予告編
ゴールデン・グローブ賞、英国アカデミー賞、セザール賞の外国語映画賞にノミネートされ、イタリアのアカデミー賞にあたるダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞7部門を獲得した『ゴモラ』(08)と、同省3部門を受賞した『リアリティー』(12)で、カンヌ国際映画祭の審査員特別グランプリに2度輝いた、イタリアの鬼才マッテオ・ガローネ。その唯一無二の世界観と映像、社会のダークサイドに斬り込むとともに、人間の弱さや愚かさを恐れることなく描く脚本で、今や他に並ぶ者のない映像作家としてリスペクトされる存在となった。
主演を務めたマルチェロ・フォンテは、暴力に支配され抗えない主人公の姿を鬼気迫る演技で観客を圧倒し、昨年の第71回カンヌ国際映画祭で主演男優賞を獲得。ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞でも作品賞、監督賞をはじめ最多となる9部門を制した。誰にでも訪れる可能性がある人生の不条理を容赦なくあぶり出した問題作がついに日本に上陸。
「ゴモラ」などで知られるイタリアの鬼才マッテオ・ガローネ監督が、1980年代にイタリアで起こった実在の殺人事件をモチーフに描いた不条理ドラマ。イタリアのさびれた海辺の町。娘と犬を愛する温厚で小心者の男マルチェロは、「ドッグマン」という犬のトリミングサロンを経営している。気のおけない仲間たちと食事やサッカーを楽しむマルチェロだったが、その一方で暴力的な友人シモーネに利用され、従属的な関係から抜け出せずにいた。そんなある日、シモーネから持ちかけられた儲け話を断りきれず片棒を担ぐ羽目になったマルチェロは、その代償として仲間たちの信用とサロンの顧客を失ってしまう。娘とも自由に会えなくなったマルチェロは、平穏だった日常を取り戻すべくある行動に出る。主演のマルチェロ・フォンテが第71回カンヌ国際映画祭で主演男優賞を獲得したほか、イタリア版アカデミー賞と言われるダビッド・ディ・ドナテッロ賞で作品賞・監督賞など9部門を受賞した。
公式サイト:http://dogman-movie.jp
https://ttcg.jp/human_shibuya/movie/0570900.html
https://www.fashion-press.net/news/50017
https://ja.wikipedia.org/wiki/ドッグマン
https://www.curzonartificialeye.com/Dogman/
イタリア映画界の鬼才、『ゴモラ』のマッテオ・ガローネ監督が放つ衝撃の問題作、遂に日本へ!
異色のクライム・サスペンス『ゴモラ』(08)でゴールデン・グローブ賞、英国アカデミー賞、セザール賞の外国語映画賞にノミネートされ、イタリアのアカデミー賞にあたるダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞7部門を獲得し、寓話的なヒューマン・ドラマ『リアリティー』(12)で同賞3部門を受賞。さらにその両作品で、カンヌ国際映画祭の審査員特別グランプリに2度輝いた、現代のイタリア映画界をまさに背負って立つ鬼才マッテオ・ガローネ。
唯一無二の世界観と現実と悪夢を行き来するような映像、社会のダークサイドに鋭く斬り込むと共に、人間の弱さや愚かさに恐れることなく踏み込む脚本で、今や他に並ぶ者のない映像作家としてリスペクトされる存在だ。絶頂期を迎えたガローネ監督の待望の最新作が完成した。
カンヌ国際映画祭主演男優賞に輝く異才俳優が導く、
あまりにも奇妙だが胸を打つ結末とは──
イタリアのさびれた海辺の町で、〈ドッグマン〉という犬のトリミングサロンを営むマルチェロ。質素な店だが、大好きな犬の世話をしながら、愛する娘と会う時間と、仲間と食事やサッカーを楽しむひと時さえあれば、温厚で小心者のマルチェロは幸せだ。だが一方で、暴力的な友人のシモーネに利用され、支配される関係から抜け出せずにいた。ある日、シモーネから持ち掛けられた儲け話を断り切れなかったマルチェロは、その代償として仲間たちの信用とサロンの顧客を失い、娘とも会えなくなってしまう──。
マルチェロを演じたのは、全くの無名俳優だったのが、ガローネ監督に見出されいきなり主演に抜擢されたマルチェロ・フォンテ。本作がプレミア上映されたカンヌ国際映画祭でも、心優しい男が悪のワンダーランドへと転落していく様をリアルに演じて審査員を圧倒し、主演男優賞を獲得した。黙ってたたずんでいるだけで、全身から威圧感と凶暴性を放つシモーネには、肉体改造を成し遂げて挑んだ、『神様の思し召し』のエドアルド・ペッシェ。
平穏な日常にあいた穴に落ちたマルチェロがとった、あまりにも奇妙だが不思議と胸を打つ行動とは? 結末を心して見届けてほしい。この穴は、ある日突然、あなたの前にも現れるかもしれないから──。
ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞で、作品賞・監督賞を始めとする最多9部門を制した、人生の不条理を容赦なく描く衝撃の問題作。
STORY
イタリアのさびれた海辺の町で、〈ドッグマン〉という犬のトリミングサロンを営むマルチェロ(マルチェロ・フォンテ)。店は質素だが、犬をこよなく愛す彼には楽園だ。妻とは別れて独り身だが、彼女との関係は良好で、最愛の娘ともいつでも会える。地元の仲間たちと共に食事やサッカーを楽しむ温厚なマルチェロは、ささやかだが幸せな日々を送っていた。
だが、一つだけ気掛かりがあった。シモーネ(エドアルド・ペッシェ)という暴力的な友人の存在だ。シモーネが空き巣に入る時に無理やり車の運転手をさせられ、わずかな報酬しかもらえなかったり、コカインを買わされ金を払ってくれなかったりと、小心者のマルチェロは彼から利用され支配される関係から抜け出せずにいた。自分の思い通りにいかないとすぐに暴れるシモーネの行動は、仲間内でも問題になり、金を払ってよその人間に殺してもらおうという話さえ出ていた。
ある日、シモーネから持ちかけられた儲け話を断りきれず片棒をかついでしまったマルチェロは、その代償として仲間たちの信用とサロンの顧客を失い、娘とも会えなくなってしまう。満ち足りた暮らしを失ったマルチェロは考えた末に、ある驚くべき計画を立てる――
監督 マッテオ・ガローネMatteo Garrone
1968年、イタリア、ローマ生まれ。カメラマン助手として働いた後、1996年に短編映画『Silhouette』で賞を獲得する。その翌年には、長編映画監督デビュー作『Terra di Mezzo (Land in Between)』を自身の制作会社で製作する。この作品はトリノ映画祭で審査員特別賞 とCipputi賞を受賞する。
1998年には、ドキュメンタリー映画『Oreste Pipolo, a Wedding Photographer』をナポリで撮影した他、長編映画2作目『Ospiti(Guests)』がヴェネチア映画祭で上映される。後者はアンジェ映画祭のスペシャルメンション賞、ヴァレンシア映画祭の最優秀作品賞、そしてメッシーナ映画祭のコダック賞を獲得する。
長編映画監督3作目の『Estate Romana (Roman Summer, 2000)』もヴェネチア映画祭で上映される。2002年には『剥製師』 が第55回カンヌ国際映画祭の監督週間で上映される。この作品は、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞の脚本賞と助演女優賞を受賞。また、(イタリア映画記者組合)シルバーリボン賞編集賞、ゴールデンCIAK賞編集賞、フェリーニ賞のプロデューサー賞、プロダクションデザイン賞、撮影賞、配給賞にも輝く。さらにパソリーニ賞では審査員特別賞を獲得する。
2004年には『Primo Amore (First Love)』が、第54回ベルリン映画祭銀熊賞(音楽賞)を受賞。この作品はさらに、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞の作曲賞も受賞する。2008年にはカンヌ国際映画祭のコンペティション部門に初めて出品した『ゴモラ』が審査員特別グランプリに輝く。さらにこの作品は、ヨーロッパ映画賞5部門(作品、監督、男優、脚本、撮影)、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞7部門、シルバーリボン賞2部門、シカゴ映画祭の脚本賞に輝いた他、ゴールデン・グローブ賞、英国アカデミー賞、セザール賞の外国語映画賞にノミネートされる。
2012年と2015年には、それぞれ『リアリティー』 (2度目の審査員特別グランプリ受賞とダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞3部門受賞、ナストロ・ダルジェント賞3部門受賞)と『五日物語 -3つの王国と3人の女-』 (ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞7部門受賞)がカンヌ国際映画祭コンペティション部門で上映される。
新作は、再びマルチェロ・フォンテとタッグを組む『Pinocchio』(19)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/マッテオ・ガローネ
kino cinema 横浜みなとみない:10:20-12:10 (103分)
監督インタビュー
──本作の発想の源は何ですか?
