予告編
世界三大映画祭を制したイランの名匠ジャファル・パナヒが、自身の思いを投影させた3世代の“女優”。
彼女たちの心の旅路が観客を深い余韻へと誘うヒューマン・ミステリー。
カンヌ国際映画祭コンペティション部門脚本賞受賞作
「人生タクシー」「これは映画ではない」などで知られるイランの名匠ジャファル・パナヒが、過去・現在・未来の3つの時代をシンボリックに体現する3人の女優の心の旅路を描いたヒューマンミステリー。イランの人気女優ベーナーズ・ジャファリのもとに、見知らぬ少女から動画メッセージが届く。その少女マルズィエは女優を目指して芸術大学に合格したが、家族の裏切りによって夢を砕かれ自殺を決意。動画は彼女が首にロープをかけ、カメラが地面に落下したところで途切れていた。そのあまりにも深刻な内容に衝撃を受けたジャファリは、友人である映画監督ジャファル・パナヒが運転する車でマルズィエが住むイラン北西部の村を訪れる。ジャファリとパナヒは現地で調査を進めるうち、イラン革命後に演じることを禁じられた往年のスター女優シャールザードにまつわる悲劇的な真実にたどり着く。2018年・第71回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で脚本賞を受賞した。
公式サイト:http://3faces.jp
Introduction
長編デビュー作『白い風船』(1995)でカンヌ国際映画祭カメラ・ドール(新人監督賞)、『チャドルと生きる』(2000)でヴェネチア国際映画祭金獅子賞、『オフサイド・ガールズ』(2006)でベルリン国際映画祭銀熊賞を相次いで受賞。わずか10年余りで世界三大映画祭を制したジャファル・パナヒ監督は、その快挙によって名実共にイランを代表する国際的なフィルムメーカーとなった。しかし社会の不条理な現実を描いたことで政府当局と対立し、2度にわたる逮捕を経験。2010年には20年間もの映画製作禁止を命じられた。
それでもパナヒは自宅軟禁中に作り上げた『これは映画ではない』(2011)をカンヌなどに出品し、その後も『閉ざされたカーテン』(2013)、『人生タクシー』(2015)を発表。断固として権力の圧力に屈しない姿勢と、実験精神やユーモアに満ちあふれた作風で賞賛を集めてきた。そして待望の最新作『ある女優の不在』では、首都テヘランから遠く離れた地方の村でロケーション撮影を実施。過去、現在、未来の3つの時代をシンボリックに体現する3人の女優をめぐる深遠なドラマを映像化し、2018年の第71回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で脚本賞を受賞した。
イランの人気女優ベーナズ・ジャファリのもとに、見知らぬ少女からの悲痛な動画メッセージが届いた。その映画好きの少女マルズィエは、女優を志して芸術大学に合格したが、家族の裏切りによって夢を砕かれて自殺を決意。その動画はマルズィエが首にロープをかけ、カメラ代わりのスマートフォンが地面に落下したところで途切れていた。動画のあまりにも深刻な内容に衝撃を受けたジャファリは、友人である映画監督ジャファル・パナヒが運転する車でマルズィエが住むイラン北西部の村を訪れる。マルズィエは本当に命を絶ってしまったのか。やがて現地調査を行うジャファリとパナヒは、イラン革命後に演じることを禁じられた往年のスター女優シャールザードにまつわる悲劇的な真実を探りあてていくのだった……。
女性がサッカーのスタジアム観戦を禁止されているイスラム国家社会の実情をコミカルにあぶり出した『オフサイド・ガールズ』に代表されるように、ジャファル・パナヒ監督は声高に社会批判を叫ばず、独自のテーマをあっと驚くユニークな切り口で描くことで知られている。この最新作でも、スマホで撮影された縦長サイズの“遺言動画”によるミステリー調の導入部から観る者の目を釘付けにし、意外性に富んだロードムービー形式のストーリーに引き込んでいく。
そんなパナヒが挑んだのは、映画/芸術の表現の自由、女優/女性の人生という切実なテーマだ。女優としての“未来”を奪われた少女の自殺問題を発端とする物語は、“現在”を生きる有名女優ジャファリの心を激しく揺さぶり、イラン革命前に活躍しながらも今は隠遁生活を送る元スター女優シャールザードの悲劇的な“過去”を浮かび上がらせていく。時制を操るフラッシュバックなどの技巧に頼ることなく、長回しショットを多用した現在進行形の映像世界に3世代の女優の人生を交錯させたパナヒの魔法のような演出に、誰もが魅了されずにいられない。
