予告編
第40代ウルグアイ大統領、ホセ・ムヒカ。収入の大半を貧しい人々に寄付し、質素でありながらも心豊かな暮らしを実践する彼の人生を、巨匠エミール・クストリッツァが追いかける。パワフルな愛に溢れた感動のドキュメンタリー!
「アンダーグラウンド」の名匠エミール・クストリッツァ監督が、南米ウルグアイの第40代大統領で、質素な暮らしぶりから「世界で最も貧しい大統領」とも称されたホセ・ムヒカを捉えたドキュメンタリー。収入の大半を貧しい人々のために寄付し、質素でありながらも心豊かな暮らしを実践してきたムヒカ。国民のより良い生活のために自己犠牲をいとわず、予想外の政策を打ち出す彼の姿に、「世界でただ1人腐敗していない政治家だ」と直感したクストリッツァ監督は、2014年から撮影を開始。大統領の任期が満了する感動の瞬間までをカメラに収めた。極貧家庭に育ち、左翼ゲリラとして権力と戦い、13年に及ぶ勾留生活を経て、大統領として国民に愛されたムヒカの波乱万丈な人生を追う。
2018年製作/74分/G/アルゼンチン・ウルグアイ・セルビア合作
公式サイト:https://pepe-movie.com
introduction
人口345万人、人より牛が多い南米の小国ウルグアイから飛び出した
世界でいちばん貧しい大統領ホセ・ムヒカのドキュメンタリー
収入の大半を貧しい人々のために寄付し、職務の合間にはトラクターに乗って農業に勤しむ。風変わりだけど自然体で大統領という重責を担った、南米ウルグアイの第40代大統領ホセ・ムヒカ。「世界で一番貧しい大統領」と全世界から注目を浴びるようになったのは、2012年のリオデジャネイロでのスピーチだった。まん丸な体とやさしい瞳のムヒカから放たれたのは、環境危機を引き起こしている真の原因は、消費至上主義であるという鋭くも真っ当な指摘。経済発展は必ずしも人類の幸福に結びついておらず、むしろ経済格差が広がり続ける現状を憂い、怒り、よりよい未来に向けて行動を起こせと呼びかけたのだ。このスピーチは世界中に感動を与え、ムヒカは2013年、14年とノーベル平和賞にノミネート、日本でも多数の本が出版され2016年には初来日を果たした。
ムヒカを尊敬する映画監督エミール・クストリッツァが
その功績と意外すぎる過去を掘り起こす!
国民のより良い生活のために自己犠牲をいとわず、予想外の政策を打ち出すムヒカ。そんな姿に憧れる映画監督がいた。それは故郷ユーゴスラビアの混沌とした時代と庶民をパワフルに描き、世界三大映画祭で絶賛された名匠エミール・クストリッツァだ。民族や宗教の対立が故郷を引き裂く悲劇に巻き込まれたクストリッツァは、トラクターに乗る大統領の存在を知り、「世界でただ1人腐敗していない政治家だ」と直感。2014年からムヒカの撮影を開始し、大統領としての任期満了する感動の瞬間までをカメラに収めた。極貧家庭に育ち、左翼ゲリラとして権力と戦い、愛するパートナーと離ればなれの苛烈な拘留生活を経て、大統領として国民に愛されたムヒカ。波乱万丈の人生が終盤にさしかかった彼が語る言葉に、今こそ耳を傾けたい。
エミール・クストリッツァ監督 インタビュー
なぜホセ・ムヒカについてのドキュメンタリーを撮ろうと思ったのですか?
何年も前に、フランスにいた時、誰かがトラクターを運転する大統領がいる、と教えてくれたんだ。その写真を見て「次はこの映画を撮る」と決めた。世界中で彼だけが腐敗していない唯一の政治家だと思ったんだ。彼は自分の給料を極度の貧困生活を送る人々に与え、「大多数に選ばれし者は、上流階級のようにではなく、大多数と同じように暮らさなければならない」と語っている。社会を改善するために必要なことすべて理解しているんだ。
彼の生涯を追ってみると、「ぺぺ」はゲリラであった時、人を誘拐したり、銀行強盗を働いたり、ファシストとの紛争に身を投じていた。でも服役中に勉強し、ついには農業大臣、首相、そして第40代ウルグアイ大統領になった。13年間も収監され、囚人として登録されないまま、次から次へと移動させられたんだ。彼が任期を終える時、国民が皆、泣いている姿を目の当たりにし、私はとても驚いたよ。本当に大変な騒ぎで、良いショットを撮ろうとするなかで、脚を骨折しかけたほどだ。まるでローリング・ストーンズが街に突然やって来たかのようだったよ。
監督は、妻であり、ウルグアイ副大統領でもあるルシア・トポランスキー夫人にもスポットを当てています。なぜでしょうか?
