10/9 公開『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』 本予告
A24×プランBがアカデミー賞®作品賞受賞『ムーンライト』以来のタッグ!
サンダンス映画祭 監督賞&審査員特別賞 ダブル受賞
映画『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』
【STORY】
変わりゆく街・サンフランシスコで、変わらない大切なもの。
家族の記憶が宿る家とたった一人の友。それだけで人生はそう悪くないー。
サンフランシスコで生まれ育ったジミーは、祖父が建て、かつて家族と暮らした記憶の宿るヴィクトリアン様式の美しい家を愛していた。変わりゆく街の中にあって、観光名所になっていたその家は、ある日現在の家主が手放すことになり売りに出される。
この家に再び住みたいと願い奔走するジミーの思いを、親友モントは、いつも静かに支えていた。今や”最もお金のかかる街”となったサンフランシスコで、彼は自分の心の在り処であるこの家を取り戻すことができるのだろうか。
多くの財産をもたなくても、かけがえのない友がいて、心の中には小さいけれど守りたい大切なものをもっている。それだけで、人生はそう悪くないはずだ──。
そんなジミーの生き方が、今の時代を生きる私たちに温かい抱擁のような余韻を残す、忘れがたい物語。
公式HP: http://phantom-film.com/lastblackman-…
公式Twitter:https://twitter.com/lastblackman_jp
公式Instagram:https://www.instagram.com/lbmisf/
10月9日(金)新宿シネマカリテ、シネクイントほか 全国ロードショー
サンフランシスコを舞台に、都市開発により取り残されてしまった人たちのリアルな姿を描いたドラマ。主人公を実名で演じた主演のジミー・フェイルズが10代の頃に体験した自伝的物語で、フェイルズの幼なじみでもあるジョー・タルボット監督が長編初メガホンをとり映画化。サンダンス映画祭の監督賞、審査員特別賞を受賞した。IT関連企業とベンチャー企業の発展により、多くの富裕層が暮らす街となったサンフランシスコ。この街で生まれ育ったジミーは、祖父が建て、家族との思い出が詰まったビクトリアン様式の美しい家を愛していた。しかし、地区の景観とともに観光名所にもなっていたその家を現在の家主が手放すことになり、家は売りに出されてしまう。ジミーは再びこの家を手に入れるために奔走し、そんなジミーの切実な思いを友人であるモントは静かに支えていた。
2019年製作/120分/PG12/アメリカ
原題:The Last Black Man in San Francisco
配給:ファントム・フィルム
https://ja.wikipedia.org/wiki/ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ
https://a24films.com/films/the-last-black-man-in-san-francisco
公式サイト:http://phantom-film.com/lastblackman-movie/
2人の幼なじみから生まれた、愛、家族、喪失感を描いた、
永久に心に刻まれる美しい物語。
New York Times
オリジナル性にあふれる、驚くべき長編デビュー作。
Hollywood Reporter
冒頭の5分でこれが特別な作品であることが分かる。
唯一無二で心に染み入る素晴らしい作品。
Rolling Stone
登場人物の想い、彼らが考え抜いた末の結論、
残されたままの謎がパッチワークのように織り成されている。
あふれんばかりの人生と愛が詰まった作品。
Los Angeles Times
A24×プランB、アカデミー賞作品賞受賞『ムーンライト』以来のタッグ!
