予告編
https://eiga.com/news/20200201/1/
フランスの名匠クロード・ルルーシュ監督が1966年に手がけ、第19回カンヌ国際映画祭パルムドールとアカデミー外国語映画賞、脚本賞を受賞した名作恋愛映画「男と女」のスタッフ&キャストが再結集した続編。前作の主演アヌーク・エーメとジャン=ルイ・トランティニャンが同じ役柄を演じ、53年後の2人の物語を過去の映像を散りばめつつ描いた。元レーシングドライバーのジャン・ルイは、現在は老人ホームで暮らし、かつての記憶を失いかけている。ジャン・ルイの息子はそんな父のため、父がずっと追い求めている女性アンヌを捜し出すことを決意。その思いを知ったアンヌはジャン・ルイのもとを訪ね、別々の道を歩んできた2人はついに再会を果たす。
公式サイト:http://otokotoonna.jp
イントロダクション
“愛の伝道師“クロード・ルルーシュ監督が紡ぐ
忘れられないあの物語が、長い時を経てスクリーンに蘇る…
恋愛映画の金字塔『男と女』のスタッフ・キャストが再集結!
1966年に大喝采を浴び、世界中が心を奪われた傑作フランス映画『男と女』。男女の機微を見事に描いた恋愛映画の金字塔として、いまなお語り継がれている。あれから53年。カンヌ国際映画祭の最高賞パルムドールをはじめ、アカデミー賞®で最優秀外国語映画賞を受賞した愛の物語がふたたび動き出す。
いまや記憶を失いかけている元レーシング・ドライバーの男ジャン・ルイ。過去と現在が混濁するなかでも、かつて愛した女性アンヌのことだけを追い求めていた。そんな父親の姿を見た息子は、アンヌのことを探し出す決心をする。そしてついに、別々の道を歩んでいた2人は再会を果たすことに。長い年月が過ぎたいま、アンヌとジャン・ルイの物語がまたあの場所から始まろうとしていた……。
アンヌを演じるのは、『男と女』でゴールデングローブ賞の主演女優賞を受賞し、アカデミー賞®においても主演女優賞にノミネートされた女優アヌーク・エーメ。類まれなる美貌と変わらぬ気品でスクリーンに華やかさを加えている。対するジャン・ルイも、前作に引き続き名優ジャン=ルイ・トランティニャンが続投。近年も『愛、アムール』(12)でセザール賞の主演男優賞に輝くなど高く評価されているが、年齢を重ねたがゆえの重厚な存在感で観る者を魅了する。
監督を務めたのは、フランスの巨匠クロード・ルルーシュ。エスプリに富んだ会話は、さまざまな男女を描き続けた“恋愛の名手”ならでは。1作目の名シーンを織り交ぜながら、新たなラブストーリーを紡いでみせた。そして、音楽を手掛けたのは、ルルーシュ監督の盟友で、昨年惜しくもこの世を去った作曲家のフランシス・レイ。お馴染みの「ダバダバダ…」のスキャットで始まる『男と女』のテーマ曲は、色褪せることのない名曲として愛され続けている。本作でも、遺作となった大人の色気を感じさせる曲の数々で愛のメロディを響かせ、作品に彩りを加えた。
50年以上の時を経て、同じキャスト・スタッフが再集結するという奇跡が実現。「愛は時に素晴らしく、そして難しいということを示した説明書のような作品」と語るルルーシュ監督が贈る“恋愛映画の真骨頂”がついに誕生した。誰もが一度は経験したことのある愛の喜びと痛み。心の奥にしまい込んだはずのきらめきが、いま蘇る。
ストーリー
とある海辺の施設で余生を送っている男ジャン・ルイ。かつてはレーシング・ドライバーとして、一世を風靡する注目を集める存在だった。
ところが、いまでは徐々に過去の記憶を失い始め、状況は悪化するばかり。そんな父親の姿を心配したジャン・ルイの息子アントワーヌは、あることを決意する。
それは、ジャン・ルイが長年追い求め、愛し続けてきた女性アンヌを探すことだった。
ある日、アンヌの居場所を突き止めたアントワーヌは、アンヌが経営するお店を訪れ、ジャン・ルイの近況を説明すると、「もう一度、父と会って欲しい」と申し出る。
後日、アンヌはジャン・ルイのいる施設を訪れ、久しぶりの再会を果たす2人。
しかし、相手がアンヌだと気が付かないジャン・ルイは、アンヌへの思いを話し始めるのだった。
そこでいかに自分が愛されていたかを知ったアンヌは、ジャン・ルイを連れて思い出の地であるノルマンディーへと車を走らせる。
長い空白を埋めるように、2人の物語が新たに始まろうとしていた……。
アヌーク・エーメ(アンヌ)
