岩井俊二監督作品『チィファの手紙』予告【2020年9月11日公開】
初恋、めぐる―
『Love Letter』『スワロウテイル』『花とアリス』
岩井俊二監督が描く、もうひとつの“ラストレター”
ふたつの世代を超えて綴られる死から始まる淡く切ないラブストーリー
岩井俊二監督が松たか子、福山雅治らを迎えて手がけた「ラストレター」の前に、同じ自身の小説を原作に中国で製作した、もうひとつの「ラストレター」。岩井監督にとっては初の中国映画で、「ラストレター」同様の過去と現在の2つの世代を通してつむがれるラブストーリーが描れる。亡くなった姉のチーナン宛に同窓会の招待状が届き、妹のチィファは姉の死を知らせるために同窓会に参加するが、姉の同級生たちに姉本人と勘違いされてしまう。さらに、そこで初恋相手の先輩チャンと再会したチィファは、姉ではないことを言い出せないまま、チャンと文通することになる。姉のふりをして始めた文通が、やがて初恋の思い出を浮かび上がらせていき……。出演は中国4大女優に数えられるジョウ・シュン、「空海 KU-KAI 美しき王妃の謎」にも出演したチョウ・シュンら。
2018年製作/113分/G/中国
原題:Last Letter
配給:クロックワークス
公式サイト:https://youtu.be/jB-b9We2EVQ
INTRODUCTION
2020年1月に公開された岩井俊二監督の『ラストレター』。「手紙」をモチーフに、懐かしさと新しさを同時に兼ね備えた芳醇な映画世界は多くの人の心を潤した。あの物語が、今度は中国を舞台に繰り広げられる。『チィファの手紙』は、『ラヴソング』で知られる名匠ピーター・チャン監督をプロデュースに迎え、岩井監督が自らメガホンをとった一作。だが、セルフリメイクという表現は当たらない。撮影は、日本の『ラストレター』に先駆けて行われ、中国での公開も2018年。つまり、『チィファ』のほうが「お姉さん」なのである。
ある同窓会が中学時代の恋をよみがえらせる。30年ぶりに再会した女性と男性。女性は亡き姉のふりをし、男性はかつてその姉に恋をしていた。そして、妹は彼のことが好きだった。中核が不在のままのトライアングルは、やがて始まるふたりの「文通」によって思いもかけない拡がりを見せ、あるひとつの奇跡へと辿り着く。
ひとりの女性の死が、残された人々にもたらす影響。だが、それは必ずしも、悲しみばかりではない。妹は、恋人は、そして子供たちは、その死によって、めぐり逢い、かけがえのない時間をともに分かち合うのだ。
岩井俊二にしか物語ることのできないオリジナルストーリーのありようは中国版でも基本的に変わらない。だが、岩井が執筆した小説「ラストレター」と映画『ラストレター』の味わいが大きく違っていたように、『チィファの手紙』も独自の芳香が薫りたつ。
夏休みの設定が冬休みになり、中国の風土と中国人キャストの演技が積み重なることで、同じはずの物語がまったく異なる趣に。糸電話の導入という細部から、最終盤の夜間長回し撮影によるドラマティックなエモーション創出に至るまで、大小さまざまな差異が、豊かに響きあう。 『ラストレター』が軽やかでさわやかな後口だったとすれば、『チィファの手紙』はしっとりしみじみとした余韻。脚本と小説を「母親」と捉えるなら、中国、日本の映画二篇はまるで、対照的な性格の「双子の姉妹」のよう。 この秋、わたしたちは、「もうひとつの感動」に出逢うことになる。
STORY
姉、チィナンが死んだ。彼女宛に届いた同窓会に出かけ、そのことを伝えようとした妹、チィファだったが、姉に間違えられた上、スピーチまでするはめに。
同窓会には、チィファが憧れていたイン・チャンも来ていた。途中で帰ったチィファをチャンが追いかけ、呼びとめる。
チャンがチィナンに恋していたことを知っていたチィファは姉のふりを続けた。連絡先を交換するが、チャンが送ったメッセージのスマホ通知を、チィファの夫ウェンタオが目撃。
