予告編
女性指揮者のパイオニア、アントニア・ブリコの半生を描く伝記ドラマ。女性が指揮者になるという夢を見ることさえ許されなかった時代に、自らの手でその夢を掴んだ彼女の波乱万丈な道のりを、マーラー「交響曲第4番」、ストラビンスキー「火の鳥」など数々の名曲とともに描き出す。1926年、ニューヨーク。オランダからの移民アントニアは、「女性は指揮者になれない」と言われながらも、指揮者になるためならどんな困難にも挑むと決めていた。音楽への情熱だけは誰にも負けない彼女は、ナイトクラブでピアノを弾いて稼いだ学費で音楽学校へ通い始めるが、ある事件によって退学を余儀なくされる。引き止める恋人を置いてベルリンへ向かった彼女は、遂に女性に指揮を教えてくれる師と巡り合い、まるで何かに取り憑かれたかのようにレッスンに没頭するが……
(2018年/オランダ)
公式サイト:http://ladymaestro.com
https://www.bunkamura.co.jp/cinema/lineup/19_lady_maestro.html
イントロダクション & ストーリー
彼女にあるのは音楽への〈情熱〉だけ――
キャリアも富もコネクションもない女性が、いったいどうして、女性指揮者のパイオニアになれたのか?
女性が指揮者になるという〈夢〉を見ることさえ許されなかった時代に、自らの手でその〈夢〉をつかんだ一人の女性がいた。1930年にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者としてデビューした、アントニア・ブリコだ。シングルマザーの母親に2歳の時に養子に出され、養父母は貧しく音楽学校に入るお金もなかった彼女が、いったいどうやって女性指揮者になれたのか? 一歩前へ進むたびに出現する高く険しい壁を、ひとつひとつ乗り越えて行ったアントニア・ブリコのはるか遠い道のりをたどる、勇気と感動と驚きに満ちた実話の映画化が実現した。
1926年、ニューヨーク。養父母とオランダから移民してきたアントニアは、指揮者になるためなら、どんな困難にも挑むと決めていた。
世界中どこを探しても女性のプロの指揮者は一人もいない時代だったが、音楽への情熱だけは誰にも負けないアントニアは、ナイトクラブでピアノを弾いて稼いだ学費で、音楽学校に通い始める。だが、ある“事件”から退学を余儀なくされ、引き留める恋人を置いて、アムステルダムからベルリンへと渡ったアントニアは、遂に女性に指揮を教えてくれる師と巡り合う。しかし、憑かれたようにレッスンに没頭するアントニアに、出生の秘密、恋人の裏切り、女性指揮者への激しいバッシングなど、次々とアクシデントが襲い掛かる──。
マーラー、ドヴォルザークから、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」まで、数々の名曲と共に奏でる、夢を諦めないすべての人への応援歌。
監督のことば
私は長い間、オランダ人のアントニア・ブリコの映画を撮りたいと思っていました。1974年、ジュディ・コリンズとジル・ゴッドミローが彼女のドキュメンタリーを製作し、この作品がオスカーにノミネートされた時、老年期を迎えていたアントニアは、再びアメリカで注目を集めることになります。しかしその後、彼女は再び世間から忘れ去られました。残念ながら、忘れ去られてしまうのは、いつの時代においても多くの女性アーティストがたどる道です。私を最も刺激したのは多分この忘却という観点でした。
アントニア・ブリコの人生は、インスピレーションの宝庫でした。コンサートをするために彼女は嘆願し、泣きついて、頭を下げなくてはなりませんでしたが、それは当時、彼女が成し遂げた偉大な功績です。では、彼女は指揮の世界における女性の運命に革命を起こしたのでしょうか?いいえ、違います。残念ですが、今でも世界で最も著名な指揮者上位20人の中に女性は入っていません。
これまで女性アーティストは常に周縁の地位に甘んじ続けてきました。自ら何とかしなければ、今後も変わることはないでしょう。
彼女は指揮という美しいけれどもつかみどころのない仕事(ある意味、映画監督の仕事と同じくらい!)に挑みます。私は彼女の仕事に対する情熱に深く心を揺り動かされました。男ばかりの社会で受け入れられるために、絶えず続けてきた奮闘にも感動を覚えました。
本作の制作にあたっては、アムステルダムに住む彼女の従兄弟レックス・ブリコ(90歳)に助けられました。彼は長年エルゼビア 誌で文化欄の記者を務めた人物で、アントニアをよく知っており、彼女の人生をつぶさに理解していました。彼女について多くを語り合えたおかげで、アントニアへの理解を深めることが出来ました。
監督・脚本 マリア・ペーテルス Maria Peters
法律を学んだ後、オランダ映画アカデミーを卒業した。卒業後は、アレックス・ファン・ヴァーメルダムの『アベル』(86)など何本かの映画で助監督を務め、1987年にデイヴ・シュラムとハンス・ポスと共同で自身の制作会社、シューティング・スター・フィルムカンパニーを設立。オランダで最も成功した脚本家および映画監督の1人で、過去20年におけるオランダ映画のヒット作上位20位にマリアの作品は3本入っている。『Sonny Boy』(11)でアカデミー賞外国語映画賞オランダ代表となっている。
https://www.imdb.com/name/nm0676577/
https://nl.wikipedia.org/wiki/Maria_Peters
アントニア・ブリコ(ウィリー)役
クリスタン・デ・ブラーン
幼少期より演劇を志し、10歳で子供演劇学校に通い歌やチェロのレッスンを受ける。ウィレム2世カレッジで芸術学部に進み演劇を学ぶ。VWO(大学進学準備学校)の学位を取得し、アメリカで一年を過ごした後、フォンティス音楽学校で音楽劇を学び2009年に卒業。その後多くの演劇やミュージカルに出演。テレビシリーズやテレビCMにも登場するなど活躍は多岐にわたる。
Bunkamura ル・シネマ :15:55-18:30 (139分)
アントニア・ブリコ
https://en.wikipedia.org/wiki/Antonia_Brico
https://www.britannica.com/biography/Antonia-Brico