予告編
ベルリンの壁建設前夜の東ドイツを舞台に、無意識のうちに政治的タブーを犯してしまった高校生たちに突きつけられる過酷な現実を、実話をもとに映画化した青春ドラマ。1956年、東ドイツの高校に通うテオとクルトは、西ベルリンの映画館でハンガリーの民衆蜂起を伝えるニュース映像を見る。自由を求めるハンガリー市民に共感した2人は純粋な哀悼の心から、クラスメイトに呼びかけて2分間の黙祷をするが、ソ連の影響下に置かれた東ドイツでは社会主義国家への反逆とみなされてしまう。人民教育相から1週間以内に首謀者を明らかにするよう宣告された生徒たちは、仲間を密告してエリートとしての道を歩むのか、信念を貫いて大学進学を諦めるのか、人生を左右する重大な選択を迫られる。監督・脚本は「アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男」のラース・クラウメ。
すべては、たった2分間の黙祷から始まった――
なぜ18歳の若者たちは国家を敵に回してしまったのか?
ベルリンの壁建設の5年前に旧東ドイツで起こった衝撃と感動の実話
1956年、東ドイツの高校に通うテオとクルトは、列車に乗って訪れた西ベルリンの映画館でハンガリーの民衆蜂起を伝えるニュース映像を目の当たりにする。クラスの中心的な存在であるふたりは、級友たちに呼びかけて授業中に2分間の黙祷を実行した。それは自由を求めるハンガリー市民に共感した彼らの純粋な哀悼だったが、ソ連の影響下に置かれた東ドイツでは“社会主義国家への反逆”と見なされる行為だった。やがて調査に乗り出した当局から、一週間以内に首謀者を告げるよう宣告された生徒たちは、人生そのものに関わる重大な選択を迫られる。大切な仲間を密告してエリートへの階段を上がるのか、それとも信念を貫いて大学進学を諦め、労働者として生きる道を選ぶのか……。
新たな実話映画に挑んだラース・クラウメ監督のもとに
ドイツの若手有望株と実力派キャストが結集!
監督は、ナチスによる戦争犯罪の追及に執念を燃やした孤高の検事フリッツ・バウアーにスポットを当て、ドイツ映画賞6部門を制した『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』(16)の気鋭ラース・クラウメ。原作者ディートリッヒ・ガルスカ自身の実体験を綴ったノンフィクションを、緻密なリサーチで迫真のサスペンスと繊細にして深みのある感動のドラマとして描き上げた。また、注目すべきは本作のために発掘された新人俳優たちのフレッシュな魅力。そして過去の戦争や悲劇的な事実を語ることができない親たちの愛と葛藤を体現するのは、『東ベルリンから来た女』のロナルト・ツェアフェルトら旧東ドイツ出身の実力派キャストたち。
無意識のうちに政治的タブーを犯してしまった若者たちが、仲間との友情や恋を育みながら、あるときはまっすぐに主張をぶつけ合い、人間として正しきこととは何かをひたむきに模索していく姿は観る者の心を強く揺さぶる。過酷な現実にさらされた彼らの、人生のすべてを懸けた決断とは?希望を追い求めた若者たちの“小さな革命”を未来へと続く“列車”とともに描き上げた感動の実録青春映画!
公式サイト:http://bokutachi-kibou-movie.com
https://www.bunkamura.co.jp/cinema/lineup/19_the_silent_revolution.html
監督・脚本 ラース・クラウメ
Directed by, screenplay by Lars Kraume
1973年2月24日、イタリア・キエーリ生まれ。ドイツのフランクフルトで育ち、大学進学資格試験を受けた後、様々な写真家のアシスタントとして仕事を始める。1992年には短編デビュー作「3:21」(未)を撮り、この作品と願書をドイツ映画テレビアカデミー(DFFB)に送る。クラウメの学生短編映画「LIFE IS TOO SHORT TO DANCE WITH UGLY WOMEN」(96/未)はトリノ映画祭の短編賞を受賞。DFFBでの彼の卒論作品・テレビ映画「Dunckel」(98/未)は1998 年度グリンメ賞監督賞受賞。『コマーシャル★マン』(03/未)で長編映画監督デビューを果たす。その後、テレビシリーズやセミドキュメンタリー作品を数多く製作し高い評価を受ける。『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』(16)は、ロカルノ国際映画祭の観客賞を皮切りに、ヘッセン州映画賞最優秀作品賞、バイエルン州映画賞を受賞、ドイツ映画賞ではロラ賞を6部門受賞し最優秀監督賞と最優秀脚本賞がクラウメ監督に授与 された。
ヒューマントラスト有楽町:17:25-19:25 (111分)
東ドイツの歴史の中でも、なぜこの出来事を語ろうと?