1980年代の終わりに、イタリアで実際にあった事件を題材にしています。12年前に、この事件に想を得て脚本を書き始めました。けれどもその後、何度も書き直し、端緒となる事件を再解釈したり、再構築したりして、今回の映画に至っています。ですから、実際の事件からインスピレーションを得た物語ではありますが、最終的に自由なイマジネーションで作った作品になりました。
──脚本開発について教えてください。
もちろん撮影前に脚本を用意しますが、私の場合は、クランクインしてからキャストの意見を取り入れながら、どんどん脚本を変えていくという手法を取っています。今回も、俳優たちと何度もコミュニケーションを重ねて、変えていきました。主演のマルチェロ・フォンテとも、何度もアイデアをやり取りして、彼にあたかも服を縫い付けるように、彼の人となりに即した形で作っていきましたね。特にラストシーンに関しては、現場で方向性を決めました。
──結果的に実話の部分は残っていますか?
実際の事件は、当時イタリアを騒がせた陰惨な殺人事件でしたが、映画の方向性としては全く違う独立したものになっています。実話に基づく要素としては、登場人物たちですね。主人公のマルチェロ・フォンテ演じるマルチェロという男は、犬のトリマーやドッグシッターをやっていた実在の人物です。彼がシモンチーノと呼ばれていた暴力的な男との関係性の中で、彼自身は全く暴力性とは無縁である人物だったにもかかわらず、抗えない暴力のメカニズムの中に陥っていくのですが、ストーリーの展開自体は自由に羽ばたいていきました。実際の事件を知っている人たちからは、かなり暴力的な物語ではないかと思われがちなんですが、特に前半は愛情ですとか、彼の生活、彼の優しさを描いています。ちょっとクスッと笑ってしまうようなコミカルなところもあると思うんですね。
──ロケーションがとても雰囲気があり、特に夕景が美しいですが、舞台となった町はどこでしょうか?
ナポリから40キロくらい離れた小さな町です。そこが、この物語を語るにあたって、最適かつ理想的だと思いました。小さなコミュニティがあって、そこにはマルチェロが大切にしている仲間がいる。大都市ではなく、小さな共同体を描くために、この場所を選びました。ウエスタン映画のような雰囲気を醸し出しているところもイメージ通りでしたね。
──ロケハンで見つけられたのですか?