激昂し、チィファのスマホは破壊されてしまう。仕方なくチィファは、チャンに住所を明かさないまま、一方通行の手紙を送ることに。かくして始まった「文通」は、思いもかけない出来事を巻き起こす……。
PRODUCTION NOTE
出発点
出発点は、岩井俊二監督がぺ・ドゥナを主演に迎え、韓国で撮影したショートムービー『チャンオクの手紙』。この作品を長編にしたらどうなるか? この想定から企画開発が始まった。脚本を完成させた岩井監督は、日本、中国、韓国の三ヶ国でそれぞれ別の作品として創るというアイデアを思いつく。
中国は外国映画の上映本数が限られており、アニメーション以外の日本映画が公開される機会はこれまで非常に少なかった。ところが、映画祭でしか上映されていない岩井作品のファンが中国には大勢いることを、監督は訪中するたびに痛感していた。そんな中国の観客のために、中国の映画館で上映できる「中国映画」を撮りたい。その願いを実現するため尽力したのが、監督の古くからの友人で同世代のピーター・チャンだった。監督としてのみならず、プロデューサーとしても数々の成功を収めてきたピーターは、香港から中国に移り、この10年で築き上げてきた万全のチームを岩井のために提供。日本人監督が中国映画に挑戦することは難関との定評を大きく覆すことになった。
ローカライズ
ピーターの尽力もさることながら、こうした成功を支えた第一の要因は、ローカライズに時間をかけ、丹念に作り上げていったことにある。 脚本を翻訳して、中国人俳優が中国語で演技することで中国映画ができるわけではない。そうしたアプローチでは、現地の中国人が観て違和感のない作品には仕上がらない。そのために、ローカライズは欠かせない。
最も困難だったのは、回想シーンだった。チィファやチィナンの中学時代である1988年は、日本の1988年とはまるで違う。今回の舞台である旅順などの地方には車が走っていないし、スーパーマーケットも存在せず、夕ご飯のための買い物は道端に並ぶ市場が中心の時代だった。
チィナンにピアノを弾かせる設定も、その時代の一般家庭にはピアノなどなかったという。また、姉妹それぞれを自転車に乗せる画をイメージしても、一家に自転車が二台あるのはおかしい。犬を飼わせようとしてしても、ペットを飼う余裕のある家はほぼ皆無だったと伝えられた。中国人にとってのリアルを追求していった結果、日本版にはない、過去と現在の「距離」が顕著なビジュアルになった。時代の差が風景になり、風情を生んだのである。
ローカライズで重要なのは設定だけではない。会話の受け答えも、ただの翻訳では齟齬が発生する。日本語には当たり前の表現が中国語にはない。また、日本人なら何も言わないような場面でも、中国人なら何か言葉を口にするほうが自然。ネイティヴの中国人が納得できるような台詞をシーンごとに構築していった。まず、一度翻訳したものを中国の舞台役者たちに集まってもらい録音。その録音音源について、参加者全員でディスカッションしながら、あくまでも中国人にとって違和感のない会話劇を積み重ねていった。
撮影時も、ローカライズを意識した。たとえば、人と人との距離感。そして話し方。国が違えば、会話におけるマナーも違う。日常に根ざした物語であるからこそ、現実感ある所作の創出は必要不可欠だった。
徹底したローカライズが創り上げた「中国映画」としての達成は、中国で有名なトーク番組の司会者が岩井に伝えた言葉からもよくわかる。「あなたが外国人で初めてちゃんと中国映画を撮ることに成功した映画監督ですね。おめでとうございます」
キャスト
ピーター・チャンによるプロデュースの賜物だろう。中国人スターが集結。豪華な競演を見せた。
だが、そうした俳優陣だけでなく、岩井監督ならではのキャスティングもある。中国では年配の俳優は、中国独自のドラマ芝居に染まっている人が多く、岩井ワールドが求める演技とはトーンがズレることが多い。
