予告編
2011年7月22日にノルウェーのウトヤ島で起こった無差別銃乱射事件を、生存者の証言に基づき映画化。97分間の本編のうち、事件の発生から収束までの72分間をワンカットで描いた。11年7月22日、ノルウェーの首都オスロの政府庁舎前で車に仕掛けられていた爆弾が爆発する。世間が混乱する中、オスロから40キロ離れたウトヤ島で今度は銃乱射事件が起こり、同地でノルウェー労働党青年部のサマーキャンプに参加してた10~20代の若者たちが犠牲になった。犯人は32歳のノルウェー人のアンネシュ・ベーリング・ブレイビクという男で、極右思想の持ち主であるブレイビグは、政府の移民政策に不満を抱きテロを計画。政府庁舎前の爆弾で8人、ウトヤ島の銃乱射で69人と、単独犯としては史上最多となる77人の命を奪った。映画は同テロ事件のうちウトヤ島での惨劇に焦点を当て、サマーキャンプに参加していた主人公の少女カヤの視点から、事件に巻き込まれた若者たちが恐怖や絶望の中で必死に生き抜こうとする姿をリアリズムたっぷりに描いた。監督は「ヒトラーに屈しなかった国王」「おやすみなさいを言いたくて」のエリック・ポッペ。18年・第68回ベルリン国際映画祭コンペティション部門出品。
公式サイト:http://utoya-0722.com
https://ja.wikipedia.org/wiki/ウトヤ島、7月22日
監督:エリック・ポッペ Erik Poppe
1960年、ノルウェー・オスロ生まれ。ノルウェーの新聞社やロイター通信社のカメラマンとしてキャリアをスタート。スウェーデン・ストックホルムの映画・ラジオ・TV・演劇大学で撮影を学び、1991年に卒業した。ベント・ハーメル監督作品『卵の番人』(95)などで撮影監督を務め、数々のCMを演出。自らの製作会社パラドックスを設立した1998年に『Schpaaa』で監督デビューを果たし、同作品とそれに続く『Hawaii, Oslo』(04)、『deUSYNLIGE』(08)の“オスロ3部作”で数多くの賞に輝いた。また2002年には、ノルウェーのアマンダ賞で最優秀TVドラマ賞を受賞したTVシリーズ「Brigaden」の4つのエピソードを監督している。ジュリエット・ビノシュが報道写真家を演じた長編第4作『おやすみなさいを言いたくて』(13)は、かつて戦場カメラマンとして活躍したこともある監督自身の体験を反映させたヒューマン・ドラマ。この初めての英語作品でアマンダ賞の作品賞、撮影賞、音楽賞を制し、モントリオール国際映画祭の審査員特別賞を受賞した。さらに、ナチス・ドイツに侵攻され、降伏を迫られたホーコン7世の実話に基づく歴史ドラマ『ヒトラーに屈しなかった国王』(16)を発表。アマンダ賞で作品賞など8部門を独占するとともに、アカデミー賞のノルウェー代表作品に選出された。
監督の言葉
1.困難で過酷なプロジェンクトの始まり
7月22日のテロ事件の犯人ブレイビク。逮捕後、彼はメディアの注目が自分に集まるように仕向け、犯罪の核心をつく報道は次第に減っていった。犯行の動機は体制に対する不満だったが、実際には理想に燃える若者たちや、仲間を大切にする大人たちが標的にされた。そんななか、犯人が事件に関する物語の権利の返還を要求していることがわかった。だからこそ今、犠牲者やその遺族や友人に焦点を戻し、ブレイビクの犯罪を正しく理解することが必要だと感じたのだ。
ヨーロッパでは今、外国人への嫌悪や他者に対する懐疑心、テロリズムへの恐怖が膨れ上がっている。我々ひとりひとりがこの状況にどのように対処していくのかを考えることが大切なのだ。そして、それには一本芯の通った広い心を持つこと、仲間を信頼すること、そして共通の未来へ希望を抱くことが必要なのではないだろうか。
この映画の目的は、7月22日に多発した事件の全容を描くことではない。むしろ事件当日に人々が抱いた感情やジレンマをできるだけ直接的に表現したいと考え、事件全体の中のひとつの出来事を基に物語を作った。現場にいた若者の目を通して、ウトヤ島で起こった事件を描いている。
事件が与えた傷に多くの人が未だに苦しんでいることに心が痛む。同時に、この物語をドラマチックなフィクションにするのは避けるべきだと強く感じた。この事件を基に長編映画を作ろうとする計画が起こらないか、大きな不安を感じている。
すでに映画化案が数件持ち上がったが、今のところ成功したものはない。こういった背景を踏まえ、この映画では実際に起こったことに敬意を払いながら、事件の複雑性を伝える努力をしたいと思う。