ルシアが彼の成功の最大の秘訣からだよ。2人が出会った時、彼女はゲリラ組織で文書偽造の仕事をしていた。その後2人は何年も引き離されたわけだけど、離れ離れになっていると、相手のことをどれだけ想うか、また愛情がどんなに助けになるかについて、ルシアは話してくれた。政治活動と愛は常に切っても切れない関係だったんだろうね。
ムヒカさんのユーモアのセンスにも驚かされますね。多くの政治家たちが面白く振舞おうとして大抵失敗していますが、彼は違いますね。
その通り。前立腺を患っている人向けに携帯電話にはトイレを付けるべきだよね(笑)。彼は、この世に対して、ほとんど両極端と言えるくらい2面性の態度を示すんだ。映画の中で誰かが嫌なことを言い始めると、それに対して反応するが、ジョーク好きな彼は笑えるようなことを返す。これこそが彼の人生の極みだろう。人生を楽にする。結局、彼が人生で経験したことを考えれば、笑うか気がフレるかのどちらかだ。実際、彼の政策に賛成していない男性を何とか1人、見つけられたのは運が良かった。民衆が彼をあまりに愛していて、うさん臭いくらいだったからね(笑)。
監督:エミール・クストリッツア Emir Kusturica
1954年11月24日、旧ユーゴスラビアのサラエボ(現ボスニア・ヘルツェゴビナ)出身。セルビア人の父とモスレム人の母の元に生まれ裕福な幼少期を過ごす。18歳でプラハの国立映画学校FAMUへ入学。初の長編映画『ドリー・ベルを覚えてる?』(81)でヴェネチア国際映画祭新人監督賞を受賞。続く『パパは、出張中!』(85)でカンヌ国際映画祭パルム・ドール、『ジプシーの時』(89)で同じくカンヌ国際映画祭監督賞を受賞。アメリカに移住後発表した『アリゾナ・ドリーム』(93)でベルリン国際映画祭審査員賞を受賞。その後勃発したボスニア分賞により自宅の略奪や父の死を経験したクストリッツァは自国の状況を世界に訴えるため『アンダーグラウンド』を制作、2度目のカンヌ国際映画祭パルム・ドールに輝く。その後もヴェネチア国際映画祭で監督賞を受賞した『黒猫・白猫』(98)、カンヌ国際映画祭コンペ部門に出品された『ライフ・イズ・ミラクル』(04)、『オン・ザ・ミルキー・ロード』(16)などがある。俳優としても活躍している。
1978年、チェコのプラハ芸術アカデミー監督学科を卒業。その後、故郷サラエボでTV映画を監督する。81年、長編第1作「Do You Remember Dolly Bell?(英題)」で第38回ベネチア国際映画祭の初監督作品賞を受賞。続く「パパは、出張中!」(85)は、第38回カンヌ国際映画祭でパルムドールとFIPRESCI賞(国際批評家連盟賞)を受賞した。カンヌでは、「ジプシーのとき」(89)で監督賞、「アンダーグラウンド」(95)で2度目のパルムドールに輝き、05年には審査委員長を務めるなど縁が深い。自身初の英語作品「アリゾナ・ドリーム」(92)は第43回ベルリン国際映画祭の審査員特別賞、「黒猫・白猫」(98)はベネチア国際映画祭の銀熊賞(最優秀監督賞)を受賞。「オン・ザ・ミルキー・ロード」(16)では監督・脚本・主演を兼ねた。劇映画だけでなく、「SUPER 8」(01)や「マラドーナ」(08)といったドキュメンタリー映画も監督し、クリスチャン・カリオン監督の「フェアウェル さらば、哀しみのスパイ」(10)などでは主演を務めた。
ホセ・ムヒカ José Mujica
1935年5月20日生まれ。チェ・ゲバラに感銘を受けゲリラ組織トゥパマロスに参加。都市型ゲリラ活動に従事。活動中に後の妻となるルシア。トポランスキーと出会うが、その後、13年近くに及ぶ長い投獄生活を送る。1985年に45歳で解放されると、1994年には仲間と結成した左派政治団体から立候補し初当選、2005年にタバレ・バスケス大統領の下で農牧水産相として初入閣。2010年ウルグアイ第40代大統領に就任。2012年にブラジルで行われた「国連持続可能な開発会議」でのスピーチで世界の注目を浴びる。2013年、14年には2度、ノーベル平和賞にノミネートされる。2015年3月1日、大統領退任。
1935年ウルグアイ生まれ。幼い頃より、パン屋、花屋などで働き、10代から政治活動を始める。60年代は当時の独裁政権に反抗する非合法政治組織「トゥパマロス」に参加。ゲリラ活動による4度の投獄を経て解放。その後、1994年に下院議員に初当選。1999年に上院議員に当選。2004年に上院議員に再当選。2005年~2008年に農牧・水産大臣に就任。2010年3月~2015年2月末まで第40代ウルグアイ東方共和国前大統領を務めた。給料の大半を貧しい人のために寄付し、公邸での居住を拒否。歯に衣着せぬ物言いが話題に。2012年、「国連持続可能な開発会議」でのスピーチで世界の注目を浴びる。現、上院議員。趣味は花の栽培。
kino cinema 横浜みなとみらい:14:45-16:05 (74分)
https://natalie.mu/eiga/pp/pepe-movie
オン・ザ・ミルキー・ロード : 特集
https://eiga.com/movie/85587/special/
「ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ」
2012年、ブラジル・リオデジャネイロで開かれた国連会議にて、現代の消費社会を痛烈に批判し、人類にとっての幸せとは何かを問うたウルグアイ大統領のホセ・ムヒカ。その感動的なスピーチ動画が瞬く間に世界中で話題になったことで、田部井監督は当時ディレクターを務めていたテレビ番組で彼を取り上げることになる。ウルグアイへ渡った監督はそこで一度も日本に訪れたことのないムヒカが、日本の歴史や文化にとても詳しく、尊敬していることに驚かされる。なぜ、ムヒカは日本のことをよく知っているのか? その後もその疑問の答えを突き止める為に監督は何度もウルグアイへと渡り、大統領退任後のムヒカへの取材を重ねる。ムヒカの言葉に心を動かされた監督は多くの日本人にムヒカの言葉を聞いてほしいと願うようになり、ムヒカ自身も訪日を熱望。絵本の出版社の協力を得て、彼の来日が実現する……。