1932年4月27日、フランス・パリ生まれ。両親ともに俳優の家庭で育ち、ダンスを習い始めたのちに演劇講座にも通うようになる。14歳のときにアンリ・カレフ監督の目に留まり、1946年に『密会』で映画デビュー。その後、詩人で脚本家のジャック・プレヴェールが彼女のために脚本を書いた『火の接吻』(49)で一躍注目を集める。以降は、『モンパルナスの灯』(58)やフェデリコ・フェリーニ監督の『甘い生活』(60)、『81/2』(63)などに数多く出演し、その美貌と独特の存在感で絶大な人気を得た。1966年の『男と女』では、ヒロインのアンヌを演じ、ゴールデングローブ賞と英国アカデミー賞で主演女優賞を受賞。米アカデミー賞®においても主演女優賞にノミネートされるなど、世界的な評価を獲得する。結婚を機に一時は一線から退くものの、1976年の『愛よもう一度』で復帰を果たすと、1980年には「Salto nel vuoto(原題)」でカンヌ国際映画祭の女優賞を受賞。名実ともにフランスを代表する女優の一人として、2000年代に入るとセザール賞名誉賞やベルリン国際映画祭金熊名誉賞などの賞に輝く。そのほかの主な出演作は『男と女II』(86)、『プレタポルテ』(94)、『フレンチなしあわせのみつけ方』(04)など。私生活では4度の結婚と離婚を経験した。3番目の夫は『男と女』の共演者でもあるピエール・バルー。
ジャン=ルイ・トランティニャン(ジャン・ルイ)
1930年12月11日、フランス・ヴォクリューズ県生まれ。実業家の息子として法律を学んでいたが、20歳のときにパリで演劇に魅了され、演技やダンスの勉強を始める。1951年になると俳優として舞台に立ち、シェイクスピア劇などで経験を積む。1955年に『空と海の間に』で映画デビューすると、立て続けに映画作品に出演。その後、クロード・ルルーシュ監督作『男と女』(66)で一躍有名になり、国際的な人気を集めるようになる。『消される男』(67)でベルリン国際映画祭男優賞、さらに1969年には自らプロデューサーを務めた『Z』でカンヌ国際映画祭主演男優賞を受賞。1973年には監督作品も発表し、幅広い才能を発揮する。繊細な知性派スターとしての地位を確立すると、フランソワ・トリュフォー、ジャン=リュック・ゴダール、ミヒャエル・ハネケといった名だたる映画監督たちに愛され、これまでに100本以上の映画に出演を果たす。主な代表作は、『暗殺の森』(70)、『日曜日が待ち遠しい!』(83)、『男と女II』(86)、『トリコロール 赤の愛』(94)など。2012年には9年振りの映画出演となった『愛、アムール』でセザール賞の主演男優賞を受賞した。女優ステファーヌ・オードランとの結婚後、ブリジット・バルドーとの交際でも話題となったが、その後再婚した映画監督のナディーヌ・トランティニャンとも離婚を経験する。
クロード・ルルーシュ(監督)
1937年10月30日、フランス・パリ生まれ。ユダヤ系アルジェリア人の家庭に育ち、幼い頃から映画に興味を持つ。報道カメラマンとしてキャリアをスタートさせると、1956年から16ミリの短編映画を撮り始める。1960年にはプロダクション会社Les Films 13を設立し、初の長編となる「Le propre de l’homme」を監督。その後、いくつかの作品を発表するが、いずれも興行的に失敗に終わり、破産状態に追い込まれてしまう。そんななか、最後の作品と決断し製作した『男と女』(66)が世界的な大ヒット。カンヌ国際映画祭のパルムドールをはじめ、アカデミー賞®外国語映画賞など40以上の賞を獲得した。当時はまだ無名だったが、この成功がきっかけで一躍脚光を浴びるようになり、一流監督として認められる。以後、作曲家のフランシス・レイと組み、映像と音楽によるスタイリッシュな大人の恋愛映画を発表し続ける。主な監督作は『パリのめぐり逢い』(67)、『白い恋人たち』(68)、『流れ者』(70)、『恋人たちのメロディー』(71)、『続・男と女』(77)、『愛と哀しみのボレロ』(81)、『男と女 II』(86)、『レ・ミゼラブル』(95)、『アンナとアントワーヌ 愛の前奏曲』(15)など。監督デビュー以降、精力的に映画作りを続けており、本作が49作目。すでに50本目も制作中である。
フランシス・レイ(音楽)
