予告編
戦後、占領下の沖縄で米軍の圧政と戦った政治家・瀬長亀次郎の生き様を描いたドキュメンタリーの第2弾。那覇市長や衆議院議員を務め、不屈の精神で戦い続けた瀬長亀次郎の人生を追い、平成30年度文化庁映画賞・文化記録映画優秀賞など数々の映画賞を受賞した前作「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー」に続く今作では、カメジローの生涯をさらに深く掘り下げると同時に、本土復帰へ向けた激動の沖縄を描き出していく。カメジローが残していた230冊を超える日記を丹念に読み解き、妻や娘らと過ごす家族の日常や、政治家・夫・父親などカメジローのさまざまな顔を浮かび上がらせていくほか、1971年12月4日の衆議院沖縄・北方問題特別委員会で時の首相・佐藤栄作と繰り広げた激論の記録映像が収められ、現代へと続く沖縄の解決されない問題や事象の原点を浮き彫りにする。
『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』の続編となるドキュメンタリー。政治家として名をはせたカメジローこと瀬長亀次郎氏の魅力を、彼が遺(のこ)した日記から浮かび上がらせる。TBSのキャスターとして多くの番組に出演してきた監督の佐古忠彦、音楽の坂本龍一、撮影の福田安美らが前作より続投し、語りを山根基世と俳優の役所広司が務める。
2017年8月12日、桜坂劇場(那覇)の入り口には猛暑にも関わらず何百メートルもの長蛇の列ができていた。『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』の沖縄での公開初日である。列に並んだおじいやおばあたちは口々に「カメさんに会いに来た」と語った。それほどまでにカメさん=瀬長亀次郎は、沖縄県民にとっては今も心の中に不屈の精神の柱として生き続けている。沖縄の熱気は、東京、大阪、名古屋、京都、札幌をはじめ、全国に伝わり、大きなブームを巻き起こした。
『その名は、カメジロー』は、平成30年度文化庁映画賞・文化記録映画優秀賞、2018アメリカ国際フィルム・ビデオ祭(US International Film&Video Festival)銅賞、2017年度日本映画批評家大賞/ドキュメンタリー賞、2017年度日本映画復興賞、2017年度日本映画ペンクラブ賞/文化部門第1位など数々の賞を受賞し、ドキュメンタリー映画として高く評価された。
そして2019年8月、カメジローの生涯をさらに深く、そして復帰に向けた沖縄の激動を描いたドキュメンタリー映画『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯』が公開される。
カメジローは230冊を超える日記を詳細に書き残していた。そこには、妻や娘らと過ごす家族の日常や政治家・夫・父親など様々な顔があった。その日記を丹念に読み解き、改めて生涯を描くことでカメジローが宿した“不屈”の精神を浮かび上がらせる。また、教公二法阻止闘争、毒ガス移送問題やコザ騒動など、一瀉千里のように返還へ向けて進んでいく熱い闘いを精緻に描いていく。そして、カメジローと当時の佐藤首相の国会での迫力ある魂の論戦に、沖縄の心、そして今なお解決されない事象の原点が浮き彫りになる。
音楽は1作目と同じく坂本龍一が担当。「Sacco」に加え、新たに書きおろした曲「Gui」がカメジローの不屈の生涯を静かに熱く奏でる。また、語りは役所広司。確かな口調が胸を打つ。
「大地にしっかりと根をおろしたガジュマルは
どんな嵐にさらされてもびくともしない」(瀬長亀次郎)
公式サイト:http://kamejiro2.ayapro.ne.jp
監督:佐古忠彦
前作「米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー」の公開から半年が経った2018年2月、私は、230冊以上に及ぶ瀬長亀次郎の日記に再び向き合い始めていた。いったん区切りを迎えたはずの取材だったが、まだまだ広く深いカメジローの世界から離れられないでいた。ずっと心に引っかかっていた、前作を鑑賞してくださったお客様の数々の言葉がある。
「家庭でのカメジローの顔を知りたい」
「どうして、こんなに不屈の精神を宿すに至ったのか?」
