予告篇|8.15(土)公開
大量虐殺をただ1人、生き延びたフランス人兵士。
傷ついた魂が行き着く果てとは―。
1945年3月、フランス領インドシナ。駐屯地での殺戮をただひとり生き延びたフランス人兵士ロベールは、兄を殺害したベトナム解放軍の将校ヴォー・ビン・イェンへの復讐を誓い、部隊に復帰する。しかし険しい密林でのゲリラとの戦いは苛烈を極め、憎きヴォー・ビンの居場所は一向につかめなかった。その悪夢のような日々のなか、マイというベトナム人の娼婦に心惹かれるロベールだったが、復讐の怨念に駆られる彼はもはや後戻りできない。やがて軍規に背く危うい行動を繰り返し、理性を失ったロベールは、さらなるジャングルの奥地に身を投じていくのだった……。
出演:ギャスパー・ウリエル/ギョーム・グイ/ラン=ケー・トラン/ジェラール・ドパルデュー
監督:ギョーム・二クルー
脚本:ギョーム・ニクルー & ジェローム・ボージュール
配給:キノフィルムズ/木下グループ
第2次世界大戦末期のフランス領インドシナを舞台に、傷ついた若きフランス人兵士を通して戦場の生々しい現実を描いた戦争ドラマ。1945年3月。フランス領インドシナに進駐していた日本軍がクーデターを起こし、それまで協力関係にあったフランス軍に一斉攻撃を仕掛けた。駐屯地での殺戮を生き延びた青年兵士ロベールは、兄を殺害したベトナム解放軍の将校ヴォー・ビン・イェンへの復讐を誓い部隊に復帰する。ジャングルでのゲリラとの戦いが苛烈を極める中、ロベールはベトナム人の娼婦マイに惹かれるが、復讐に取り憑かれた彼はもはや後戻りできない。やがて理性を失ったロベールは、さらなるジャングルの奥地へと突き進んでいく。「ハンニバル・ライジング」のギャスパー・ウリエルが主演を務め、名優ジェラール・ドパルデューが共演。「フランス映画祭2018」では「世界の果て」のタイトルで上映。
2018年製作/103分/R18+/フランス
原題:Les confins du monde
配給:キノフィルムズ
公式サイト:http://konoyonohate.jp
戦争映画というジャンルにおいて、ベトナムを題材にした名作、傑作は数知れない。マイケル・チミノの『ディア・ハンター』、フランシス・フォード・コッポラの『地獄の黙示録』、オリバー・ストーンの『プラトーン』、スタンリー・キューブリックの『フルメタル・ジャケット』。鬱蒼とした熱帯のジャングルにおける混沌とした戦いと、その死と背中合わせの極限体験が引き起こす人間の狂気を映像化したこれらの戦争映画は、今なお色褪せない強烈なインパクトを放っている。
しかしベトナムの歴史をさかのぼると、対米ベトナム戦争の前段としてインドシナ戦争があり、それ以前にはフランス統治下の長い植民地時代があった。フランス領インドシナとは、19世紀後半から1954年までフランスの支配下に置かれたインドシナ半島東部(現在のベトナム、ラオス・カンボジア)のことだが、この時代の複雑な歴史を扱った映画は決して多くない。
フランス映画祭2016で上映された『愛と死の谷』で絶賛を博した鬼才、ギョーム・ニクルーが新たに撮り上げた『この世の果て、数多の終焉』は、宗主国フランスの視点で第二次世界大戦末期におけるインドシナの凄惨な真実に迫った一作。ベトナムでの現地ロケを敢行したことからもニクルー監督の並々ならぬ野心がうかがえるが、本作が描く当時のフランス領インドシナには日本軍が進駐しており、ベトナム人民はフランス軍と日本軍に二重支配されていた。多くの日本人にとって知られざる、衝撃的な歴史の闇をえぐり出した戦争ドラマである。
1945年3月、フランス領インドシナ。現地に進駐していた日本軍がクーデターを起こし、それまで協力関係にあったフランス軍に一斉攻撃を仕掛けた。駐屯地での殺戮をただひとり生き延びた青年兵士ロベールは、兄を殺害したベトナム解放軍の将校ヴォー・ビン・イェンへの復讐を誓い、部隊に復帰する。しかし険しい密林でのゲリラとの戦いは苛烈を極め、憎きヴォー・ビンの居場所は一向につかめなかった。その悪夢のような日々のなか、マイというベトナム人の娼婦に心惹かれるロベールだったが、復讐の怨念に駆られる彼はもはや後戻りできない。やがて軍規に背く危うい行動を繰り返し、理性を失ったロベールは、さらなるジャングルの奥地に身を投じていくのだった……。