いま、世界の映画シーンでその動向が最も注目されている映画会社が、A24とプランBだ。ともに芸術性と商業性を兼ね備えた、賞レースをにぎわす上質なヒット作を多数輩出している映画会社である。この二つの会社が、アカデミー賞作品賞に輝いた『ムーンライト』以来となるタッグを組んだのが『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』だ。新鋭監督ジョー・タルボットは、2019年サンダンス映画祭で上映された本作で、監督賞と審査員特別賞をW受賞し、華々しい長編映画デビューを果たした。
多くの財産をもたなくても、心の中に大切な居場所とかけがえのない友がいる。
それだけで、人生はそう悪くないはずだ――。
幼なじみでもあるタルボットと主演のジミー・フェイルズは、友情、家族、そして目まぐるしく変わっていくサンフランシスコという街への愛情を丹念に描くことに成功した。この映画は、自らが存在するコミュニティの大切さ、そして本来の自分になるために自問する一人の男の姿を描いた秀逸なパーソナル・ストーリーだ。主人公ジミーは、自分たちを取り残したまま経済発展や都市開発によって急速に変わっていく街で、親友のモントとともに心の置きどころを探し求めている。家族と再び繋がりをもち、理想とするコミュニティを復活させようともがく彼の望みは、いま自分が置かれている現実を見えなくさせてもいるが、こんな思いを抱くことはないだろうか? この映画で描かれている街は世界のどこか、そしてジミーの姿は、世界のどこかにいる誰かかもしれない。
多くの財産をもたなくても、かけがえのない友がいて、心の中には小さいけれど守りたい大切なものをもっている。それだけで、人生はそう悪くないはずだ──。そんなジミーの生き方が、今の時代を生きる私たちに温かい抱擁のような余韻を残す、忘れがたい物語。“街と人をめぐる新たな傑作”が誕生した。
ベイエリアの街と人をめぐる傑作の誕生を支えたスタッフたち
海を臨むドラマチックな景観をもつサンフランシスコは、多くの映画やTVドラマの舞台になってきた。この街の魅力を最大限に伝えることがスタッフのミッションだった。初の長編映画となった本作のオリジナルスコアで絶賛を浴びたエミール・モセリは、サンフランシスコにゆかりのあるジェファーソン・エアプレインやジョニ・ミッチェルなどの楽曲でこの街の気分を盛り上げる。サンフランシスコという街の歴史を代弁するかのように優雅に佇むヴィクトリアン・ハウスをはじめとするドラマのもうひとつの主役、家の内装には、プロダクション・デザインのジョナ・トゥシェットのセンスが光る。そして、ベイエリアの街と主人公たちの住まいなど光と影を見事に映し出したカメラの素晴らしさ、スローモーションを多用したハイセンスな映像。この映画に集結した才能が、サンダンスの審査員特別賞を導いた。
変わっていく街・サンフランシスコで、
ジミーが変わらずに心に持ち続ける大切なもの。
それは、家族との記憶が宿る
たったひとつの居場所と、たったひとりの親友。
サンフランシスコで生まれ育ったジミー(ジミー・フェイルズ)は、祖父が建て、かつて家族と暮らした思い出の宿るヴィクトリアン様式の美しい家を愛していた。変わりゆく街の中にあって、地区の景観とともに観光名所になっていたその家は、ある日現在の家主が手放すことになり売りに出される。
再びこの家を手に入れたいと願い奔走するジミーは、叔母に預けていた家具を取り戻し、いまはあまり良い関係にあるとは言えない父を訪ねて思いを語る。
そんなジミーの切実な思いを、友人モント(ジョナサン・メジャース)は、いつも静かに支えていた。
いまや都市開発・産業発展によって、“最もお金のかかる街”となったサンフランシスコで、彼は失くしたものを、自分の心の在りどころであるこの家を取り戻すことができるのだろうか。
サンフランシスコの歴史
サンフランシスコは、19世紀のゴールドラッシュで大きな発展を遂げた、アメリカ西海岸を代表する大都市。坂道を走る路面電車(1873年に開通)は、ゴールデン・ゲート・ブリッジとともに、この街の印象的な風景として誰もが思い描くイメージだ。古くから貿易も盛んで、多くの移民も受け入れてきたため様々な文化が混ざりあいエリアが形成され、現在もこの街は、アートやファッションの発信地として世界中の人々を魅了し続けている。
