予告編
1990年代半ばに共同保育で幼少期を送った加納土監督が、自身の生まれ育った場所での生活を振り返るドキュメンタリー。加納土の母親はシングルマザーのため、自分が家にいない間、幼い息子を代わりに保育してくれる人を募集し、彼女が撒いたビラを見て集まった大人たちによって共同保育がスタートする。子どもたちの面倒を見ながら共同生活を送る保育人たち。この取り組みは「沈没家族」と名づけられた。大学生になった加納土は、自身が育った「沈没家族」、そして家族とは何なのかとの思いから、かつて一緒に生活した人たちをたどる。母の思い、そして不在だった父の姿を追いかける中で、家族の形を見つめなおしていく。加納監督が武蔵大学在学中の卒業制作として発表したドキュメンタリー映画を劇場版として再編集等を施して公開。
シングルマザーの母が始めた共同保育の試み“沈没家族” たくさんのオトナたちに育てられたボクは“家族”がよくわからないあたらしい“家族のカタチ”を問いかけるドキュメンタリー
『沈没家族劇場版』(2018/日本/93分/HD/カラー)監督・撮影・編集:加納土音楽:MONO NO AWARE/玉置周啓宣伝:contrail/配給:ノンデライコ/製作:おじゃりやれフィルムHP:chinbotsu.com/twitter:@chinbotsukazoku/FaceBook:@chinbotsukazoku
2019年4月よりポレポレ東中野ほか全国順次公開
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90年代半ば。様々な若者がひとつの“家”に寄り合い子育てに奮闘した実践的共同保育「沈没家族」/母はどうしてたったひとりでこの“家族”を始めたんだろう?/20年の時を経て、おぼろげだった僕の“家族のカタチ”が見え始めた――
時はバブル経済崩壊後の1995年。地下鉄サリン事件や阪神淡路大震災が起き、世相がドンドンと暗くなる中、東京は東中野の街の片隅で、とある試みが始まりました。シングルマザーの加納穂子が始めた共同保育「沈没家族」です。ここに集まった保育人たちが一緒に子どもたちの面倒を見ながら共同生活をしていました。そこで育ったボク(監督:加納土)が「ウチってちょっとヘンじゃないかな?」とようやく気づいたのは9歳の頃。やがて大学生になってあらためて思ったのです。
ボクが育った「沈没家族」とは何だったのか、“家族”とは何なのかと。当時の保育人たちや一緒に生活した人たちを辿りつつ、母の想い、そして不在だった父の姿を追いかけて、“家族のカタチ”を見つめなおしてゆきます。
映画祭で新鮮な感動を呼んだ卒業制作ドキュメンタリーが熱い期待に応えて、ついに【劇場版】として公開!
加納土監督が武蔵大学在学中の卒業制作作品として発表したドキュメンタリー映画『沈没家族』は、“家族のカタチ”を捉えなおす軽やかな語り口で観客に新鮮な感動を呼び、PFFアワード2017で審査員特別賞、京都国際学生映画祭2017では観客賞と実写部門グランプリを受賞しました。学生作品ながら、その後も新聞やテレビ等各メディアで取り上げられ続け、ついに劇場公開となります。一般公開にあたり、卒業制作版から再編集を経てバージョンアップ!さらに音楽を、その卓越した言語感覚とリズムで注目度MAXのバンド“MONO NO AWARE”が担当し、新たに書下ろした曲「A・I・A・O・U」を提供!格段にスケールアップした『沈没家族【劇場版】』是非ご覧下さい。
◆「沈没家族」とは
シングルマザーであった加納穂子(当時23歳)が「いろいろな人と子どもを育てられたら、子どもも大人も楽しいんじゃないか」との考えで、子守りの呼びかけに集まった若者と子どもたちによって、1995年から始められた共同保育・共同生活の実験的な生活形態。ストリート・カルチャーのオルタナティブな実践的ライフスタイルとして当時注目を浴び、メディアでもたびたび取り上げられた。
公式サイト:http://chinbotsu.com
https://ja.wikipedia.org/wiki/沈没家族
https://www.huffingtonpost.jp/2018/06/22/chinbotsu-kazoku_a_23465455/
https://www.tokyo-np.co.jp/article/living/life/201901/CK2019010102000132.html
https://www.tokyo-np.co.jp/article/living/life/201901/CK2019010402000141.html
90年代半ば。様々な若者がひとつの“家”に寄り合い子育てに奮闘した実践的共同保育「沈没家族」
母はどうしてたったひとりでこの“家族”を始めたんだろう?20年の時を経て、おぼろげだった僕の“家族のカタチ”が見え始めた
時はバブル経済崩壊後の1995年。地下鉄サリン事件や阪神淡路大震災が起き、世相がドンドンと暗くなる中、東京は東中野の街の片隅で、とある試みが始まりました。シングルマザーの加納穂子が始めた共同保育「沈没家族」です。ここに集まった保育人たちが一緒に子どもたちの面倒を見ながら共同生活をしていました。そこで育ったボク(監督:加納土)が「ウチってちょっとヘンじゃないかな?」とようやく気づいたのは9歳の頃。やがて大学生になってあらためて思ったのです。
ボクが育った「沈没家族」とは何だったのか、“家族”とは何なのかと。当時の保育人たちや一緒に生活した人たちを辿りつつ、母の想い、そして不在だった父の姿を追いかけて、“家族のカタチ”を見つめなおしてゆきます。
映画祭で新鮮な感動を呼んだ卒業制作ドキュメンタリーが熱い期待に応えて、ついに【劇場版】として公開!