ひとりの若きフランス人兵士の壮絶なる肉体と魂の彷徨を通して本作があぶり出すのは、まさしくこの世の地獄というべき戦場の生々しい現実だ。ニクルー監督は殺戮という無慈悲な行為が日常化し、兵士がいともやすやすとただの肉塊に変わり果てていく戦争のあまりにも不条理なリアルを、いわゆる痛快な見せ場や扇情的なバイオレンスを一切排除した禁欲的な演出スタイルで映し出す。透徹したリアリズムにほのかな幻想性が入り混じったその映像世界は、人間が人間でいられなくなる〈最も“死”に近い場所〉へと観る者を誘っていく。説明描写をあえて最小限にとどめ、想像と解釈の余地を広げた独特のストーリーテリングの手法も実に刺激的。心身共にずたずたに傷ついた主人公の“行き着く果て”はどこなのか、最後までまったく目が離せない。
ロベールを演じるのは、『ロング・エンゲージメント』『ハンニバル・ライジング』『サンローラン』で世界中を魅了したギャスパー・ウリエル。持ち前の端正な美貌に加え、グザヴィエ・ドラン監督と組んだ『たかが世界の終わり』ではセザール賞に輝く繊細な名演技を披露したフランスのトップスターが、ベトナム人娼婦との激しいセックス・シーンも熱演。理性と狂気、愛と死の狭間でもがく兵士の痛切な運命を渾身の演技で体現した。また名優ジェラール・ドパルデューが、ロベールの魂を救済しようとする作家役で出演。さすがというほかはない圧倒的な存在感で、映画に確かな重みを与えている。
1945年3月9日、フランス領インドシナ。それまでフランスと協力関係を結んでいた日本軍が明号作戦と名付けたクーデターを起こし、フランス軍を一斉に攻撃した。からくも一命を取り留め、惨たらしい死体の山から這いずり出た若き兵士ロベール・タッセン(ギャスパー・ウリエル)は、森をさまよって意識を失ったところを地元の農民に救われる。
美しい自然に癒やされて回復したロベールは、フランス軍の駐屯地へ向かい、連隊への復帰を申し出る。彼の願いはただひとつ、兄夫婦を虐殺した敵への復讐を果たすこと。その敵とはベトナム解放を求めるホー・チ・ミンの補佐官で、日本軍の蛮行を見て見ぬふりをしたヴォー・ビン・イェン中尉だった。こうして隊列に戻ったロベールは、駐屯地で出会った兵士カヴァニャ(ギョーム・グイ)とともに、ベトナム人民ゲリラに斬首された神父の遺体を埋葬する。
熱帯の原生林が生い茂るベトナムの自然環境は、息苦しいほど蒸し暑く、フランス軍は険しい地形や体調不良にも苦しめられていた。しかも武装したゲリラが森のあちこちに隠れ潜み、一瞬たりとも気が抜けない。ある日の行軍中、突然の銃撃を浴びたロベールは肩と足を負傷してしまう。
病院での静養中、思いがけない人物がロベールを見舞いにやってきた。現地在住の年老いた作家サントンジュ(ジェラール・ドパルデュー)である。彼が置き残していったアウグスティヌスの自伝「告白」を読んだロベールは、退院後に再びサントンジュと言葉を交わす。ロベールが母国に養母がいることを打ち明けると、サントンジュは「帰国して家族を作りなさい。人生を捨てるには早すぎる」と語りかけるが、復讐の念に取り憑かれたロベールは聞く耳を持たない。
上等兵に昇進したロベールは、カヴァニャらとともに街のダンスホールに繰り出し、青いドレスを着た可憐なベトナム人女性マイ(ラン=ケー・トラン)に目を奪われる。酒場の娼婦であるマイは、かつて山から下りてきたロベールに無償のスープを振る舞ってくれた女性だった。その夜、マイを買ったロベールは、彼女の粗末な家で激しく体を重ね合った。
憎きヴォー・ビンの捜索に執着するロベールは、しばしば軍規を乱すようになっていた。「公私混同せず、国のために戦え」という上官の命令にも抗い、ベトナム人捕虜を使って攻撃を仕掛けようとするロベールだったが、ベトナム人にとって自由を象徴する英雄であるヴォー・ビンに関する情報はまったく得られない。
ジャングルでの果てしないゲリラとの戦いは、いっそう過酷なものになっていった。心身共に疲弊しきったロベールとカヴァニャは、阿片の陶酔に身を委ねるが、朦朧とした意識の中で敵に急襲される。もはや現実と悪夢の境目さえ曖昧な極限状況の中で、ロベールは現地の盲目の少女を犯したベトナム兵を狂ったように射殺するのだった。
ロベールのやり場のない苛立ちは、心の安らぎを見出したマイとの関係にも悪影響を及ぼしていた。あるときは力尽くで、あるときは金で「俺だけの女になれ」とマイに服従を迫るロベールだったが、彼女は「私は自由よ」と頑なに応じなかった。
