予告編
大正時代の日本に実在した無政府主義者・朴烈と日本人女性・金子文子の愛と闘いを、「王の男」「ソウォン 願い」のイ・ジュニク監督、「高地戦」「建築学概論」のイ・ジェフン主演で描いた韓国映画。1923年の東京。朴烈と金子文子は、運命的とも言える出会いを果たし、唯一無二の同志、そして恋人として共に生きていくことを決める。しかし、関東大震災の被災による人びとの不安を鎮めるため、政府は朝鮮人や社会主義者らの身柄を無差別に拘束。朴烈、文子たちも獄中へ送り込まれてしまう。社会を変えるため、そして自分たちの誇りのために獄中で闘う事を決意した2人の思いは、日本、そして韓国まで多くの支持者を獲得し、日本の内閣を混乱に陥れた。そして2人は歴史的な裁判に身を投じていく。ジェフンが朴烈役を、「空と風と星の詩人 尹東柱(ユン・ドンジュ)の生涯」のチェ・ヒソが金子文子役を演じるほか、金守珍ら「劇団新宿梁山泊」のメンバーが顔をそろえる。2018年・第13回大阪アジアン映画祭では「朴烈(パクヨル) 植民地からのアナキスト」のタイトルでオープニング作品として上映された。
『王の男』『王の運命(さだめ) 歴史を変えた八日間』『空と風と星の詩人 尹東柱(ユン・ドンジュ)の生涯』に続き、イ・ジュンイク監督が再び世界を魅了する――禁断の歴史映画の誕生!
本作は『建築学概論』『探偵ホン・ギルドン消えた村』のイ・ジェフンと、イ・ジュンイク監督のミューズとして『空と風と星の詩人 尹東柱の生涯』で注目された新鋭チェ・ヒソがW主演を務め、2017年、韓国で大ヒットを記録。『王の運命歴史を変えた八日間』『空と風と星の詩人尹東柱の生涯』のイ・ジュンイク監督がメガホンをとり、大正期の日本に実在した金子文子と朴烈の愛と闘いの物語を描き出した。本作は、大鐘賞映画祭で監督賞をはじめ5冠を達成、計10冠を記録している。そして、2017年大阪アジアン映画祭では、オープニングで上映され大きな話題を呼んだ。
1923年、東京。社会主義者たちが集う有楽町のおでん屋で働く金子文子は、「犬ころ」という詩に心を奪われる。この詩を書いたのは朝鮮人アナキストの朴烈。出会ってすぐに朴烈の強靭な意志とその孤独さに共鳴した文子は、唯一無二の同志、そして恋人として共に生きる事を決めた。ふたりの発案により日本人や在日朝鮮人による「不逞社」が結成された。しかし同年9月1日、日本列島を襲った関東大震災により、ふたりの運命は大きなうねりに巻き込まれていく。内務大臣・水野錬太郎を筆頭に、日本政府は、関東大震災の人々の不安を鎮めるため、朝鮮人や社会主義者らを無差別に総検束。朴烈、文子たちも検束された。社会のどん底で生きてきたふたりは、社会を変える為、そして自分たちの誇りの為に、獄中で闘う事を決意。ふたりの闘いは韓国にも広まり、多くの支持者を得ると同時に、日本の内閣を混乱に陥れていた。そして国家を根底から揺るがす歴史的な裁判に身を投じていく事になるふたりには、過酷な運命が待ち受けていた…。
公式サイト:http://www.fumiko-yeol.com
https://ja.wikipedia.org/wiki/朴烈_植民地からのアナキスト
監督 イ・ジュンイク
本作を通して
私は一人の青年の純粋な信念に光を当てたかった
そして今日の世界に生きる私たち全員に問いかけたかった
日本植民地時代の朴烈のように
私たちは世界と真正面から向き合っているだろうかと
(1959年9月21日-)
「あまり知られておらず、真意を見抜きにくい人物の生涯に、スポットライトを当てる映画を作りたかった」
歴史上の人物造形で卓越した才能を発揮する、韓国の巨匠
監督イ・ジュンイクは“1000万人の観客を獲得した映画監督”“生来のストーリーテラー”“歴史映画の魔術師”などという表現で讃えられてきた。『王の男』から『雲を抜けた月のように』『あなたは遠いところに』『ソウォン/願い』『王の運命―歴史を変えた八日間―』『空と風と星の詩人~尹東柱の生涯~』まで、イ・ジュンイクは観客を引きつけ感動させる確かな演出術で、映画の完成度と興行成績をうまくミックスさせる監督として名声を確立してきた。今回、日本帝国を翻弄した実話に基づく本作でスクリーンに戻ってきた。前作『空と風と星の詩人~尹東柱の生涯~』で、日本の植民地時代の短くも輝かしい青春物語を穏やかなトーンで描いた。