そこで、高年齢のキャラクターに関しては一般の方にもオーディションに参加していただき、演技経験のない人も積極的に起用。たとえば、チィファの両親を演じているのは、チィファの実家として撮影にお借りした家に実際に住んでいるご夫婦。「なるほど」と納得させられる、岩井流キャスティングだった。
キャスティングと言えば、岩井監督自身がキャスティングされる一幕も。現地の映画宣伝部が、ティザーポスターに監督を「起用」したのだ。
映画の撮影がお休みの日にポスターを撮影。監督:岩井俊二。プロデューサー;ピーター・チャン。主演:ジョウ・シュン。この3人のコラボレーションを全面に押出してプロモーションしたい。それが宣伝部のコンセプトだった。監督がポスターに登場することは日本ではまずありえないが、中国でも異例のことだという。岩井俊二は中国でそれだけのバリューがあるということなのだろう。
極寒の冬の海での撮影。そのとき使われたカチンコやヘッドフォンという小道具は、『四月物語』『リリイ・シュシュのすべて』のイメージビジュアルへのオマージュ。そして、3人が並んで歩く姿は『PiCNiC』を想起させた。こんな一コマからも、中国映画界の岩井映画へのリスペクトが感じられた。
DIRECTOR’S INTERVIEW
岩井俊二監督は、『チィファの手紙』のキャストを次のように語る。
まず、主人公ユエン・チィファを演じた中国四大女優のひとり、ジョウ・シュンについては「生き方そのものが自然体。魂が自由。そんな方」と表現し、「自分の爪を水色にしたいと提案してくれました。その色が僕の中でもキーカラーになって、どこかでずっとこだわっていました」と語る。日本版では松たか子が快演したヒロインだが、たしかにジョウ・シュンはドラマティックな事態の推移に柔軟に対応するチィファのフリースタイルなありようを魅力的に妙演。ネイルの水色は、映画全体のカラーに対する差し色としてヴィヴィッドに機能している。なるほど、ジョウ・シュン自身が自由な魂の持ち主だったからこそ、本作は最後まで駆け抜けることができたのかもしれない。
また「さりげない仕草に深みのある人です。プライベートでは伊能静さんを奥さんに持つ方です」とは、イン・チャン役のチン・ハオのこと。日本版では福山雅治が体現した役どころだが、上海でくすぶっている売れない小説家をチン・ハオは、丹念な所作の積み重ねで精緻に表現。繊細さとこだわり、真剣さと包容力の同居した作家らしいキャラクターをリアルに出現させた。
回想シーンのチィファと、チィファの娘サーランの二役に扮したチャン・ツィフォンについは「才能に満ち溢れた若き女優です」と絶賛。「泣くシーンでは何度演じてもちゃんと同じタイミングで泣くのです」と続ける。中国版のタイトル『チィファの手紙』には、二重の意味がある。それは現代のチィファがイン・チャンに送った手紙。そして中学生のチィファが若き日のチャンに渡した手紙のことである。ツイフォンの涙が、チィファの失恋を名シーンにしたことは誰もが納得するだろう。
中学生時代のチィナンと、チィナンの娘ムームーを演じた美少女ダン・アンシーのことは「お姉ちゃん役でしたが、実は年下です。勘がよく、微妙なニュアンスも理解してくれました」と評する。物静かで、おしとやかなチィナンの内なる芯を、日本版の広瀬すずとはまた違ったタイプのキャラクターとして表現。岩井監督が言う通り、難しい感情の体現は、まさに理解力のなせる技だろう。
日本版では庵野秀明が演じたポジションを強烈なインパクトで見せつけるのは、ジョウ・ウェンタオ役のドゥー・ジアン。「いろいろユニークなアイディアのある人です。キレるシーンは現場が凍りつきました」と岩井監督は言う。たしかに、日本版ではバスタブにスマホを放り込むのに対して、ジアンがやったのは、スマホをシャワーで水責めした挙句、シャワースペースの床に叩きつけるという超破壊的行為。いつもはジェントルな物腰でいかにも優しげな夫に見えるだけに、あの落差は強烈。ここも『ラストレター』との大きな違いのひとつかもしれない。