そんな街の景観の中でも、ひときわ歴史を感じさせるのが、1860年から1900年初頭に市内の各所に建てられた優雅なヴィクトリアン・ハウスだ。フェイルズが実際に暮らしていたヴィクトリアン・ハウスがあるフィルモア地区は、もともと日系人たちがサウスパークから移り住んで発展させた街で、揺るぎない日系人コミュニティを確立していた。しかし1941年のパール・ハーバーの攻撃によりコミュニティをけん引してきたリーダーたちが次々と逮捕され、翌42年には日系人の収容所への強制移住が始まった。その後は、黒人たちが多く住むようになったが、やがて彼らも立ち退いていった。──現在のサンフランシスコは、シリコンバレーも近いことから、住民の平均収入値も高く、アメリカでは三番目にビリオネアが多く住む街になっているという。家賃や住宅販売価格は跳ね上がる一方で、ハウスボートやワゴン車で暮らす人も多く、ホームレスも増加。現在、市内に暮らす人々の中でも、家賃の高騰から引っ越しを考えることを余儀なくされている人も多いといい、本作で描かれている街への愛情や愛着は、この街の切ない実情を表している。
ヴィクトリアン・ハウス
映画で使われたヴィクトリアン・ハウスの現オーナーは元水化学者のジョン・テイラー氏(83歳)。1889年に建てられた家を1960年後半に一目見て気に入り、数年後に友人と一緒に購入した。友人の金策で一度売りに出したが、1970年にサンフランシスコに戻ると、また家が売り出されていたために、買い戻したのだという。かつては下宿屋や更生施設としても使われたというこの家のキッチンや屋根を入れ替え、魔女の帽子のような尖塔も交換した。そして、オルガンのためにアルコーブを苦心して作り、ダイニングルームの天井にフレスコ画を発注し、以前の居住者に捧げたライブラリーも作った。これは彼のライフワークの一つだという。彼は、ジミー役が映画の中で家の修理をするシーンは自身が70年代に行ったヴィクトリアン調への回帰を思い出させられたと語る。自分がいなくなってしまえば、未来のオーナーは中のものをすべて取り払い、個性のない「無菌」の家にしてしまうだろうと予言しているが、「私がいなくなったら、全然気にしないよ!」と笑う。彼は、映画のロケハンで苦労して見つけたこの家での撮影を快く受け容れてくれ、フェイルズのこともかわいがったという。彼には、家に思いを寄せるフェイルズの気持ちが、誰よりも分かったに違いない。
家は心の拠り所
サンフランシスコで生まれ育ったジミー・フェイルズが6歳まで住んでいたフィルモア地区には、アフリカ系アメリカ人と移民の歴史が息づいており、フェイルズが父親、親族たちと暮らした家は、子供時代の拠りどころであり、何の不安も感じない笑いと愛に溢れた場所として心の支えとなっていた。しかし家がなくなりコミュニティを立ち退かされたフェイルズと父親は、公営住宅やシェルター(避難施設)で暮らして街中をさまよった。そんな中でもフェイルズは一度も子供時代を過ごした家を忘れたことがなく、むしろ思春期の悩み、安定した生活への憧れと格闘しながら、フィルモア地区の家が持っていたパワーと頼もしさを強く求めるようになった。
親友2人の物語
10代のはじめにフェイルズはジョー・タルボットに出会う。サンフランシスコの第5世代の彼とは、音楽好きという共通点があり2人で街をぶらつき、自分たちが育った大好きで一度も離れたいと思ったことがない街での生活について語り明かす親友になった。高校時代、フェイルズが、自分がかつて住んでいた家のことを話し始め、タルボットは、その苦労話に自分が書いている最中の典型的なサンフランシスコの物語との共通点を見出した。そして、自分たちの人生を語る会話を映画にすることを決めた。サンフランシスコの歴史と数十年に亘って語り継がれてきた変遷と離間の物語、数世代にも亘る長い物語が次第に形になり始めた。「ジミーの実体験と街に住む住人の夢を混ぜたようなハイブリッドなものを作りたかったんだ。街の片隅に追いやられた男が、自分の記憶にしか残らない家に巡礼の旅をするというオデュッセイア(長年旅をして故郷の町に帰るオデュッセウスの物語)のような、ちょっとした冒険話にしたかった。」(タルボット)
A24×プランBとの出会い