物語の舞台は、AUF(ノルウェー労働党青年団)のサマーキャンプ。このキャンプには希望にあふれ、政治活動に積極的な同世代の若者たちが参加していた。若者たちはこの年の最大行事であるキャンプで、恋に落ちるのではないか、気の合う人が見つかるのではないかとワクワクしていた。
しかし、その期待やのどかな雰囲気は、銃声とともに一瞬にしてかき消され、人々はパニックに陥り、逃げ惑うことになる。若者たちは突然襲ってきた圧倒的なほどの恐怖に、どう立ち向かったのか。絶望的な状況から、どうやって逃げ出そうとしたのか。これらを目撃者の証言を基に描いている。それは我々の理解を超えた底知れない暗闇の中でひと筋の光を探すようなものだ。そんな状況下でも若者たちは助け合い、ひとりひとりが持つ最大限の思いやりや前向きな姿勢で乗りきろうとする。これこそが、この映画で私が描きたかった大切な要素だ。
しかし、彼らが負った怪我の様子や亡くなった犠牲者の数など、現実を観客に伏せておくことは不可能だ。殺戮の様子はあえてはっきりとは映さないが、その様子は音として伝わり、観客は犯人の姿よりも多くの死体を目撃することになる。
この複雑で過酷なプロジェクトは、我々製作者全員に試練を与えた。この物語に命を吹き込んでくれる若い俳優を探すことにも苦労した。さらに、こういった題材を扱うときには倫理的な境界線をどこで引くのかということも難しい問題だった。
2.ワンカットのカメラが映し出すもの
物語は最初の銃声の12分前から始まり、観客は主人公の少女と彼女の周りにいる人たちのことを見ていくと同時に、若者たちの思想や彼らが描く将来への希望などを知ることになる。また、オスロ市街で起こった爆発のニュースについても聞こえてくる。そして強い精神を持ち、機知に富み、前向きに、熱意を持って、世の中の役に立ちたいと思っている若者たちがいることを知る。最初の銃声が現実を破壊する前に、観客は彼らの関係性、責任、希望、そして夢を理解していく。
そして72分間の一連の出来事が始まる。若者は命からがら逃げ惑い、パニックに陥っていく。何が起こっているのかわからない状況のなか、彼らは島中のありとあらゆる場所で隠れ場所を探そうとする。今いる隠れ場所から次の隠れ場所へ逃げるなか、少女は友人や知り合いに遭遇していく。彼らは全員共通して、ひとりひとりが状況に立ち向かい、どうにか生き延びるための解決策を見出そうとする。そして若者たちの会話や行動を通して、絶望の中にいる彼らの思いやりや人間味が映し出されていく。
テロリストは近づいてきて、数回姿を見せる。暗闇の中に犯人の姿が見えたとき、カメラは恐怖のあまり目を逸らす。まるで、カメラを回している人が隠れるために後ろを向いたかのように。殺される人もいれば、逃げきる人もいる。やがて物語が終わりに近づくと、すべてが静寂に包まれる。これは地獄の静けさか、それとも犯人が捕まった静けさなのか。最後に、画面は島の映像から暗転に変わる。
3.この事件を描くことができる唯一の方法
最初の銃声が聞こえ、物語が急展開していくなか、カメラはずっと主人公の少女を追い続ける。映像はカットなしのワンテイクで撮影され、音楽も一切使われない。事件における実際の時間をリアルに体験してもらうため、装飾を一切加えることなくこの事件の現実を描いていく。
映画と観客の間を隔てるものは何もない。カット、モンタージュ、クロスカッティング、サウンドトラックなど、従来の映画製作技法をあえて使わないことで、この物語の辛辣な核心から目を背けることができない作りになっている。テロ行為に実際にかかった時間をそのまま伝えることは、若者たちが経験したことを描くうえで非常に重要な役割を果たしている。私はこの方法こそ、この物語を語る唯一の方法だと信じている。その時々に彼らがどこにいたのか、ひとりひとりに何が起こったのか。事実を理解するために、広範囲に及ぶリサーチを行った。
実話に基づく映画の場合、目撃者の証言によって物語を構成するのは自然なことだが、その内容を現実に思い出してしまう人がいることを忘れてはならない。亡くなった方や事件の影響に今でも立ち向かっている人たちに対する敬意をこめて、私は脚色ができないドキュメンタリーではなく、架空の物語にすることで、この事件をより鮮明に描けると考えた。