駐屯地にヴォー・ビンの居場所を知っているという少年が現れ、ロベールは最後の遠征を決意する。その情報は本当に信用できるのか、それとも罠なのか。出発前夜、マイに「もう戻らない」と告げたロベールは、気心の知れたカヴァニャとともに数名のベトナム人捕虜を従え、無謀とも思えるジャングルの山越えに挑むのだが……。
1966年、仏ムラン生まれ。自作の脚本を映画化した『Les enfants volants』(91)で監督デビュー。それ以降、10本以上の長編映画を発表し、いくつかのTVシリーズの演出も手がけている。日本で初めて劇場公開された作品は、ジャン=クリストフ・グランジェ原作、モニカ・ベルッチ、カトリーヌ・ドヌーヴ出演のサスペンス・アクション『ストーン・カウンシル』(05)。イザベル・ユペール、ジェラール・ドパルデューがカリフォルニアのデスバレーを訪れる元夫婦を演じた『愛と死の谷』(15・未)は、セザール賞撮影賞に輝き、日本ではフランス映画祭2016にて上映された。そのほかの主な作品はベルリン国際映画祭コンペティション部門に出品された『La religieuse』(13)、トライベッカ映画祭で脚本賞を受賞した『L’enlèvement de Michel Houellebecq』(14)など。また、俳優としての出演作に『ターニング・タイド 希望の海』(13)などがあり、2019年のTVシリーズ「トワイス・アポン・ア・タイム」の企画にも携わった。すでに本作の次回作としてミシェル・ウエルベック、ジェラール・ドパルデュー出演のコメディ『Thalasso』(19)を発表している。
監督インタビュー
Q:本作はインドシナでの衝突が激化した第二次世界大戦直後を舞台にしています。なぜ、このような歴史上の出来事を描こうとしたのですか。
A:1945年と1946年は写真や映像に撮られることも少なく、闇の部分が多くて、かなり不透明な2年間でした。 客観的な歴史的事実が存在せず、都合のいい想像の解釈だけがあったことを受け入れるとしても、非常に刺激的な時代でした。歴史の改竄に陥ることなく、公的な歴史の描写とは違った、幻想の入った事実という視点に興味があったのです。
Q:物語は1945年3月9日、日本軍によるクーデター(明号作戦)を起点にしています。
A:シャルル・ド・ゴール将軍がインドシナの奪回を願ったとき、トンキンを占領していた日本軍は激しく抵抗しました。彼らの支配力をはっきりと示すために、同じ日の同時刻に複数のフランス軍駐屯地を攻撃し、多くの兵士、女性、子供を虐殺したのです。この攻撃にもかかわらず、ド・ゴール将軍は態勢を変えず援軍を送りました。運命のいたずらで、日本軍は広島への原爆投下で被害を受けて撤退します。フランス軍は現地の統制を取り戻そうとしましたが、ベトナムの分離独立主義者がその間に自信をつけ、自分たちの国の奪回に身を投じ始めました。このような状況の中で映画は始まります。虐殺を免れた兵士である主人公ロベール・タッセンは、軍隊に再入隊し、兄の死の原因となったホー・チ・ミンが率いる軍のヴォー・ビン中尉を探し出そうとします。
Q:伝統的な戦争映画の枠に収まらない作品ですね。
A:この戦争も当初は非常に古めかしく、有機的な意味で非常に身体的なものでした。北ベトナムのジャングルはその植生のせいでさらに息苦しく感じ、過激な気候を強いています。この攻撃的な環境は生き延びようとする必要性に人々を導きますが、これらの人々はそれほどまでに死に近い場所にいたことはありませんでした。決して姿を現さない敵に生死を左右され、目に見えないベトミン(ベトナム独立同盟の兵士)への強迫観念を助長しました。この実態のない命という大前提は、ある意味、兵士の問題をさらに強調しています。戦場で私たちが目の前にしているのは、まだ生きている死者なのでしょうか。それとももうほとんど死んでいるような生存者なのでしょうか。
Q:この戦争をどのように理解しましたか。
A:当時と現在の間には世代的な隔たりがありますが、植民地の影響が長期にわたって残る国を訪れると、私たちはまだ対立者のままであるとよく感じます。 植民地化の行為は人類に対する犯罪として捉えることができるでしょうし、強制占領はそのうちのひとつです。これは1939年にドイツ軍がフランスで行った方法です。私たちのレジスタンス活動を誇りに思っていますが、戦後に引き継がれた政府は他の国に対して同じ策略を繰り返し続けてきたのです。ベトナムにおける植民地主義の被害を否定できないのは、第三共和制末期の指導者たちがこれらの民族を扱った方法がおぞましいものだからです。
