究極の杉本博司作品〈小田原文化財団 江之浦測候所〉
017年10月9日、神奈川県小田原市に杉本博司が「自らの集大成となる作品」と表現する〈小田原文化財団 江之浦測候所〉がオープンしました。「将来、遺跡になることを想定して建設した」という壮大なスケールのサイトに4Kカメラが潜入。その全貌とは?
公式サイト:https://www.odawara-af.com/ja/
小田原文化財団
ご挨拶
小田原文化財団は、古典演劇から現代演劇までの伝承・普及、古美術品等の保存・公開、現代美術の振興発展に寄与することを目的とし、2009年、現代美術作家・杉本博司により設立されました。
2017年秋に一般公開した「小田原文化財団 江之浦測候所」が、神奈川県及び小田原市との協力関係のもと、芸術文化の発展と地域社会の活性化に広く寄与することを願っております。
公益財団法人小田原文化財団
ミッション
人類史の中で芸術は人類の意識の発生と共に生まれました。そして芸術はその原初において宗教とも深く結びついて、人間が住むこの神秘的な世界を意識化するという努めにいそしんできました。絵画、彫刻、音楽、演劇は、幾代ものミレニウムの時を経て、そして幾多の様式的な変遷を重ねて今日に至っています。そして今、私達は人間と世界の係わり方を再考しなければならない時代に至っています。私達がこの意識化された世界とどのように係わってきたのかを、芸術の歴史を遡って見つめ直すことが、これからの人類が向かうべき行き先を考える上で重要な意味を持つように思われます。
小田原文化財団はその再考を手助けする為に設立されました。古代演劇、古典芸能、前衛舞台芸術の企画・制作・公演活動を通した普及振興活動を行うこと、寄贈を受けた「杉本コレクション」を中心とした美術品等を公開展示すること及び旧石器時代から現代、美術品から空間美術に至る、時代・ジャンルを越えた美術についての調査・研究を行うことを活動の中心といたします。
小田原文化財団は多くの人々に対して我が国の芸術文化の公演、公開、研究等の普及振興活動を通して、人間と自然との係わり、そして人類とその環境を見つめ直すきっかけを提示することを標榜いたします。世界はその昔、神秘に満ちていました。多くの事が意識化され理解された今、人類意識の新しい地平を私達は見いださなければならないのです。
設立 2009年12月22日
主な活動
伝統芸能の再考を試み、古典芸能から現代演劇までの企画、制作、公演を行い、また既成の価値観にとらわれずに収集かつ拾集された「杉本コレクション」の保存および公開展示を通して、日本文化を広い視野で次世代へ継承する活動を行います。 活動拠点として、小田原市江之浦に舞台、作品展示室、茶室などを配した芸術文化施設を2017年秋に開館。
所在地 神奈川県小田原市江之浦362番地1
面積 約9,500m2
設立者 杉本博司
<杉本博司プロフィール>
杉本博司の活動分野は、写真、彫刻、インスタレーション、演劇、建築、造園、執筆、料理、と多岐に渡る。杉本のアートは歴史と存在の一過性をテーマとしている。そこには経験主義と形而上学の知見を持って、西洋と東洋との狭間に観念の橋渡しをしようとする意図がある。時間の性質、人間の知覚、意識の起源、といったテーマがそこでは探求される。
1948年 東京、御徒町に生まれる。1970年渡米、1974年よりニューヨーク在住、2008年建築設計事務所「新素材研究所」設立。2009年公益財団法人小田原文化財団設立。
受賞:
1988年 毎日芸術賞、2001年 ハッセルブラッド国際写真賞、2009年 高松宮殿下記念世界文化賞(絵画部門)、2010年 秋の紫綬褒章、2013年 フランス芸術文化勲章オフィシエ賞、2017年文化功労者。
主な著書:
「苔のむすまで」「現な像」「アートの起源」(新潮社)、「空間感」(マガジンハウス)、「趣味と芸術」(ハースト婦人画報社)
紋章(ロゴ)について
丸と三角を意識化することが幾何学の始まりでした。人が高台から水平線を眺める時、水平線は直線に見えますが、実は大きな円弧の一部なのです。絶海の孤島の山頂に立って水平線を追うと、最後にはもとの水平線に繋がります。人は視界の果てが円に囲まれていることに気付いたのです。太陽も夜空の星も円を描いています。人は円に気付いた頃に、自分に意識があるということにも気付いたのです。思えばあの時が、動物から人間への飛翔の時でした。
円が意識の内に上ると、次は三角が意識に上りました。それは距離の意識化へと連なりました。既知の二点間の距離を使って三点目の距離を測ることができたのです。三角測量の始まりです。人は自分の住む土地を測り、星を頼りの航海も可能になったのです。
三角は日本では古くから鱗紋として使われました。それは蛇の鱗から取られたものです。蛇は世界各地の古代神話でも混沌の象徴として現れます。日本でも八岐大蛇(ヤマタノオロチ)伝説が有名です。この混沌を制して秩序をもたらすものが王権の根拠となりました。須佐之男命の大蛇退治(オロチタイジ)のとき、大蛇の体内から出てきたのが天皇の象徴である三種の神器の一つ、草薙剣であるとされています。