2001年の『剥製師』と、2007年の『ゴモラ』で、既に撮影に使った場所です。自分にとっては、ホームタウンのような町ですね。ヴィラッジョ・コッポラ、コッポラ村という地名です。
──マルチェロ役にマルチェロ・フォンテをキャスティングされた理由を教えてください。
マルチェロ・フォンテは、主人公を演じるのに理想的な役者だと思いました。彼本人が非常に穏やかで、他人の優しい気持ちをかき立てるような人物だということが大きかったですね。それから、コミカルな部分からドラマティックなところへも難なく移行していける才能を持った俳優であるということで、彼を起用しました。たとえば、バスター・キートンですとか、往年の無声映画の俳優を思わせるところがあります。目と表情だけで物を語れるところが、とても気に入りました。非常に心優しい男が、自分が犯した小さな過ちの繰り返しで、暴力のメカニズムから逃れられなくなり、がんじがらめになってしまうところを描きたかった。彼が人間性に溢れていればいるほど、暴力に囚われてしまった激しさというのが見えてくるのではないかということで、それを体現したのが彼でしたね。
──エドアルド・ペッシェは、外見からかなり変えて役作りをされましたね。
エドアルド・ペッシェには、肉体改造と言っていいほど変えてもらって、本人とわからないくらい作りこんでもらいました。人々の不安をかき立てるような、非常に脅迫的で侵略的な人物というのを、肉体をもって示してもらいたかった。あとは、ほとんどしゃべらないという人物像を作ってもらいました。やりたいことはどうしてもやるという決意と、とにかく暴力的な面と、それから欠かせない要素がコカイン中毒ですね。映画を観ていると、薬物に溺れてしまった人間が、どういう行動に出るのかということも、よく理解できると思います。
──マルチェロ・フォンテには、どんな役作りの指導をされましたか?
撮影に入るまでの2か月間、稽古期間を設けて、エドアルド・ペッシェと二人で登場人物にいかに近付いていくか、焦点を当てていくかという作業をしてもらいました。
──犬たちは素晴らしい動きと表情を見せますが、演技指導はどのようにされたのでしょうか?
専門家をつけました。演技の指示はトレーナーを介して、犬たちにやってもらいました。あとはマルチェロ・フォンテに、ドッグトレーナーとトリマーの修業をしてもらいました。何週間かかけて慣れていきましたので、マルチェロは犬といい関係を築いていましたね。
──監督が、幸せとは言い難い主人公や人生の不条理をテーマとして描くのはなぜですか?
本作で描きたかったのは、間違いも犯すけれども、人に好かれたい、皆とうまくやっていきたいという気持ちもある、私たちの多くに似ているような、ある種平凡な男が、望んでもいないのに、じわじわと暴力のメカニズムに巻き込まれていく姿です。マルチェロというのは、個人的に非常に身近に感じるところがあるし、理解できます。私が過去の作品で描いてきたのも、誰しもシミの無いホコリの立たない人間では決してないのですが、あくまでも人間的で、自分も投影できるような人物だと思います。マルチェロもその一人ですね。
──監督にとって、どんな映画になりましたか?
極端なストーリーを通じて、私たちの誰もが抱いている不安、つまり私たちが生きるために日々行っている選択がどんな結果を招くのか、イエスと言い続けてきたことで最早ノーと言えなくなってしまっていること、自分が考える自分と真の自分との差異といった不安に、向き合わせてくれる映画です。こうした深い問い、一人の男の純真さの喪失へのアプローチにおいて、本作は教訓的ではなく“倫理的”で普遍的な映画だと私は思っています。
──影響を受けた映画や、監督などはいらっしゃいますか?
日本だと、溝口健二監督が大好きです。影響はかなり受けています。イタリアでは、ロベルト・ロッセリーニとフェデリコ・フェリーニ。フランスでは、ジャン・ヴィゴですね。
──日本では8月に公開されますが、日本の観客へのメッセージをお願いします。
8月なんて、映画館へ行くの? イタリアでは誰も行かないですよ。
──夏休みもありますし、行きますよ。
よかった。8月にイタリアで公開される映画というのは、つまりは誰にも見せたくない映画ですからね(笑)。観客には、感情を揺り動かしてほしいです。物語の中に入り込んで行って、その瞬間、瞬間を、あたかも追体験するような経験をしていただきたい。映画を楽しみつつ、ドラマを体感しつつ、感情を揺さぶられて、笑って泣くようなそんな結果が得られたら、監督としては何よりの喜びです。