Q:その一方で、本作の意図は植民地主義の告発ではなく、実存の探究にあるように思えます。監督は最初から復讐と不可能な愛を対立させながら、内的な戦いというプリズムを通して戦争を描きたいと願ったのでしょうか。
A:そのふたつは密かな方法で少しずつ編み上げられていきます。登場人物が抱える執拗さから遠ざかっていくことを望みましたが、その方向変換は同じような強度を持った別の執拗さによって引き起こされなければなりませんでした。ふたつの葛藤は、破壊的で錯綜した奈落にロベールを突き落とすのです。ここに描かれている時期は、明確に表さなければいけない歴史的な背景ではありますが、私が興味を持っているのは人間の運命なのです。愛に閉じ込められることと復讐は、衝動に突き動かされています。理性ではなく、個人的な混乱に駆られた内的な戦いにロベールは身を投じるのです。
Q:唯一、ロベールを救おうとするサントンジュという登場人物について語ってください。
A:サントンジュは単なる観察者の側に立っており、侵略勢力であるフランス軍と抵抗するインドシナ当局の両方と接しており、独立を奪回するためのベトナム人の一世紀にわたる闘いを理解しています。 サントンジュ役のジェラール・ドパルデューは、ロベールの父親代わりであり、彼を触発して問題や両義性を提示し、一種の心の安らぎを吹き込むキャラクターを演じています。ロベールがなかなか受け入れられない、観念的な解決策を提案しているのです。彼はすべての妥協を自らに禁じているように、愛と復讐を同列に置いて選ぶことを強いていますが、残念ながら選ぶことは諦めることでもあるのです。
Q:ロベールが執拗に追うヴォー・ビンは、彼にとってのカーツ大佐(『地獄の黙示録』)なのでしょうか。
A:幸いなことに違います。カーツ大佐は圧倒的なキャラクターだけに、参照から免れることは難しいですが、私の作品はどちらかと言うと、ピエール・シェンデルフェール監督の『La 317ème Section』(65)に近いでしょう。私の意見ではこのジャンルで最も重要な作品で、敵の姿をほぼ見せることなく、ありのままのミニマルな方法で戦争を扱った最初のフランス映画です。死に至るのを待つ重みを感じさせ、戦いの不在を非常に強烈な方法で視覚的に表している傑出した作品です。
Q:本作はさまざまな形で戦争の恐怖、暴力を表現しています。
A:暴力は人々を魅了します。それは私たちを共感と困惑、拒絶と不安に陥らせます。暴力を強く批判することはできますが、同時に私たちの命の強度に関わっていることも受け入れなければいけません。その魅力が抱える、煮え切らないパラドックスです。多くの文学作品の中には、痛みと恐怖が美と陶酔と通じ合う映像的な喚起が見受けられます。戦争がこれらのすべてを同時に封じ込めるとまでは言いませんが、生存本能が極限へと駆り立てられ、感情が著しく興奮させられるほど強度のある世界なのです。
Q:作品の最後には、非常に驚くべき固い決意、そして物語上驚かされる一撃がありますね。
A:復讐を描かなければならず、物語を進めるためには、これを確かめて実践する必要がありました。それにロベールが彼自身の結末にたどり着くかどうかを知ることは、もはや重要ではありませんでした。重要だったのは、彼が決断するかを知ることでした。彼が殺されたのか、殺したのかは、同じことに帰結するのです。なぜならば、ふたつの場合は共に彼をマイから引き離すので、同じ方向に向かっているのです。これは理解不可能で、受け入れることがほぼ不可能なことですが、愛を諦めることは非常に美しい決断なのです。なぜならば欲望の対象に手が届かないと同時に、それは不変のものになるからです。これはあなたが生きている限り生き続け、残酷であると同時に犠牲にもなるのです。つまり愛を維持する最良の方法は、最も愛が激しいときに諦めることなのです。
Q:主演俳優には最初からギャスパー・ウリエルを考えていたのですか。