映画『ラストレター』は、監督が初めて故郷、宮城県で撮影を行った作品だったが、『チィファの手紙』にはこんなエピソードがある。
「ロケ地の大連は母の生まれた場所だったので、僕にとってある意味、故郷です。そういう地で撮影できたのは忘れがたい想い出です」
つまり、このプロジェクトは、岩井俊二が「ふたつの故郷」に再会する旅でもあったのだ。大連を選んだのは、街並みや建物の印象からで、あくまでもまったく偶然ではあったものの、中国〜日本をまたぐ連作は、「呼ばれていた」側面もあったのではないか。
また、『ラストレター』と『チィファの手紙』の最も大きな違いについては、次のように話す。
「弟の設定が小説、中国版、日本版でだいぶ違います」
なぜ変わったかと言えば、中国映画として撮る上では「緻密なローカライズ」を意識していたからだ。
当初、チェンチェンはサーランの弟の設定だったが、一人っ子政策の時代に姉弟がいるのは不自然との指摘があり、貧しいチィナンの家にふたり子供がいて、きちんと届けを出さずに育ててきたというリアルなシチュエーションに変更。ムームーの弟となった。そのことで、母チィナンの死がチェンチェンに重くのしかかり、より奥行きのある展開が生まれたのだという。ローカライズを徹底したことで、映画的なシークエンス(終盤の夜間長回しはこれまでの岩井作品では見たことのない新境地だ)が誕生。有機的な成果へと結びついた。
なお、中国版と日本版では、撮影スタイルも異なっている。
「日本版は、エピソードをだいぶ削って、ワンシーンごとをゆっくり描きましたが、中国版は欲しいエピソードを全部撮影して、そこから編集で選びました。そこは少し贅沢させていただきました」 なるほど、場所やキャスト、夏休み、冬休みの違いだけでなく、クリエーションの根本に違いがあったのだ。同じ物語のはずなのに、「伝わり方」にかなり変化があるのは、おそらくこのことも大きいはずである。
原作・脚本・監督 岩井俊二
映像と物語で紡ぐ深夜ドラマで刮目され、「岩井美学」と称された彼は1995年、待望の長編監督デビュー。その映画『Love Letter』は、類稀なる叙情世界が日本のみならず中国と韓国でも感涙を呼び、アジア各国に岩井ファンが生まれた。翌年、ソリッドな視点による『PiCNiC』がベルリン国際映画祭に出品される。さらに破格のSF大作『スワロウテイル』(1996)が大反響を呼び、一躍時代の寵児に。その後、可憐な小品『四月物語』(1998)で人々の心を潤したかと思えば、インターネット時代の到来に先駆け新時代の過酷な青春映画『リリイ・シュシュのすべて』(2001)を世に放つ。同作はベルリン映画祭や上海国際映画祭でも受賞。ショートムービーの連作を発展させた『花とアリス』(2004)、独創的なドキュメンタリー『市川崑物語』(2006)、アメリカ産のオムニバス映画『ニューヨーク、アイラブユー』(2010)ではオーランド ・ブルームとクリスティーナ・リッチを演出。続く『ヴァンパイア』でもアメリカ人俳優をメインキャストにアメリカで撮影。サンダンス映画祭やベルリン映画祭などに出品された。3.11を巡る画期的なドキュメンタリー『friends after 3.11 劇場版』(2012)、アヌシー国際アニメーション映画祭に招かれた初長編アニメーション『花とアリス殺人事件』(2015)と映画の越境を続ける。奇想天外な話法で観る者を圧倒した『リップヴァンウィンクル の花嫁』(2016)に続き、2020年1月には『ラストレター』を公開。
T・ジョイPRINCE品川: 11:30-13:35 (113分)
https://eiga.com/news/20191126/8/
https://eiga.com/news/20200127/3/
https://eiga.com/news/20200717/8/
https://eiga.com/news/20200521/3/
「ラストレター」Last Letter