タルボットとフェイルズが作ったトレーラーと(クラウドファンディングの)キックスターターでの募集が、映画作りを後押しした。友人2人で始めた計画は、トレーラーを見たり、物語を気に入ってくれたベイエリアの仲間との強い絆のチームへと成長した。「チームのメンバーはベイエリアで僕らが創作活動を始めて、世に出ようとしてもがいていた頃の仲間たちで、この物語に共感し、映画として成立させるのを手伝いたいと言ってくれた。映画化まで何年かの大変な時期を経て、僕らは家族になった」(タルボット)。また、この“家族”のキーマンはプロデューサーのカリア・ニールとサン・クエンティン州立刑務所で映画製作を教えているロブ・リチャートで、彼は最終的には共同脚本家の1人になった。「皆、何の保証もないのにプロジェクトに加わり、僅かな可能性のなか、製作にこぎつけるまでに多くの力を注いでくれた。その貢献は、映画の隅々に織り込まれている。」まずは、長編映画製作の経験を積むためにと製作した短編『American Paradise』が、2017年サンダンス映画祭でプレミア上映され、そこでプランBのプロデューサーのクリスティーナ・オーの目に止まり、彼らがA24に声をかけて一緒に長編作品を作ることになった。「『ムーンライト』の監督バリー・ジェンキンスとは面識があり、彼がプランBと組んで成功しているのを見て、憧れていたんだ。組む相手としてプランB以外は考えられない。彼らと一緒に仕事ができて本当にラッキーだと思う」(タルボット)
ジミーとモント
主人公のジミー役はフェイルズで決まっていたが、モント役にふさわしい俳優を見つけることが、課題だった。結果、ジョナサン・メジャースがモント役に起用されたが、すでにキャリアのあったメジャースにとっては、それまで見たことも接したこともない世界や文化だったので、彼はこのチームや役に惹かれたと言う。「僕には新鮮に思えた。追いやられた文化やコミュニティの人たちの話だったから。ジミーとモントのやっていることは、典型的な黒人の若者がやっていることとは違っていた。この映画で友情を感じなかったら、物語は成立しないし、何もかも台無しだ。生身の人間の生き様もドラマもなくて、単に政府の官僚主義と再建プロジェクト下での社会環境の話になってしまう」(メジャース)。映画の核をなす友情が2人の俳優にとって最も重要なことだったが、正式にキャストに決まる前からサンフランシスコに来たメジャースは、タルボットとフェイルズと街を歩き、キャラクターについての議論や彼らの希望や夢についての話し合いに加わった。撮影が始まるとフェイルズは、映画の中と同じようにメジャースのホテルの部屋で暮らし始めた。「アートは人生の模倣だ。僕らは何度も脚本を隅から隅までリハーサルして、演じ方を見つけた。僕はジミーに自分の演技を通して真実を伝えろとけしかけた。“気まずいと思ったのなら、それは君がちゃんとやっているからなんだ”と言った。“たとえ何があっても、僕は一緒にいる”ってね」(メジャース)。お陰で固い友情が結ばれ、映画の中でもジミーとモントの関係は明らかにリアルで、画面に相性の良さがにじみ出た。「バディ・ムービーは難しい。2人が本当の友達のように感じるように見せなきゃならないから。これはジミーの初めての映画だったが、ジョナサンは僕らが望んでいたような形で彼を映画に溶け込ませてくれた。彼らは兄弟のような親友になったんだ」(タルボット)
サンフランシスコのキャストたち
スタッフは映画の脇役に生粋のベイエリア在住の人間を出演させ、地元住民に小さな役柄を割り当てた。「僕らは、脇役から実生活からにじみ出るサンフランシスコ人の気性が出ているかを確認することに時間を費やした」(タルボット)。ハンターズポイントの通りをたむろする若者役に友人やアーティスト仲間、ベイエリアのラッパーなど、ほぼサンフランシスコ在住の人間を起用した。また、タルボットはダニー・グローヴァーをキャスティングしたくて、脚本が完成する前から彼に手紙を書いていたが、返事は貰えていなかった。フィルモア地区で育ったグローヴァーは、ハンターズポイントにも住んでいたことがあり、タルボットとフェイルズはそれぞれ彼に電話をし、出演を嘆願して、5年をかけてグローヴァーを説得した。彼は自分の撮影予定のない時にもセットを訪ねては、故郷のサンフランシスコ人の気質を製作現場に吹き込んでくれた。
その家を見つけるまで