ガルスカの本に興味を持ったのは、『アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男』を撮っていたころだった。第三帝国後、東ドイツと西ドイツでは人々は何を思いながら暮らしていたのか知りたかったんだ。本作も『アイヒマン~』同様、大きな混乱に陥った国で何が起こっていたのか、そして両ドイツとも、恐ろしい歴史から新しい未来へつながる道をどうやって見つけようとしていたのかを描いている。東ドイツは国家と社会を通してその道を見つけようとし、西ドイツはそれとは別のものを通して見つけようとした。どちらの試みも非常に困難だった。両作で表現したいのは、そこなんだ。
本作のストーリーの背景には、どんな社会的風土が?
本作の舞台設定は、1956年のスターリンシュタットだ。そこが重要なんだ。当時はまだ、ベルリンの壁は建設されておらず、社会主義は資本主義より優れた社会形態だと人々は信じ、そう望んでいた。そう考えるのが当然だと思っていたんだ。東ドイツが舞台となると、陰鬱な映像の映画になりがちだが、この映画はそんなトーンのものにはしたくなかった。だから舞台をシュトルコーからスターリンシュタットに移ことにしたんだ。現在のアイゼンヒュッテンシュタットだね。この街は、1956年当時はかなり現代的で、労働者の街として知られ、製鋼所が多く建ち並んでいた。西ドイツのルールのように、便利で快適な生活が送れる街だった。だが当時は、東ドイツでも西ドイツでも、誰も戦争について、そしてナチス時代に自分たちの親が何をやっていたかについても語ることはせず、沈黙を貫いた。自分たちの歴史を語れないことが、この映画で描かれているような人々を作り出してしまったんだ。
『アイヒマン~』同様、実話の映画化ですが、気をつけたことはありますか?
『アイヒマン~』と本作は、密接に関係している。どちらも、戦後のドイツの発展に対する興味から生まれたものだ。どちらも政治ドラマだ。両作を二本立てで上映してくれたら、素晴らしいんだがね。実話を基にした脚本を書くとき、大切なのは、歴史的な正確さとドラマ性のバランスを適切に保つことだ。「ストーリーはすべて事実だけど、ちょっと退屈だったね」と言われるようなものは作りたくないし、「事実とはかけ離れた内容だったね」と言われるものも作りたくない。適切なバランスを保つのは難しく、多大な努力を要するが、それがうまくできれば、素晴らしい脚本になる。私はス-パーヒーローが主役のフィクションより、事実に基づいた映画を観る方が好きだ。人々が実際に行った素晴らしい行動を知ることほど、刺激的なことはない。
若い俳優たちは、役作りや演じる時代などについて、どのように準備していましたか。
例えば、彼らはブギのレッスンを受けて、ディートリッヒ・ガルスカの本を読み、東ドイツの映画を観た。一番重要な映画は、『ベルリン シェーンハウザーの街角』だったね。この映画は僕らの映画で舞台となった年に公開されて、若い反逆者を描いたものだったからね。俳優たちにとって学ぶべきところが多くあったんだ。ヨナス・ダスラーはザクセンハウゼン強制収容所に足を運んだ。彼の家族の歴史と関係があるからね。ちなみに、僕の息子二人も映画に出演しているのだけれど(※レムケ家の次男三男役)、彼らが知らな かった時代ードイツが2つの国にに分かれていたことーや共産主義と資本主義の違いなど幼い子ども達に教えるのは大変だったよ。
原作者:ディートリッヒ・ガルスカDietrich Garstk
1939年、ベルリン生まれ。高校までシュトルコーで過ごす。東ドイツから西ベルリンにクラスメートの多くと一緒に逃亡。西ベルリンで高校を卒業したのち、ケルンとボーフムでドイツ文学、社会学、地理を学び、エッセンとクレーフェルトで高校教師を務める。2006年に自らの経験を記した『沈黙する教室 1956年東ドイツ―自由のために国境を越えた高校生たちの真実の物語』(アルファベータブックスより4月発刊予定)を出版。本作がベルリン国際映画祭でお披露目された2か月後の2018年4月18日に死去。
(大川珠季 訳)『沈黙する教室:1956年東ドイツ—自由のために国境を越えた高校生たちの真実の物語』アルファベータブックス(2019)