とりわけ鮮烈な印象をもたらすのは、村外れの小さな家で暮らすシャールザードのエピソードだ。理不尽な抑圧によって女優のキャリアを絶たれた彼女は、劇中ほんの数秒間のシルエットと後ろ姿のショット以外はスクリーンに姿を見せることがない。人目を避けながらも今なおアーティストであり続けるシャールザードの気高き生き様とその“不在”に、自らも映画製作を禁じられているパナヒの思いが投影されている。そして映画の終盤、世代を超えて心を通わせたジャファリとマルズィエが、シャールザードに触発されたかのように新たな一歩を踏み出していく姿も深い感動を呼び起こす。
また、劇中にはイラン北西部の曲がりくねった道のショットが幾度となく登場する。その2台の車がすれ違えないほど狭く、一寸先も見通せない険しい道は、イラン映画史を振り返ったパナヒが、それぞれの時代における芸術家たちの苦難を象徴的に映像化したもの。パナヒの師匠でもある今は亡き巨匠、アッバス・キアロスタミ作品の“ジグザグ道”を彷彿とさせるそのイメージには、フィクションとドキュメンタリーの垣根を軽々と超え、豊かな余白やメタファーによって観る者の想像力を刺激してやまないパナヒの作家性が凝縮されている。
Story
洞窟のような場所をさまよい歩いているひとりの少女が、自らが手にしたスマートフォンのカメラと向き合い、悲痛な面持ちで話し始める。「私は昔から映画が大好きで、ずっと女優を夢見てきました。寝る間も惜しんで勉強し、テヘランの芸術大学に合格した。でも、夢は砕け散った」。少女の名前はマルズィエ(マルズィエ・レザエイ)。自分の家族らに裏切られ、女優への道を断たれたと告白する彼女は、憧れの人気女優であるベーナズ・ジャファリ(ベーナズ・ジャファリ)に家族を説得してもらおうと何度もコンタクトを試みたが、その望みも叶わなかった。そうして人生に絶望したマルズィエの動画は、彼女が首にロープをかけ、スマホが地面に転落したところで終わっていた。
とある夜、走行中の車の助手席でマルズィエの動画を再生したジャファリはショックを隠せない。見知らぬ少女の“遺言”が自分に宛てられていたことに加え、彼女にはマルズィエからの電話やメールの着信を受けた心当たりがまったくなかったのだ。動画を最初に入手したのは、車の運転席に座っている映画監督のパナヒ(ジャファル・パナヒ)である。友人同士でもあるふたりは、マルズィエは本当に命を絶ったのかを確かめるため、彼女が住むイラク北西部のサラン村に向かっていた。
翌朝、サラン村に近づくごとに、道はどんどん狭く、険しくなっていった。山間の曲がりくねった道で老人に村へのルートを尋ねると、なぜかその老人は「クラクションを鳴らせ」と促してくる。そのまま道を進むと結婚式を祝う一団に遭遇し、墓地に立ち寄ると墓穴に寝っ転がっている奇妙な老婆に出くわした。村はどこを見渡しても平和そのもので、地元の少女、すなわちマルズィエの死を悼んでいる気配はどこにもない。 登校中の子供たちとその親に囲まれた有名人のジャファリは、皆からサインを求められる。「マルズィエを知ってますか?」。パナヒが村人たちに問いかけると、ひとりの男性が「あんたたち、あのバカ娘を捜しに来たのか?」と吐き捨てるように言い放つ。どうやらマルズィエは、この村では異端児と見なされているらしい。しかし収獲もあった。マルズィエの妹が家まで案内してくれるというのだ。家にマルズィエの姿はなく、困り果てた風情の母親がジャファリとパナヒを迎え入れた。「3日前から戻らないんです。村じゅう捜しても、どこにもいなくて」。古めかしい慣習が色濃く残り、“芸人”に対する偏見が根強いこの村では、芸術大学への進学を選んだマルズィエは総スカンを食らっており、それを恥と感じている弟も怒り心頭で荒れ狂っていた。マルズィエと親しいいとこのマエデーは、彼女とは数日前に会ったきりだと証言する。やむなくジャファリとパナヒは動画の撮影場所である洞窟を探索するが、そこにはマルズィエの遺体はおろか、首を吊ったロープもスマホも見当たらなかった・・・。
製作のきっかけ
SNSは現代のイランを席巻しており、特に多くの人々は映画界の著名人とつながりを持つことを望んでいる。ジャファル・パナヒ監督は母国で映画製作禁止令を受けながらも絶大な人気を誇っており、映画を製作したいと願う多くの若者からのメッセージは途切れることがない。そうしたメッセージは通常削除されるが、時にパナヒ監督は誠実さや情熱に心を打たれ、メッセージの送り手たちに思いをめぐらせることになる。