A:ギャスパーを初めて発見したのは『ハンニバル・ライジング』でしたが、血に飢えた若き殺人者の役を演じるために、彼の演技は驚くほど効果的で、非常に信憑性があると思いました。それ以来、私たちが一緒に仕事ができる企画を見つけることを期待しながら、ギャスパーのキャリアを強い関心を持って追ってきました。彼には心を乱させる異常さが混ざり合った、天賦の才能と類いまれな正確さがあります。登場人物の肉体に強く培わられる、感情の幅広さを与えてくれる曖昧さが彼にはあるのです。演技とは神秘的なことで、登場人物から想像したことに部分的に答えると同時に、気づかなかったことも提案しなければならない。ギャスパーはこの創造的な領域を素晴らしく満たしてくれました。
1984年、仏ブローニュ=ビヤンクール生まれ。1990年代後半からTVシリーズに出演し、『ジェヴォーダンの獣』(01)で映画デビュー。パリ第8大学で映画を専攻するかたわら、アンドレ・テシネ監督の戦争ロマンス『かげろう』(03)でエマニュエル・ベアールの相手役に抜擢される。ジャン=ピエール・ジュネ監督と組んだ『ロング・エンゲージメント』(04)では、3度目のノミネートにしてセザール賞有望若手男優賞を初受賞。さらにハンニバル・レクターの若き日を演じた『ハンニバル・ライジング』(07)で世界中の注目を集めた。その後も、持ち前の端正なルックスのみならず演技力に磨きをかけ、天才デザイナーのイヴ・サンローランに扮した『サンローラン』(14)で初めてセザール賞主演男優賞にノミネート。グザヴィエ・ドラン監督と組んだ『たかが世界の終わり』(16)で同賞を受賞した。そのほかの主な出演作は『THE LAST DAY』(04・未)、『パリ、ジュテーム』(06)、『ジャック・ソード 選ばれし勇者』(07・未)、『約束の葡萄畑 あるワイン醸造家の物語』(09)、『インサイドゲーム』(09・未)、『ザ・ダンサー』(16)、『グザヴィエ・ドラン バウンド・トゥ・インポッシブル』(16)、『ワンネーション・ワンキング』(18・未)、『エヴァ』(18)など。ギョーム・ニクルー監督が企画を務めたTVシリーズ「トワイス・アポン・ア・タイム」(19)でも主演を務めている。
イメージ・フォーラム:13:30-15:23(103分)
http://www.imageforum.co.jp/theatre/movies/3627/
ここが最も「死」に近い場所。第二次世界大戦末期、仏領インドシナの戦場。大量虐殺をただ1人、生き延びたフランス人兵士。傷ついた魂が行き着く果てとは。
1945年3月、フランス領インドシナ。駐屯地での殺戮をただひとり生き延びたフランス人兵士ロベールは、兄を殺害したベトナム解放軍の将校ヴォー・ビン・イェンへの復讐を誓い、部隊に復帰する。しかし険しい密林でのゲリラとの戦いは苛烈を極め、憎きヴォー・ビンの居場所は一向につかめなかった。その悪夢のような日々のなか、マイというベトナム人の娼婦に心惹かれるロベールだったが、復讐の怨念に駆られる彼はもはや後戻りできない。やがて軍規に背く危うい行動を繰り返し、理性を失ったロベールは、さらなるジャングルの奥地に身を投じていくのだった・・・。
ひとりの若きフランス人兵士の壮絶なる肉体と魂の彷徨を通じて本作があぶり出すのは、まさしくこの世の地獄というべき戦場の生々しい現実だ。透徹したリアリズムにほのかな幻想性が入り混じった映像世界、観客に想像と解釈の余地を広げた独特のストーリーテリングも実に刺激的。心身共にずたずたに傷ついた主人公の“行き着く果て”とは・・・。多くの日本人にとって知られざる、衝撃的な歴史の闇をえぐり出した戦争ドラマである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/この世の果て、数多の終焉
結局は、フランス植民地主義の映画である。
ベトナム・インドシナと日本軍との関係は知っておくべき。
1940年9月仏印北部、1941年7月仏印南部に、日本軍駐留。(フランス・ヴィシー政府)
https://ja.wikipedia.org/wiki/仏印進駐
1941年12月太平洋戦争
1945年3月9日ー12日 ランソン事件 (日本軍:明号作戦(仏印武力処理)フランス軍降伏。
https://ja.wikipedia.org/wiki/明号作戦
日本軍は、ヴィシー政権といえども植民地主義のフランスと、インドシナにおいて、日仏協力関係(協定)を築いていたのだ。アジアの解放の内実は、こんなものなので有る。