1932年4月26日、フランス・ニース生まれ。幼い頃から音楽に魅了され、アコーディオンを学び始めると、地元のオーケストラで演奏するようになる。その後、マルセイユでジャズと歌手のクロード・ゴアティに出会うと、彼女の勧めでパリのモンマルトルへと移り住む。そこで、数々の出会いや経験をし、シャンソン歌手のエディット・ピアフやイブ・モンタンなどの伴奏や作曲を担当するようになる。のちにピエール・バルーの紹介でクロード・ルルーシュ監督と出会い、『男と女』(66)の音楽を手掛けることに。この作品の大ヒットによって、世界中でその名を知られるようになると、映画音楽家としてのキャリアを本格的にスタートさせる。特に、クロード・ルルーシュ監督とは長年にわたってタッグを組み、『パリのめぐり逢い』(67)や『白い恋人たち』(68)をはじめ、35本もの作品をともに作り上げた。そのほかの映画監督たちからも多数声が掛かり、100本以上の映画に600曲以上を提供。1970年には、アーサー・ヒラー監督の『ある愛の詩』でアカデミー賞®作曲賞を受賞した。映画音楽において、フランス人として最高の売り上げを記録している作曲家とされている。本作では、「The Best Years of a Life」と「My Love」の2曲の楽曲を完成させるが、2018年にこの世を去ったため、これが最後の作品となった。
TOHOシネマズシャンテ:14:55-16:35 (90分)
インタビュー
クロード・ルルーシュ監督
プロダクションノートに代えて
再会の時
この作品が生まれるまでに、あらゆることがあった。最初にあるイメージが浮かんだ。50年以上前のある朝、ドーヴィル・ビーチで遠くに女性と犬がいる。これは日常生活そのもので、このイメージに導かれて他の部分を作り上げていった。記憶からこぼれおちてしまわないような、上質な映画が必要だった。明け方のパリを走り回ってデートの思い出を作ったり、落ち込んだり自分を奮い立たせたりしながら、失敗と成功を何度も繰り返した。自分がいいと思ったことをできる自由が必要だった。アヌーク・エーメとジャン=ルイ・トランティニャンという時代を超えた魅力を持つ俳優たちが必要だった。そして、この素晴らしい俳優によって演じられる、ふたりの登場人物の旅を通して人生観を描きたいと思っていた。
『男と女 人生最良の日々』は、私たちの人生のある瞬間をリアルに映し出している。過去と現在の映像を組み合わせることで、どちらも鮮やかに描くことができる。そうすることでこの作品は、だれもが自分に置き換えられるような、普遍的な物語になる。
ふたりは新しいスタートを迎える。52年経って、ジャン=ルイとアヌークに再会したことに深い喜びを感じた。その瞬間、時間が止まり、当時の感情が蘇ってきた。当時と今、ふたつの異なる時代のジャン=ルイとアヌークの姿によって、私たちの感情はさらに強く掻き立てられる。
自由で自立した作品
この作品は『男と女』の続編ではない。『男と女』を見ていない人にも見てもらえる作品にしなければ、と思っていた。『男と女』に頼らず、『男と女 人生最良の日々』をしっかりと自立させる必要があった。
本作は、1966年に大きな反響を呼んだ男女の恋愛を再び描いている。お互いの心に残った記憶についての物語だ。最初のフラッシュバックでは、アヌーク・エーメがジャン=ルイに「愛してます」と電報を送っている。この言葉で彼らの人生は180度違うものになってしまう。すべては、女性が「愛してる」と言う勇気を持った、特別な瞬間に始まるのだ。誰かに気持ちを伝えることは最も難しい。その気持ちを口にする、または相手から言われると、その人の人生は新たな意味を持つようになる。その瞬間、自分が生まれてきたことが正しいことのように思えてくる。体じゅうを駆け巡る血、流れる汗、涙、すべてが価値のあるものに感じるのだ。「あいしてる」というたった5文字が全てを補ってしまう。このアイデアをもとに『男と女 人生最良の日々』を作りあげた。この作品のイメージは映像をはるかに超えて、私たちの記憶の一部となった。まるで、ふたりの恋愛を体験したかのように。ひとりの女性が伝えた「愛してる」は、いま、世界中の人々のものになった。
第3クオーター
