https://www4.nhk.or.jp/P4235/x/2020-01-03/10/4244/2899080/
https://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2020-01-03&ch=10&eid=04244&f=4235
番組内容
前回オリンピックのあった1964年をカレンダー形式で発掘映像でたどる。ドラマ「いだてん」の主人公・田畑政治のリアルストーリーなど、激動の1964年を追体験する。
詳細
「首都美化はオリンピックの一種目」と200万人が一斉清掃、ビル密集の大都会に首都高速建設の秘策、下町で愛された「おばけ煙突」、特攻機の開発の反省から生まれた新幹線、わずか1年半で完成した東洋一のホテル、太平洋戦争の戦地を走った聖火リレー、カンヌ映画祭でグランプリに輝いた「東洋の魔女」の猛特訓。ドラマ「いだてん」には描かれなかった、アナザーストーリー。夢と希望の時代の真実を発掘映像で描く。
出演者ほか【語り】山田孝之,山根基世
https://togetter.com/li/1451187
https://ja.wikipedia.org/wiki/映像の世紀プレミアム
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/92899/2899080/
市川崑監督の映画「東京オリンピック」の未公開フィルムが残されていました。東京大会の山場のひとつであるアベベと円谷幸吉が激走を繰り広げた男子マラソンでは、コースの沿道だけでなく屋根の上まで人々が埋め尽くして応援する姿が映されています。詰め掛けた市民は120万。直木賞作家の山口瞳はこう述べています。
「『オリンピックはやっぱり参加することに意義がありますね』と友人がいった。そこで、私もマラソンに参加して百万人のなかの一人になった。ゴザを敷いてカサをさしてすわっているおばあさんがいる。漫画本を何冊もかかえこんだ小学生がいる。ほらみろ、運動会と同じじゃないか。黒い人、黄色い人、白い人、みんな勝ってもらいたい。これがオリンピック精神だろう。運動会の精神である。アカ勝テ、シロ勝テ、キイロ勝テ!」(報知新聞1964年10月22日より)
2020年の東京大会のマラソンは札幌に変更されましたが、当時の映像を見ると「参加することに意義がある」と言われるオリンピックの精神を最も体現している種目はマラソンなのだと改めて感じました。
今回の「映像の世紀プレミアム」は、「東京 夢と幻想の1964年」と題してオリンピックに沸いたあの年を正月から大晦日まで日めくり式に見ていきます。
実は当初、国民は東京オリンピックに無関心でした。この年の6月にNHKが都民1500人に対して行なった世論調査では、「近頃どんなことに、一番関心をもつか」という問いに対して「オリンピック」と答えた人は、わずか2.2%でした。では、都民の関心が何だったのかというと、渇水です。日照りと急激な人口増加によって水が不足。7月には、一日12時間の断水を伴う給水制限が行われ、「東京砂漠」が流行語となりました。しかし、8月、東京に恵みの雨が降り渇水の危機が去った翌日、ギリシャで聖火リレーが始まると、市民の関心は一気にオリンピックに集まります。
聖火は、日本軍がかつて戦場としたアジアの国々を走りました。日本が平和国家に生まれ変わったことをアジアの国々に示すとともに、アジア初のオリンピックに直接参加してもらいたいと考えたからです。このアイデアは、オリンピック東京大会組織委員会の事務総長を務めた田畑政治によるものでした。そう、大河ドラマ「いだてん」の主人公です。
「アジア全体のオリンピックであって、東京はその代表選手として、開催地たる光栄を担うということ。アジア各国の青少年に聖火リレーのトーチを持って走ってもらったことで、東京大会開催の重要な役割を担ってもらうことが出来た。」(田畑政治の回顧録より)
1964年は決してバラ色ではなく、人々は数々の苦難を乗り越えてオリンピックを成功へと導きました。東京の道や川はゴミに溢れ、「首都美化はオリンピックの一種目」のスローガンのもと都民200万人が一斉清掃に動員されました。五輪関連費は国家予算の3分の1に達し、首都高速道路などの都市改造による粉塵と騒音で生活環境も悪化しました。さらに、佃の渡し、お化け煙突といった懐かしい風景も消えていきました。しかし、開幕の9日前には新幹線がぎりぎり開通。かつて戦争のために使われた日本の底力を今度は平和のために使いたいという人々の想いが、オリンピックを成功へと導いたのです。
特に印象に残ったのが、「東洋の魔女」と呼ばれたニチボウ貝塚の女子バレーチームを撮影した記録映画「挑戦」です。この作品は、カンヌ映画祭の短編部門でグランプリを受賞しています。
選手たちの一日は朝6時半の起床に始まり、8時から夕方4時半までそれそれの職場で働きます。そして、仕事が終わるとすぐに体操着に着替え、毎日夜中まで練習に励みます。「鬼の大松」と呼ばれた監督・大松博文は、選手の体力が限界を超えてもなお、ボールを打ち続けました。休みは正月3日間だけ。「女性の敵」と批判されても、大松は意に介しませんでした。辛い練習の中にこそ、真の喜びがあると信じていたのです。
「わたしは太平洋戦争中、多数の日本軍将兵が食べるものもなく死んでいった、ニューブリテン島のラバウルあたりとか、インパール作戦では、インドのコヒマあたりですごしました。もう死ぬのだと観念しつづけでした。人はある時期突然に、まったく新しい自己を発見することがあるものです。苦しみもがき、ぎりぎりの瀬戸ぎわに立ちつくしたとき、突如として訪れる光明であります。この意味において、なにごとにもあれ、それをなすには、生命をかけることが要求されるのでは、ありますまいか。」(大松博文著「おれについてこい」より)
「あの頃はよかった」とノスタルジーで語られることが多い1964年ですが、当時の人々の生き様を見るともっと複雑な思いを感じます。ぜひ、大河ドラマ「いだてん」の時代を当時の映像で追体験してみてください。
(NHKエンタープライズ エグゼクティブ・プロデューサー 伊川義和)
番組内容
「首都美化はオリンピックの一種目」と200万人が一斉清掃、ビル密集の大都会に首都高速建設の秘策、下町で愛された「おばけ煙突」、特攻機の開発の反省から生まれた新幹線、わずか1年半で完成した東洋一のホテル、太平洋戦争の戦地を走った聖火リレー、カンヌ映画祭でグランプリに輝いた「東洋の魔女」の猛特訓。ドラマ「いだてん」には描かれなかった、アナザーストーリー。夢と希望の時代の真実を発掘映像で描く。
https://blog.goo.ne.jp/onscreen/e/89a491c2502c7aff16f3737e9b24422d
https://www.nhk-ondemand.jp/program/P201400121100000/
https://www.amuse.co.jp/works/program/