こういう声もあった。「かっこいいカメジローは分かった。かっこ悪いカメジローもみてみたい」つまり、闘う不屈の男だけでなく、まさに“人間”カメジローをもっと見たいということなのだろう。
次女・千尋さんは、父・亀次郎の日記を発見したときの感想を、「沖縄の戦後史が詰まっている」と語ったが、そこには、それに加え、家族の歩み、亀次郎の本音、知られざる素顔が隠されている。そんな前作には盛り込めなかった素顔のカメジローへのアプローチは、「米軍が最も恐れた男」の実像をさらに浮き彫りにすることになった。
もちろん、闘うカメジローも健在である。那覇市長を追放された後も、米軍との不屈の闘いは続いた。それは民衆の自治を求める闘いに結び付き、民主主義を勝ち取る闘いとして記憶されていく。
「この沖縄の大地は、再び戦場となることを拒否する!基地となることを拒否する!」
前作でご覧いただいた、国会論戦で時の首相に激しくぶつかっていった亀次郎の姿に、多くの人が快哉を叫んだが、その魂の言葉を生みだした原点も日記に残されていた。亀次郎は、何のためにこれほど不屈に一本の道を歩み続けたのか。その先に何があったのか。沖縄の歴史と亀次郎の言葉が、その答えを導き出す。そして、それは、後世へのメッセージとなって語りかけてくる。
佐古監督 PROFILE
1988年 東京放送(TBS)入社
1996年~2006年 筑紫哲也NEWS23
2006年~2010年 政治部
2010年~2011年 Nスタ
2014年~2017年 報道LIVEあさチャン!サタデー Nスタニューズアイ
2013年~ 報道の魂(現 JNNドキュメンタリー ザ・フォーカス)プロデューサー
近年の作品
2013年 「生きろ~戦場に残した伝言」
2014年 「生きろ~異色の司令官が伝えたこと」
「茜雲の彼方へ~最後の特攻隊長の決断」
2015年 「戦後70年 千の証言スペシャル 戦場写真が語る沖縄戦・隠された真実」
2016年 報道の魂SP「米軍が最も恐れた男~あなたはカメジローを知っていますか」
2017年 映画『米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー』
ユーロスペース:(128分)
瀬長亀次郎PROFILE
1907年6月10日 沖縄県島尻郡豊見城村(現、豊見城市)我那覇に生まれる。
1924年 出稼ぎでハワイに行っていた父に呼ばれ、沖縄県立二中(現、沖縄県立那覇高等学校)を中退するも、米国の対日移民法発効で渡米できず。
1926年 東京・順天中学(現、順天中学校・高等学校)に編入。
1927年 医師を志し、旧制第七高等学校(現、鹿児島大学)に進んだが、社会主義運動に加わったことを理由に放校処分となる。
1932年 丹那トンネル労働争議を指導して治安維持法で検挙され、懲役3年の刑で投獄。
1936年 沖縄朝日新聞の記者になる。
1938年 兵役召集され「中支」へ。
1940年 復員し、毎日新聞那覇支局記者になる。
1945年 沖縄県北部の山奥で敗戦を迎える。田井等市の助役に就任し、避難民の救援にあたる。
1946年 うるま新報(現、琉球新報)社長に就任。
1947年 沖縄人民党結成に参加。
1950年 沖縄群島知事選挙に出馬するが、落選。
1952年 第1回立法議員選挙で最高得票数で当選。この選挙後に開催された琉球政府創立式典で宣誓拒否したことで占領軍から睨まれることとなる。
1954年 沖縄から退去命令を受けた人民党員をかくまった容疑で逮捕。弁護人なしの裁判で、懲役2年の判決を受け、投獄される(沖縄人民党事件)。
1956年 出獄後、那覇市長選に出馬し、当選。
1957年 市長の座から追放(瀬長布令)。
1966年 瀬長布令の廃止により、被選挙権を回復。
1967年 拒否され続けたパスポート取得が17回目の申請で許可され、上京。全国各地を回って米軍占領支配下の沖縄の実情をうったえる。
1968年 立法院議員選挙に最高得票で当選。
1970年 戦後沖縄初の国政参加選挙で衆議院議員に当選(以後7期連続当選)。
1971年 沖縄の施政権返還をめぐる衆院沖特委で佐藤首相を追及。
1990年 衆議院議員勇退。
2001年10月5日 死去 享年94歳。
ユーロスペース:13:00-15:20 (128分)