ある日、監督はインスタグラムで関心を集め、メッセージを受け取った。時を同じくして新聞が、映画製作を禁じられたために自殺した少女について報じた。パナヒ監督はこの一件から、ソーシャル・メディアによってこの自殺のビデオが送られてきたら、そのとき自分はどのように反応するだろうかと考えた。これが『ある女優の不在』のストーリーが生まれたきっかけとなった。
狭く曲がりくねった道
パナヒ監督はイランの映画史を振り返り、さまざまな時代にさまざまなやり方で芸術家たちを妨害してきたものについて探りたいと思った。このようにして過去・現在・未来という3つの世代を3人の女性キャラクターを通して描き出すアイデアが生まれた。この3つのストーリーを作るうえで、狭く曲がりくねった道というイメージが浮かんだ。それは生きることや進化することから人々を妨げる、あらゆる制限を象徴する具体的なメタファーだ。脚本の曲がりくねった道は実在する。車は一般に広く舗装された別の道を通るため、現在は使われていない道ではあるが。
撮影
『ある女優の不在』の撮影は3つの村で行われた。パナヒ監督の母親、父親、祖父母が生まれた場所だ。このように親しみのある守られた環境は、危険にさらされることなく撮影することに貢献した。また、フランスに暮らす監督の娘から送られてきた非常に感度の高いカメラのおかげで、重い機材を用いることなく、夜間に屋外で撮影することもできた。パナヒ監督は状況に応じて撮影中も部分的に修正を加えたが、本作でも細部に至るまで脚本のすべてを自ら書き下ろした。『これは映画ではない』『閉ざされたカーテン』『人生タクシー』といった過去の作品が、アパート、家、車などの内部に制限されていたため、監督にとって野外での撮影は喜ばしいことだった。
撮影現場となった3つの村は、イラン北西部にあるトルコ語を話すイラン領土のアゼルバイジャンだ。その地域では農村部の人々はとりわけ伝統を重んじるため、ある側面においては未だに非常に古風だ。映画に登場する住民の振る舞いは、この地域の現状を如実に表している。
ベーナズ・ジャファリ
パナヒ監督は当初、村に登場する夫婦は、別の女優とプロデューサーであるその夫が演じるよう計画していた。この女優は出演することができなかったため、監督はイランの有名な女優ベーナズ・ジャファリを主役に起用するよう提案した。彼女はサミラ・マフマルバフ監督の『ブラックボード 背負う人』(2000)以来、多くの映画や人気TVシリーズに出演している。本作におけるカフェでのシーンは、その撮影時に実際にテレビで放送された。ベーナズとともに、パナヒ監督はアゼルバイジャン語の知識を駆使して自身の役に挑戦し、劇中で問題として取り上げられている、村の人々とメッセージを送ってきた少女の関係に関わるに至った。一方、非常に強い性格を持つことで知られるベーナズは、この企画に真剣に取り組み、ギャラの受け取りを拒否した。
マルズィエ・レザエイ&シャールザード
ふたり目の主要女性キャラクターは、パナヒ監督が通りで偶然に出会い、彼女こそはこの役のために生まれてきたとその瞬間に確信したマルズィエ・レザエイが演じた。そして3人目は伝説的なイラン人映画スターで、イランでは若い世代も含めて誰もが知っている女優シャールザード(本名はコブラ・サイーディ)だ。最も有名な出演作は、マスード・キミアイ監督の偉大なフィルム・ノワール『Qeysar(原題)』(1969)で、多くの国民が彼女と言えば同作品での役を思い浮かべる。シャールザードは『ギルダ』のリタ・ヘイワースに匹敵するほど官能的な曲を披露した。
『ある女優の不在』は、イラン革命の前も後も、女優たちがいかに不敬な扱いを受けてきたか、そして“軽い”女と見なされてきたかを指摘している。パナヒ監督のゴールのひとつは、逆に彼女たちがいかに今も昔も真のアーティストであるかを強調することだった。革命前の時代に主流映画を賑わせたスター、シャールザードはその格好の例だ。彼女は歌やダンスのナンバーで身体的な魅力を見せつけるために起用されることが多いが、この非常に才能のある女優は、詩人であり、重要な作品の著者でもある。
不在が放つ存在感
撮影が始まると、パナヒ監督はシャールザードが居住するイスファハンに足を運び、彼女の名前を使う許可を求めた。シャールザードは快諾しただけでなく、映画のために自身の詩を朗読することに同意した。