小田原文化財団の紋章を創案するに当たり、英文表記のOdawara Art Foundation の頭文字二文字を取りOAを組み合わせて紋章としました。アルファベットとしても読め、かつ日本古来の伝統意匠にも見える、日欧同時表記となっています。人類が言葉を持った時、発語の最初期は母音から始まったと思われます。それは驚きの意思表示である おー という音、そしてまた 感嘆を表す あー という音として表現されました。OAは言語の原初を象徴しています。
最後に、天正18年(1590)秀吉によって滅ぼされた小田原北条氏の紋章も三鱗紋でした。小田原文化財団の紋章は、人類の記憶の古層を象徴化するという意思をもってデザインされました。
江之浦測候所
小田原考
私は小田原に負うところが多い。子供の頃、旧東海道線を走る湘南電車から見た海景が、私の人としての最初の記憶だからだ。熱海から小田原へ向かう列車が眼鏡トンネルを抜けると、目の醒めるような鋭利な水平線を持って、大海原が広がっていた。その時私は気がついたのだ、「私がいる」ということを。
私は歴史上の「もし」が好きだ。天正十八年の秀吉による小田原落城の後に、関東移封となった徳川氏が、自らの居城として選ぶべき最有力候補は、当時、関東で最も権勢を誇った北条氏の本拠であった小田原であった筈だ。しかし家康は当時寒村にすぎなかった江戸の地を選んだ。おそらく家康はまっさらな土地で都市計画をやりたかったのだろう。しかし家康にとって、すでに立派な城もある小田原は、選択肢として魅力を感じたに違いないと私は思う。もし小田原を選んでいたならば、今頃は小田原が東京で、マンハッタンや香港のような高層ビルが立ち並ぶ大都会となっていたであろう。そして東京は江戸市として、江戸湾奥にその名を留める程度であっただろう。しかし私は家康の決断を有り難く思う。小田原が東京になっていたら、今に残る美しい自然は、破壊のかぎりを尽くされていたに違いないからだ。そうならば私の人生の始まりとなる、あの海の記憶も無くなってしまうからだ。
私は何ものかに導かれるように、その私の記憶の場所を与えられた。江之浦に広がる広大な蜜柑畑だ。私はこの地に小田原文化財団を設立した。この地から世界に向けて、日本文化の精髄を発信しようと企てている。首都は東京に奪われたが、世界への日本文化発信の首都として、小田原は将来位置付けられることになる。何故ならば、縄文時代以来連綿として受け継がれてきた日本文化の特質、それは人と自然が調和の内に生きる技術だ。自然の内に八百万の神々を祀りながら、日本人は独特の文化を育んで来た。今、自然破壊の限りを尽くさねば生き残れない、後期資本主義の過酷な世界の中で、いちばん求められているのが、その日本文化の技術なのだ。
杉本博司 江之浦測候所インタビュー
建築概要
コンセプト
アートは人類の精神史上において、その時代時代の人間の意識の最先端を提示し続けてきた。
アートは先ず人間の意識の誕生をその洞窟壁画で祝福した。
やがてアートは宗教に神の姿を啓示し、王達にはその権威の象徴を装飾した。
今、時代は成長の臨界点に至り、アートはその表現すべき対象を見失ってしまった。私達に出来る事、それはもう一度人類意識の発生現場に立ち戻って、意識のよってたつ由来を反芻してみる事ではないだろうか。
小田原文化財団「江之浦測候所」はそのような意識のもとに設計された。
悠久の昔、古代人が意識を持ってまずした事は、天空のうちにある自身の場を確認する作業であった。そしてそれがアートの起源でもあった。 新たなる命が再生される冬至、重要な折り返し点の夏至、通過点である春分と秋分。天空を測候する事にもう一度立ち戻ってみる、そこにこそかすかな未来へと通ずる糸口が開いているように私は思う。
施設について
江之浦測候所の各施設は、美術品鑑賞の為のギャラリー棟、石舞台、光学硝子舞台、茶室、庭園、門、待合棟などから構成される。また財団の各建築物は、我が国の建築様式、及び工法の、各時代の特徴を取り入れてそれを再現し、日本建築史を通観するものとして機能する。よって現在では継承が困難になりつつある伝統工法をここに再現し、将来に伝える使命を、この建築群は有する。
建築群に使用される素材は、近隣で得られる素材を中心に使用するものとし、擁壁、造園等に使用される石材は根府川石、小松石等を使用する。造園の為の景石には、平成21年度の広域農道整備事業に伴い、近隣の早川石丁場群跡から出土した江戸城石垣用の原石を使用する。随所には、古代から近代までの建築遺構から収集された貴重な考古遺産が配されている。
見学案内
https://www.odawara-af.com/ja/enoura/ticket/
https://www.axismag.jp/posts/2017/10/83087.html