『男と女』の50周年記念のパーティーで、ジャン=ルイとアヌーク・エーメが話をしているのを見かけた。ピエール・バルーとフランシス・レイも出席していた。笑い声が飛び交い、みんな楽しい時間を過ごしていた。当時のスタッフや俳優たちが、再び集まることができたのが嬉しかった。未完成の何かを残しているけど、だれもがそれを終わらせたくない、という気持ちだった。私は、心のなかで密かに考えた。このふたりを映画のなかで再会させたらどうだろう、作品のなかでのふたりは、永遠の婚約者のように最後の言葉がまだ交わされていないのだ。
『男と女』のプロジェクトを完全に自由な形で続けることは、これまでの仕事のなかで一番の賭けだと思った。この年齢になって、私はアヌークとジャン=ルイにほとんどなんでも言うことができるようになっていた。私もふたりも、人生の第3クオーターにさしかかっている。日常生活の中で、人は自分の気持ちを抑えることが多いが、今になってようやく、本音を言い合えるようになった。
それから数ヶ月経って、再びジャン=ルイに会った。その時にもこの男の映画を撮らなければ、と強く思った。その想いは義務のようになっていた。ジャン=ルイがこれまで言葉にしてきたこと、そして心に秘めてきたこと、そのすべてがその表情から見て取れる。「私と一緒に、もうひとつ映画をつくらないか?」ジャン=ルイは、最初、続編は必要ないのでは、と考えていた。もし、完成したものを私たちが気に入らなければ、絶対に公開しない。そう伝えると、ジャン=ルイの表情が明るくなった。私に手を差し伸べて「よし、わかった」と言ってくれた。その言葉を聞いて、私はアヌークにも話をしに行った。
アヌークは、すぐに賛成してくれた。彼女は私にはノーと言えない性格なのだ。だが、アヌークもジャン=ルイや私と同じことを心配していた。それでも私は、やってみなければ、と思った。あるアイデアについて確信を持っているのが自分だけなら、真実に最も近い場所にいるのは自分だけなのだ。
数ヶ月後、アヌークとジャン=ルイに冒頭のシーンを見せると、ふたりは「絶対にこの作品を世界に公開しよう」と言ってくれた。
人生をかけたシーン、映画のなかの人生
俳優のふたりがプロジェクトに賛成してすぐに、共同で脚本を手がけたヴァレリー・ペランとピエール・ユイッテルヘーベンとともに、主役のふたりが再会するシーンを書きはじめた。ふたりは近くに座っている。それは、悲しくもあり、無意味でもある。人目を忍んで再会したふたりだが、それには重要な意味がある。このシーンのアイデアが浮かんだとき、このシーンを撮るだけでも、作品を完成させる価値がある、と思った。もし、できあがったものが20分の短編だったとしても、これさえ撮ることができれば、それでかまわない、と思った。その20分には人生をかける価値がある。しかし、このシーンの後に続くもの――登場人物たちの状況、感情、交わし合う約束――を撮っていると20分をはるかに超える作品になっていた。
初めて出会った瞬間に、全ての感情が、驚きが、その後の破滅が、ユーモアが、そしてすべての恋愛物語の中心に潜む矛盾が凝縮されている。人生と同じくらい複雑だが、私は、年齢を重ねるにつれて人間の愛に関する物語が好きになっていく。その不完全さですら美しいのだ。ふたりが再会する場面から考え始めた。お互いに伝えあうこと、言えないこと。お互いを表す言葉全て。ふたりを止めるものはなにもない、というアイデアから作品を組み立てていった。これは、『男と女』を作った私たちみんなの歴史でもあるのだ。記憶が耳にこうささやく。人生に偶然なんてない、人々はただ必然的に出会うだけなのだ。そして、この作品が完成するためには、たくさんの出会いが必要だった。
『男と女』
『男と女』を作ったとき、私は26歳だった。当時、アヌークはフェデリコ・フェリーニ監督の作品に、ジャン=ルイはロジェ・ヴァディム監督の作品に出演し、スター俳優として活躍していた。不思議なことに、『男と女 人生最良の日々』も『男と女』も、制作にかける想いは同じだった。
当時、私は6作品連続で制作し、どれも興行収入的には失敗に終わっていた。それで『男と女』は、最後の作品だと思いながら作った。これで最後だと思うと、人は自分が持っているもの全てを注ぎ込む。失うものは何もないからだ。『男と女』のプロジェクトが動き出す前、すでに脚本を30ページほど書き進めていたが、だれも賛同してくれなかった。プロデューサーも、配給会社もだれひとりとして、私のアイデアに応じる者はいなかった。