フェイルズが実際に育った家は何年も前に修復され、この映画には使えない間取りになっていた。スタッフは、サンフランシスコのあらゆる地区を調べ回り、さらには湾も渡り、完璧なヴィクトリアン・ハウスを探し歩いた。サンフランシスコは、ヴィクトリアン・ハウスだらけの街でありながら、物語に沿うような家、長い歳月に変わることない個性を持った家を探すのは困難を極めた。苦労の末、タルボットの家のすぐそばの固い岩盤の上にあり、一部が1906年の地震でも破壊を免れていた家を見つけた。「期待はせずに、僕らはそのドアを叩いた。すると優しい顔の老人が外に出てきて、僕らが彼の家を主役に映画を作りたいと話したら、手招きして中に入れてくれたんだ」とタルボットは述懐する。「中に入るとすぐに、神聖な感じがして、外の世界のことを完全に忘れてしまう。まるで違う時代にいるように感じるんだ、通りの音も聞こえない」。80代のこの家の所有者は、フェイルズの話にも劣らないほどのサンフランシスコの家にまつわる物語を披露してくれ、支援者の一人となった。彼はビート・ジェネレーションの時代から、60年この広大な家に住んでいた。魔女の帽子のような屋根も一つ一つ復元し、数十年かけて元の輝かしい家に戻したのだ。この家は、“らしさ”からすると、内装、外装、全てが完璧だった。映画のクルーに数週間住宅を占領させてくれた上に、地元でもよく知られた存在の彼の家を使用するに当たって、高額の支払いを予想していたプロデューサーに彼が請求したのは、わずかな手当だけだった。「彼は僕らの物語に強い親近感を感じたんだ。ジミーとジミーの過去に興味を抱いていたし、家に自身のライフワークを詰め込んでいた。彼は最後の偉大なサンフランシスコ人の一人であり、本当の英雄さ」
変わっていく街で描く大切なもの
本作で溢れんばかりに描かれている創造性は、困難な状況において前進するための頼みの綱である。ジミーが全身全霊で愛する街にしがみつくように、またモントが予期できない悲劇を乗り越えようと戯曲を書くように、私たちは創造した”物語”を支えにして生きている。「アーティストであるモントは、常に物語を構築している。壁に描く絵でも、戯曲でも詩でもスケッチだろうとね。彼は前に進むために混沌とした自己を秩序立てなければならない。ジミーは彼の家を再建しようとすることで同じことをしている。そしてジョーが、自分の故郷のサンフランシスコが失われていくのを見つめる5世代目であることが、この映画の構想が生まれた理由のひとつであり、この映画は混沌から生まれたんだよ」(メジャース)。フェイルズが実生活でそうであるように、この映画の中でジミーは、自分が唯一知っているこの街で生き残ろうともがく。だが、彼は“家”の持つ不思議な力の新しい定義を見出し、手放すことを学ぶ。それはもはや心の拠りどころでもなく、地図にあるどこかでもない。体験や、愛するものによって形成される心の在り方であり、自分たちの中にあるものなのだ。傷ついたり喜んだりして、ジミーがもつようになったその“家”は、彼自身以外の何ものでもないのだ。
ジミー・フェイルズ
サンフランシスコで生まれたジミーは、監督のジョー・タルボットと幼なじみ。2人で初めて作った短編映画『American Paradise』が、2017年サンダンス映画祭でプレミア上映されたことが本作の製作に繋がった。本作はジミーの実体験をもとにしたtrue story。
ジョナサン・メジャース
ノース・カロライナ・スクール・オブ・ザ・アーツを卒業後、イエール大学の演劇大学院で演技の修士号を取得。数多くの舞台に立つ。2015年の全国文芸協会ドラマ・コンペティションで優勝するなど、確かな演技が高い評価を受ける。2017年2月にABCのミニシリーズ『When We Rise』でデビューを果たし、近作のソニー・ピクチャーズ配給『ホワイト・ボーイ・リック』では、マシュー・マコノヒー、ジェニファー・ジェイソン・リーらと共演。作品のオファーが絶えない“注目のハリウッド俳優”という地位を固めている。
ジョー・タルボット / 監督・脚本・原案
サンフランシスコ第5世代のタルボットは、映画を撮るために高校を退学し、幼なじみであるジミー・フェイルズと映画製作の準備を始める。サンダンス・インスティテュートの研修生として撮った短編『American Paradise』では監督・脚本を担当し、サンダンス映画祭とサウス・バイ・サウスウエスト映画祭で高い評価を受けた。フェイルズを主役にした本作が長編デビュー作となる。
ジミー・フェイルズ / 原案> CASTプロフィール
ロブ・リチャート / 脚本
