外相公邸のサンルームと庭は、昭和16年に建てられた数寄屋造近代和風住宅、神戸市の「旧木下家住宅」がロケ地となった。
ロケ地を探すにあたって、最も大変だったのは、白洲夫妻の乗った車が焼け野原となった街を走り抜けるシーンだという。瓦礫の山などはCGで処理するとはいえ、実際に広大で、かつ撮影が可能な場所が必要だった。最終的に、滋賀県の伊吹山にある巨大工場跡地、住友大阪セメント伊吹工場跡がそのロケ地となった。
その他、旧財閥の別邸として昭和9年に建てられた「ザ・ガーデンプレイス蘇州園」(吉田が連行される吉田私邸の門のシーンなど)、昭和初期に建てられた「旧乾邸」(近衛文麿の荻外荘のシーン)、庭園のある和風邸宅「松泉館」(外相公邸の仏間や応接室などのシーン)といった神戸の味わい深い建物が主なロケ地となり、観る者を激動の時代のドラマ世界へと誘っている。
伊藤俊也監督は語る:映画『日本独立』に込めた思い
小学3年生の時に終戦を迎えた伊藤監督。その1ヶ月前には、生まれ育った福井市で空襲に遭い、そして終戦の3年後には、M7の福井地震から生き延びた。そんな強烈な戦中戦後体験を持つ伊藤俊也監督が、本作の製作の経緯を語った。
「戦後の日本を振り返る時に、アメリカとの関係というのは強く意識せざるを得ないものですが、そういうプロセスの中で、戦後の日本を規定した二大事件は、東京裁判(極東国際軍事裁判)、そしてもう一つが日本国憲法の成立だと考えています。『プライド 運命の瞬間』(98)では、東京裁判がどのようなものであったかを描きました。そして、どうしてももう一つの事件、日本国憲法の成立に関わる映画を作りたいと思い、『プライド 運命の瞬間』を作ってから2~3年経った頃、シナリオを作ったのです。かなり改稿して現在のシナリオになってはいますが、基本的にはその時に作ったものです」。
また、本作のユニークなところは、「戦艦大和ノ最期」を書いた吉田満のエピソードをメインストーリーに絡ませたことだと言う。「『戦艦大和ノ最期』は、美しい文章と戦艦大和の生き残りとしての思い、亡くなった沢山の戦友達への思いが描かれているという意味で、文学的価値や歴史的価値が高いものだと思います。それがGHQの検閲に引っかかって、日本が講和・独立した後にようやく出版が認められた。GHQは言論の自由を謳いながら、その一方で出版させたくないものには徹底的に弾圧を加えた。その両刀使いというのが日本人に今日まである種の誤解を残したポリシーであったと思います。その辺を憲法制定の話と同時に重要なエピソードとして描けたのが、今回ユニークなところだと考えています。本作の中で、「戦艦大和ノ最期」をいち早く文学的に評価した文芸評論家・小林秀雄の台詞にもありますが、軍国主義で検閲されたというよりも、死んでいった日本人と生き残った日本人との絆を断たれたということ。戦前の日本を否定されたところで戦後日本のレールを敷かれて歩まされるという、まさに世界第一の戦略国家アメリカに仕切られて日本の戦後ができてしまった、その無念さというのを吉田満のエピソードで描けたのではないかと思っています」。
kino cinema横浜みなとみらい:10:40-12:50 (137分)
ABOUT THE MOVIE
戦争に負けてもこの国は誰にも渡さない―。
第二次大戦終戦直後、GHQに占領された日本において、そのGHQと互角に渡り合った二人の男、吉田茂と白洲次郎。米国主導で早急に憲法改正を推し進めようとするGHQに抵抗し、一刻も早い日本の独立回復にこだわって熾烈な“戦い”に挑む二人。親子ほども年の違う二人の絆、そして日本の未来を見据えた熱い思いと覚悟を描く、人間ドラマが幕を開ける
https://www.cyzo.com/2020/12/post_262524_entry.html
https://mainichi.jp/articles/20201218/dde/018/070/006000c
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO67448190Y0A211C2BE0P00
https://news.yahoo.co.jp/byline/higuchinaofumi/20201210-00211770/
https://cinema.ne.jp/article/detail/45585