『007』シリーズの1作目が公開された頃で、映画業界に携わる人間はだれもが『007』のような作品を作りたがっていた。そこで、私は自ら借金をして、ひとりでプロジェクトを始めることにした。この作品が失敗したら、他の仕事を探さなければ、と思っていた。
1組の俳優と女優の映画ではなく、1組の男女についての映画を作りたい、と考えていた。アヌークとジャン=ルイにも伝えたのだが、この違いはものすごく大切だった。全てのシーンを撮り終えると私たちは、もしかしたらいい作品ができたかもしれない、と思った。しかし、世界中でこれほど有名な映画になるとは、この時は考えもしなかった。
愛について悩んだことのある人なら、だれでも『男と女』に共感できる。この映画は、愛は時に素晴らしく困難だということを示した、説明書のような存在になった。
私たちは、『男と女』でカンヌ国際映画祭のパルムドール、アカデミー賞®に続き、40以上の国際的な賞を受賞した。そのうちすぐにあらゆる劇場で公開されるようになり、世界中の観客の心を動かした。『男と女』で私の人生は一変し、さらに制作に携わったみんなの生活を変えてしまった。こんな素晴らしい作品に出会ったら、当然、以前の自分と同じではいられないだろう。
自分で進む道を選ぶ
『男と女』が成功した後、ハリウッドの製作会社からものすごい数のオファーがくるようになった。スティーヴ・マックィーン、マーロン・ブランドという映画界のカリスマとも言える2大俳優と作品を作ることができたかもしれない。しかし、時間が経つにつれて、あることに気づいた。今仕事を依頼してきている会社が、私に対して本当に望んでいることは、プロデューサーをはじめとした脚本にしばられた仕事をすることだ。その役職には、創造の自由は一切ない。なかには、契約の時点で、決まった台詞やシーンを組み込むことが約束されている俳優もいた。しかし、そのような作品は映画とは呼べないと思う。私は当時、そういった仕事の依頼を丁寧に断り、自分のために開かれていた道へ向かって、わずかな真実を探しながら戻ることにした。自然に発生した演技や台詞を重視して映画作りを進めていった。『男と女』の成功によって、自由な映画の作り手になるチャンスを得たのだ。どの作品も言ってみれば実験のようなものだった。これまでに49作品を作ってきたが、49回とも初心に戻って挑んでいた。毎回、どういう物語を映画で表現できるのか模索していた。
太陽の下の13日間
『男と女 人生最良の日々』の撮影期間は異例の短さだった。素早く撮影を進めること、そして俳優たちの自然な瞬間を捉えることが必要だった。リハーサルの段階で煮詰まったり、撮影中に横道にそれたりすることは許されない。そうは言っても、前もって準備をしておきたくはなかった。私だけでなく、アヌークもジャン=ルイも同様に不安だった。撮影が始まると、初めて監督した短編『C’ETAIT UN RENDEZ-VOUS』で車を運転したときの気持ちが蘇ってきた。それは人間の存在意義のようなもので、私は人生を駆け抜けていく。1976年のパリの街並みを車で走り抜けたように。赤信号を無視して走り、危険を冒し、逆境に直面する。この作品が成功したのは、私に監督としての力があったわけではない。そんなものは遥かに超えて、人生そのものが映し出されているのだ。
撮影初日に現場に行くと、絞首台に上げられたような気分になった。しかし、首にかけられた輪縄が締められることはなかった。反対に絞首台を降りることを許され、自由になった。しかしそれでもまだ、人生で最も恐ろしい時間だった。
撮影において、光は必要不可欠だ。私は太陽の光を見て、外で撮りたいと思っていたので、アヌークの髪の後ろから、できる限り最高の光を当てることが必要だった。
最初のシーンは、アヌーク演じるアンヌの店で撮影した。ジャン=ルイの息子(アントワーヌ・シレ、『男と女』でもジャン=ルイの息子役を演じていた)は、逃げだした女性、そして、父親がまだ想いを寄せている女性のもとを訪ねた。このとき、スアド・アミドゥ(『男と女』でもアヌークの娘役を演じていた)も同じ場所にいる。最初の作品、『男と女』で小さな子どもだったふたりが、いまは60歳になっている。こういう要素によって、登場人物同士のやりとりがリアルで現実味を帯びたものになる。