コロンビア大学在学中に撮った二つの作品が連続して学部長賞を受賞。短編デビュー作『My Name Is Your First Love』はテルライド映画祭で上映され、短編部門で3つの賞を受賞した。2016年、自身の脚本の『Heroic Dose』でSFフィルムの研修生に選ばれた時、ジョー・タルボットと出会い、彼の短編『American Paradise』をプロデュースした後、本作の最終稿を共同で執筆し、共同プロデュースも担う。
INTERVIEW WITH JOE TALBOT
僕の母親はサンフランシスコの5代目で、父親は1960年代にやってきた。僕は、サンフランシスコの誇り高き歴史を感じながら、音楽や文化や映画に触れて育ってきた。僕自身サンフランシスコからほとんど出たことがないから、外の世界はほとんど知らない。今僕とジミーが最も恐れているのは、今後サンフランシスコで僕たちのような友情が生まれるか? ということ。僕たちにとって、街の人との交流は何よりも大切だけど、そういう体験ができなくなるのではと心配している。この街は、様々な人生を歩んできた人と出会える街だし、この街を心底愛している人はたくさんいる。でも、この映画の編集を終えてサンフランシスコに戻ってきた時、知らない街に来たような感覚に陥った。この美しい街を作り上げてきた人々が暮らせないなら、何の意味があるのだろう? 最近はさらに多くの人が街を去っている。変わらず美しい建物も、どんどん取り壊されつつある。ロケハン中に、いい家を見つけても取り壊しが決まっていて、撮影ができないことが多かった。あまりにも動きが早すぎる。生まれ育った街じゃなくても、その街を愛することはできるはず。残念だけど、今サンフランシスコで起きている現象は世界各地で見られる。映画を作り始めた時は、あまりにもパーソナルな物語だから気づかなかったけど、この街以外の人と話せば話すほど、共通の問題だというのが分かってくるんだ。あまりにも大きくて複雑な問題で、考えただけでも怖くなる。こういう映画を作る以外、何をすればいいのか分からない。僕らは、急激に変化していく街の様子を映像に留めておくしかないんだ。
INTERVIEW WITH JIMMIE FAILS
この映画の撮影中は、演技に入り込んでしまい、撮影後、隅に隠れて泣いたシーンもある。でもいろんな意味で成長することができたと思う。出演者やスタッフが、全員このプロジェクトと僕の体験をサポートしてくれていると分かっていたから、安心して演じることができた。自分の脆さをためらいなく出せたんだ。それに僕にとっては全てリアルだから、演技をしているという感覚はなかった。大変だったけど楽しめたよ。自己発見という意味でもいい経験になったね。
プレミア上映では、作品に関わった仲間全員が登壇したんだ。70人はいたね。彼らの功績は大きいよ。人々の反応を見て、僕も温かい気持ちになった。プレミア上映の際、ある年配の女性が泣きながら、作品がいかに美しかったかを語ってくれたんだ。泣きすぎて、写真も撮れないくらいで、僕ももらい泣きしてしまった。「繊細な人間でいてくれてありがとう」と多くの人に言われた。それ以上の褒め言葉はないよね。そういう言葉を聞きたいから、僕たちアーティストは自らを犠牲にするんだ。それがこの作品を作って、最も大きな喜びを感じた瞬間だった。
僕たちは昔からサンフランシスコのノスタルジックな雰囲気と、古い建築物に魅了されてきた。恋に落ちる感覚だ。サンフランシスコはこの映画の登場人物の一人でもある。サンフランシスコがいかに特別かを自らの手でカメラに収めたいと思った。だから今までとは違う見せ方をするように努めたんだ。後半のバスの中のシーンで、「(この街を)愛していないなら憎む権利はない」(字幕:愛と憎しみは一体だ)という台詞が出たのは、普通に会話をしていた時だと思う。このシーンは当初は少し違っていて、リハーサルか何かの時にあの台詞を思いついて、ガツンとやられたのを覚えている。この街に暮らす人は、みんなサンフランシスコのことを誇りに思っているんだ。サンフランシスコのためなら何でもするよ。
https://joji.uplink.co.jp/movie/2020/6197
https://www.weblio.jp/content/ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ
横浜ブルク13: 13:45-15:55 (121分)