監督として脚本を練るときも、撮影のときも、若者たちの記憶を頼りにすることが不可欠だった。言葉を変えれば、彼らは物語の流れに反対したり、事実を正したりすることで、自然に脚本作りに参加していた。物語をより正確に伝えるために、彼らは最高のアシスタント役を担ってくれた。
撮影をウトヤ島で行うか、似た特徴を持つ別の島で行うか、その決定は非常に重要だった。ウトヤ島で撮影することが適切かどうか、時間をかけて話し合った。実際に事件の起きた場所で撮影することには利点もあるが、感情的に複雑だと感じる人がいることに対して、深い敬意を払いたいと思った。
4.映画にこめたメッセージ
この映画は、現代史上最悪の犯罪に遭遇してしまった人々の人生や希望の光を描いている。さらに、暗い思想を持ったテロリストの影に覆われた人々の団結心、思想、理想、未来を信じる心を描いた作品だ。従来の映画で使用される編集や音楽などを加えないことで、観客はその場にいるような臨場感を抱くことができる。従来の映画製作のやり方では、観客と画面の間にどうしても距離ができてしまうので、この方法を使うことで映画の中の現実を実感してもらいたいと思った。
これは非常に骨の折れるプロジェクトだった。この映画を作るには、犠牲者の家族や友人に敬意を払いつつ、何が起こったのかを忠実に描くという、ふたつの使命の間にある繊細なバランスを取る必要があった。実際に起こったことを忠実に描きたいという気持ちを、広範囲に及ぶリサーチで裏付けることで、よりリアルな描写が可能になった。
これはドキュメンタリーではない。しかし架空の物語にするために、ウトヤ島で起こったことを基にして作られている。それは非常に大変な作業で、関係者全員が熟練の技を最大限に生かすことが必要だった。そして、必要以上に感傷的になることなく、物語を伝えたいと思った。映画に登場する若者たちの感傷的な気持ちはいいのだが、映画自体が感傷的にならないように気をつけた。
外国人への嫌悪、潜在的な恐怖や絶望が世界を取り巻くこの時代において、この映画は現実味を帯びた作品だと思う。事件の内容だけでなく、映画の中の若者たちが見せる思いや行動は、今こそ我々が思い出すべき人間の善良な面ではないだろうか。今だからこそ人間らしさは不可欠であり、大切なのだ。生存者の中には、実際に起こったことをリアルに描き、重要な事柄を雄弁に語る映画が必要だと言う人もいる。私はこの映画が、事件について人々が熟考し、議論するきっかけになってくれることを願っている。
https://natalie.mu/eiga/pp/utoya-0722
ヒューマントラストシネマ渋谷: 14:50-16:30 (97分)
2011年7月22日。治安が安定した北欧の福祉国家として知られるノルウェー王国が、悪夢のような惨劇に襲われた。午後3時17分、首都オスロの政府庁舎前で、駐車中の不審な白いワゴン車に積み込まれていた爆弾が爆発。凄まじい威力で周囲のビルのオフィスや店舗を破壊し、8人が死亡した。さらに午後5時過ぎ、オスロから40キロ離れたウトヤ島で銃乱射事件が発生。この第二のテロでは、ノルウェー労働党青年部のサマーキャンプに参加していた十代の若者たちなど69人が殺害された。
犯人は当時32歳のノルウェー人、アンネシュ・ベーリング・ブレイビク。排他的な極右思想の持ち主であるブレイビクは、積極的に移民を受け入れていた政府の方針に強い反感を抱き、用意周到に準備を整えたうえでおぞましい連続テロ計画を実行した。単独犯の事件としては史上最多となる77人もの命が奪われたこのテロは、ノルウェーにおける戦後最悪の大惨事となったが、日本での報道は限定的なものにとどまり、事件の全容を知る者は極めて少ない。
そして事件から7年が経過した2018年、奇しくもこの連続テロ事件を題材にした2本の映画が製作され、世界的な関心が再び高まっている。1本は『ユナイテッド93』や“ジェイソン・ボーン”シリーズのポール・グリーングラス監督が手がけたNetflixオリジナルの配信映画『7月22日』。テロによって傷ついた少年がそのトラウマと向き合っていく過程を中心に、ブレイビクの犯行と裁判での言動、国の安全保障の見直しを迫られる首相らの姿を捉え、テロ事件だけでなく事件後に何がノルウェーで起きたかを描いている。もう1本がアカデミー賞外国語映画賞ノルウェー代表作品に選ばれた『ヒトラーに屈しなかった国王』のエリック・ポッペ監督が撮り上げた本作、『ウトヤ島、7月22日』である。
突然に現代の不可解な状況に巻き込まれる危険感の映画である。