撮影2日目、アヌークとジャン=ルイが再会するシーンを撮影した。19分間、カメラを回し続けた。アドリブはほとんどない。ふたりがセットに入って位置につくと、私が脚本の台詞を小声で伝え、彼らはその通りに動いた。こんなふうにふたりは脚本を理解し、自然な瞬間をカメラが捉える。ふたりの再会をできるだけ自然に描きたかったので、リハーサルはしなかった。当日の朝、メイクの間にふたりに台詞のメモを渡し、読んでもらったが、こちらからは特になにも言わない。その夜、自宅に帰り、突然泣きそうになった。いままでの自分のキャリアのなかで、最も美しいシーンを撮影したと実感したからだ。
時系列に沿って各シーンを撮影していった。そうすることで、ジャン=ルイが、アヌークと一緒のシーンを重ねるごとにエネルギーを取り戻していく様子を撮ることができた。きっちり決まった脚本はあるが、ふたりの再会のドキュメントを撮っているようだった。この作品は中心に台詞がある。登場人物たちが交わす言葉は、作品にとって極めて大切だ。
50年間とホテルの部屋
最後に、私は52年(制作時)待ってからこの作品を作れたことがとても幸運だと感じている。幸運は我慢強く待っている者のところに訪れるものだ。『男と女 人生最良の日々』の中心にあるのは、驚きの感情と自然な描写だ。私はこの作品に関して、何もしていないように感じる。アヌークとジャン=ルイに「この日にノルマンディーに来てくれ」と言っただけだ。
アヌークとジャン=ルイが、ノルマンディーのあるホテルにやってきた。そこは『男と女』でふたりが初めて愛を確かめあった場所だ。私は、ふたりの反応をじっと見ていた。まるで犯人を犯行現場に連れてきたような気持ちになった。ちなみにその部屋は、今では記念館のようになっている。ふたりの落ち着かない気持ちが見て取れた。彼らは女優と俳優ではなく、一組の男女になっていた。
ふたりを駅や砂浜、それから『男と女』の物語が生まれたあらゆる場所に連れて行った。彼らの表情から、感情が変化し、新たな感情が生まれていくのが分かった。どんな監督にもこの瞬間は作り出せない。どんな優秀な制作チームにもこの瞬間は演出できない。全く別の次元の出来事だ。私は無意識のうちに、52年の間に生み出してきた作品を象徴するような作品を撮っていたのだ。だからこの『男と女 人生最良の日々』は奇跡のような作品なのだ。
不安が幸せに変わるとき
不安に感じ恐れていたことが、突然、楽しいゲームになった。さらに私たちは、重要な脇役を演じる素晴らしい俳優たちにも恵まれた。モニカ・ベルッチは、ジャン=ルイの娘、エレナを演じた。彼女は短い撮影期間のなかで、エレナという役に強さを与えてくれた。それは、彼女でなければ出せないものだった。マリアンヌ・ドニクールは、この作品にユーモアを与えてくれた。優しく明るいマリアンヌは、わたしたちを照らす光のような存在だった。
アヌークは、はっとするほど美しく、それでいて愛らしく上品だ。ジャン=ルイのユーモアと人生観に触れたとき、彼はどれだけのことを経験してきたのだろうと思った。私は、ジャン=ルイが人生のなかで培ってきた人間性を感じることができて嬉しく思った。これまでの経験すべてが、彼の栄養となっているのだ。『男と女 人生最良の日々』では、ジャン=ルイのとなりでアヌークも輝いている。彼女はジャン=ルイの幸運の女神であり、記憶やエネルギーの象徴なのだ。
この作品で描かれるふたりの再会は、一組の男女の姿を映し出している。男は、これまでたくさんの女性を愛し、人生を楽しんできた。不誠実で、世界中のありとあらゆる欠点を抱えている。この男は、いつまでもユーモアと遊び心を忘れず、どんなことも恐れない。一方、女は相手への忠誠と真実の愛を信じていた。
死はこの作品には含まれない――あるのは希望だけだ。こんなに美しいジャン=ルイとアヌークを見たのは初めてだ。最後にふたりが一緒に歩いて去っていく様子は幸せでもあり、感動的でもある。まるで、ふたりの冒険家を見ているようだった。撮影しながら、私は自分の目がうるんでいるのに気づいた。
「最良の日々はこの先の人生に訪れる」by ヴィクトル・ユーゴー
愛とは時間の芸術で、その時間は誰もが持っている、そこには、ありとあらゆる美しさが潜んでいる。私の作品の主役たちに与えられた時間は、スクリーンのなかでの1時間ほどしかないが、そのひとときは最高のものになる。そう思ったから、ヴィクトル・ユーゴーの言葉を引用した。「最良の日々はこの先の人生に訪れる」この言葉が長い間ずっと頭から離れず、これまでの作品に密かに影響を与えている。いつも、今が最高に素晴らしいのだ。
音楽!