あの時代のすべてのスターと同様に、シャールザードは革命後、演技することを禁じられた。彼女は『ある女優の不在』において演じていない。シャールザードの存在は、彼女の不在、影の中、あるいは遠方に浮かぶ陽炎によって装われている。我々はただ、彼女が自らの書いた詩を朗読する声を聞くだけだ。
男性らしさ/女性らしさ
『ある女優の不在』の劇中で触れられているベヘルーズ・ヴスーギは革命後に米国へ逃れたが、今もイランで大人気の男優だ。主演作には、現代の西洋風に描かれたアミール・ナデリ監督の『Tangsir(原題)』(1973)がある。この作品は宗教を含む腐敗に対する反乱の物語で、そのヒーローはイラン人が誇る精神を具現化している。
ヴスーギは革命前の主流映画に特徴的な男らしさを強調した映画において、英雄的な男性パワーの象徴的存在だった。男性上位の形はその時代から変化を遂げたが、消えたわけではなく、銀幕上でも今なお絶えることがない。『ある女優の不在』はこの遺産に異議を唱え、ストーリーの中心には女性を据えている。社会の最も伝統的な部分において、今なお存在する包皮への崇拝にも疑問を呈している。この皮膚の断片の神聖化は、雄牛の生殖力に関連した問題と同様、嘲笑され、本作の主要テーマに貢献している。
情勢の変化
クルーの名前がエンドクレジットに記載されていない『人生タクシー』とは異なり、本作では全員の名前がクレジットされている。イラン国内の情勢が変わった証拠だ。前作では、一部の技術者が名前の知られたことから起こりうる問題が恐れられたが、今回は全員がエンドクレジットへの記載を希望した。2017年の終わりにイランで行われた抗議デモにおいてもそうだったが、今や抗議活動は過去と比べてもっと堂々と行われている。
こうした経緯のもと、パナヒ監督にとって嬉しい映画製作者の動きもあった。あらゆる映画製作の専門家(監督、プロデューサー、配給会社、技術者など)が、イランの大統領に手紙を書き、パナヒ監督のカンヌ行きを求めたのだ。パナヒ監督はこうした同業者らの支持を歓迎した。ただ、何よりも彼が求めたのは、自身が望む形で映画を撮ることや、国内で自身の作品が上映されることが許可されることだった。また、パナヒ監督は他の虐げられた映画製作者らを弾圧せず、自由な移動と映画制作ができるようにするよう求めた。そのひとりがモハマド・ラスロフである。パナヒ監督とともに2009年に逮捕されたラスロフは、国外で最新作を上映した後、当局にパスポートを没収され、再び政府の圧力の対象となっている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ジャファール・パナヒ
ヒューマントラストシネマ渋谷:14:30-16:15 (100分)
イラン革命前後、時代に翻弄された3人の女性。彼女たちは深い孤独の淵に立ちながら、それでも女優として生きる――。
イランの人気女優ジャファリのもとに、見知らぬ少女が自殺を試みた悲痛な動画メッセージが届いた。女優を夢見ていた少女マルズィエが首にロープをかけ、カメラ代わりのスマートフォンが地面に落下したところで映像は途切れていた。あまりにも深刻な動画に衝撃を受けたジャファリは、友人である映画監督ジャファル・パナヒと共にマルズィエが住むイラン北西部の村を訪ねる。彼女は本当に命を絶ってしまったのか・・・。
世界三大映画祭を制したイランの名匠ジャファル・パナヒが、自身の思いを投影させた3世代の”女優”。彼女たちの心の旅路が観客を深い余韻へと誘うヒューマン・ミステリー。カンヌ国際映画祭コンペティション部門脚本賞受賞作。
監督・脚本:ジャファル・パナヒ
出演:ベーナズ・ジャファリ、マルズィエ・レザイ
映画評論・批評
https://eiga.com/movie/89046/critic/
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO53251960S9A211C1000000/
https://www.kobe-np.co.jp/news/zenkoku/entertainment/cinema/201912/0012947414.shtml
東京フィルメックス
https://filmex.jp/2019/program/specialscreenings/ss5