加納土監督が武蔵大学在学中の卒業制作作品として発表したドキュメンタリー映画『沈没家族』は、“家族のカタチ”を捉えなおす軽やかな語り口で観客に新鮮な感動を呼び、PFFアワード2017で審査員特別賞、京都国際学生映画祭2017では観客賞と実写部門グランプリを受賞しました。
学生作品ながら、その後も新聞やテレビ等各メディアで取り上げられ続け、ついに劇場公開となります。一般公開にあたり、卒業制作版から再編集を経てバージョンアップ。さらに音楽を、その卓越した言語感覚とリズムで注目度MAXのバンド“MONO NO AWARE”が担当し、新たに書下ろした曲「A・I・A・O・U」を提供。格段にスケールアップした『沈没家族【劇場版】』として生まれ変わりました。
ポレポレ東中野:14:30- 16:10(93分)
監督舞台挨拶
沈没家族とは?
90年代半ば、東京の片隅で試みられた共同保育の試み
1995年、シングルマザーだった母・加納穂子(当時23歳)が、加納土監督が1歳のときに、共同で子育てをしてくれる「保育人」を募集するためにビラをまき始めた。「いろいろな人と子どもを育てられたら、子どもも大人も楽しいんじゃないか」という加納穂子の考えのもと集まったのは独身男性や幼い子をかかえた母親など10人ほど。毎月の会議で担当日を決めて、東京・東中野のアパートでの共同保育が始まった。母・穂子が専門学校やその後の仕事で土の面倒をみる時間が取れないときに、当番制で土の面倒をみていた。「沈没家族」という名称は、当時の政治家が「男女共同参画が進むと日本が沈没する」と発言したのを聞いて腹を立てた穂子が命名。
約1年半後、アパートが手狭になったこともあり、他の数組の母子や保育人とともに5LDKの一戸建てアパートに引っ越した。「沈没ハウス」と呼ばれたそのアパートには3組の母子と数人の若者が各部屋に居住し、生活を共にしながら育児も分担し、居住者だけでなく多くの人が出入りする場所だった。「沈没家族」は、家族の新しいかたちとして、またストリート・カルチャーのオルタナティブな生活実践として当時注目を浴び、メディアでもたびたび取り上げられた。
監督:加納 土 (かのうつち)
1994年生まれ、神奈川県出身。武蔵大学社会学部メディア社会学科の卒業制作として本作を2015年から撮影を始め、完成した作品はPFF等の映画祭で評価された。卒業後はテレビ番組会社に入社し、ドキュメンタリーや情報番組の制作に従事しながら、本作の「劇場版」の公開に踏み切った。本作が初監督作品。
http://mono-no-aware.jp/2019/03/15/aiaou_digital/
加納土
加納穂子:加納実紀代さんの娘さんのこと:http://www.3rddg.com/archives/kanou_hoko/index.html
加納実紀代:https://ja.wikipedia.org/wiki/加納実紀代
https://mainichi.jp/articles/20190223/k00/00m/040/181000c
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13907342.html