フランシス・レイにこの作品について話したとき、彼もジャン=ルイと同様、乗り気ではなかった。私は、フランシスが生み出す最高の音楽が必要なんだと話した。『男と女』にとって、音楽はなくてはならないものなのだ。この映画の特徴を一言で表すとしたら、美しい音楽、だと思う。今回、「The Best Years of a Life」と「My Love」の2曲を作ってほしいと依頼した。フランシスが手がけた最後の2曲であるこれらの楽曲は、最高の作品に仕上がっている。
今回の作品で誰と一緒に音楽を作りたいか、とフランシスに尋ねたところ、カロジェロの名前が挙がった。ちょうどその頃、彼のミュージックビデオを制作したところで、タイミングは最高だった。カロジェロは本当に素晴らしい人物なのだ。そこで、彼を誘ってフランシスのところへ行くと、フランシスは作曲したばかりの2曲を聞かせてくれた。カロジェロはすっかり感激してしまって、その場ですぐに返事をしてくれた。
そんなわけで、フランシスとカロジェロとの楽曲作りが始まった。さらにもうひとり、ディディエ・バルブリヴィアンにも声をかけていた。そして、ニコル・クロワジールが『男と女』に続いて、その唯一無二の声と雰囲気で助けてくれた。私は、ニコルとカロジェロの声を楽曲で出会わせたいと考えていた。ふたりの声があわさると、見事に永遠の時間を表現することができるのだ。
フランシス・レイは、この世を去るまでずっとレコーディングの現場に顔をだしていた。カロジェロの歌声に感動し、ただただ嬉しそうにしていた。
その後、カロジェロが私のもとを訪ねてきた。ものすごく恐縮した様子で、ある楽曲を手渡した。自分で作った曲で、もしかしたら、この作品にあうかもしれない、と言う。聞いてみると、美しいワルツで、すぐにこの曲にぴったりのシーンが浮かんだ。カロジェロは『男と女』のテーマを編曲できたことに、とても感動していた。カロジェロが手がけたテーマ曲は、現代に作られたものだが、信じられないほど濃密でこの作品にうまくはまっている。
男と女 人生最良の日々
作品が編集の工程に入ると、私は自分の作品を観る最初の観客になる。ジャン=ルイの表情が初めてスクリーンに映ったとき、まるで思い出が記憶の表面に顔を出すようにカメラがゆっくりと捉える。そして、アヌークの表情。戸惑ったような、すべてを悟ったような顔をしていた。私の目からは、涙が溢れていた。まるで、私自身が彼らの表情やそこに残る昔の面影を再発見しているようだった。52年前に撮ったふたりが出会うシーンが戻ってきたような感覚だった。半世紀も前のことだ。私は、この作品の再会シーンを観て再び涙した。
これまで、過去と現在を織り交ぜた作品をいくつも作ってきた。しかし、今回の作品では、自分がずっと理想として夢見てきたものに到達できた気がする。『男と女 人生最良の日々』では、現在と同時に遠い過去が描かれており、同じ人物がそれぞれの時代を演じている。特殊メイクはなし、若き日の主人公たちを演じる役者もいらないし、もちろん年取った主人公たちを演じる役者もいらない。人生そのものであり、その神話――アヌークとジャン=ルイについて私たちがイメージすること――は、それ自体が物語と混ざり合い、ますますリアルになっていく。この作品は、心を揺さぶるメタドラマだ。ユーモアに満ちていて、同時に時間の経過に対する最後の挑戦のようなものなのだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/男と女