本作では、朝鮮出身の向こう見ずなアナキスト・朴烈の人生を通して、燃え上がるような情熱の青春物語を描く。植民地時代を描いた映画にありがちな悲劇的で重い雰囲気とは一線を画し、歴史の見方を一新するようなワクワク感と痛快さを取り入れている。さらに、激動の時代の空気感と朴烈の鋭い洞察力も描く。本作を作った意図を聞かれたイ監督は次のように語る。「あまり知られておらず、真意を見抜きにくい人物の生涯にスポットライトを当てる映画を作りたかった」。朴烈というあまり有名ではない人物を通して、世界を再び魅了するであろうイ監督は、こう問いかける。「今日の社会に生きる私たちは、日本の植民地時代に生きた朴烈のように、世界に真正面から向き合っているだろうか?」
イ・ジェフン
『Bleak Night(原題)』で印象深い演技を見せたイ・ジェフンは確かな演技力で、『高地戦』『建築学概論』『探偵ホン・ギルドン ~消えた村~』などに出演。『シグナル』や『明日、キミと』『秘密の扉』(NHKBS放映中)などのテレビドラマに出演し、人気スターとなる。本作で、日本統治下に生きた無鉄砲な自称アナキスト・朴烈役を演じ、大きな転機を迎えた。この役のために、外見を変え、日本語を学んだほか、朴烈の人生についても調べ、若きアナキストの信念を懸命に表現した。イ・ジェフン自らが俳優としてのキャリアの転換点と考える本作で、すべてのシーンで卓越した演技を見せ、観客の感動をもたらすだろう。
チェ・ヒソ
大阪(建国小学校)と米国に居住経験のある帰国子女。イ・ジュンイク監督のミューズとして『空と風と星の詩人 尹東柱の生涯』で名を馳せたチェ・ヒソ。同作でクミ役を演じ、繊細な感情表現と完璧な日本語で強い印象を残した。今回再び、イ・ジュンイク監督の作品に抜擢された。本作では、日本人でありながら、朝鮮の独立と日本帝国主義への抵抗を貫いた強い女性・金子文子を演じた。チェは金子文子の自伝に基づいて役作りした。その過程で、日本人なまりの朝鮮語に話しているように聞こえるように、自身のセリフをひらがなに書き直すなど、様々な努力を惜しまなかった。その結果、イ・ジュンイク監督は彼女の文子は完璧だと褒め称えた。本作を通して、女優チェ・ヒソは確かな演技力でスターへの足掛かりを確かなものにした。
イメージ・フォーラム:13:40-16:00 (129分)
金子文子(かねこふみこ)
(1903年1月25日〜1926年7月23日)
「一緒に暮らしましょう。私もアナキストです。」
1903年、横浜市に生まれ。大正期に活動した無政府主義思想家。複雑で恵まれない家庭環境で育ち、親類の元を転々とする。9歳から16歳まで朝鮮半島で過ごし、1919年には独立運動の光景を目の当たりにする。直後に帰国し17歳で単独上京。社会主義者との交流の中で朴烈と出会う。本作では、朴烈と初めて出会ったとき、金子文子は自分をアナキストだと名のり、同棲を提案する。文子は日本人であるが、日本の植民地主義には反対で、朴烈の同志そして恋人となった。朝鮮人虐殺事件隠蔽のスケープゴートとして逮捕された朴烈と共に投獄され、のちに大逆罪で起訴された。日本帝国政府の懐柔と迫害にも屈せず、堂々とした態度を保ちつづけ、日本政府を揺るがすこととなった裁判に朴烈と共にかけられる。大逆罪で死刑判決を下されるが恩赦で無期懲役へ減刑。しかし1926年7月23日に獄死した。著作に『何が私をこうさせたか――獄中手記』(岩波文庫)がある。
1904-1926 大正時代の無政府主義者。
明治37年生まれ。大正11年東京で不逞(ふてい)社を組織した朝鮮人の朴烈(パク-ヨル)と知りあって同棲。関東大震災の際,検挙されて大逆罪にとわれ,15年朴とともに死刑判決をうける(朴烈事件)。無期懲役に減刑後の同年7月23日服役中に自殺。23歳。神奈川県出身。
朴烈(パクヨル)
(1902年3月12日〜1974年1月17日)
「私は朝鮮の犬ころです」
日本帝国を揺るがした
李氏朝鮮時代の最も“不逞な”青年
朝鮮人の無政府主義運動家。1902年、慶尚北道生まれ。三・一独立運動後、1919年に日本へ渡り日本で社会主義運動に参加。そこで金子文子と出会い、公私にわたるパートナーとなる。日本植民地時代に反日運動に全精力を捧げた朴烈の暮らしは、貧しかったかもしれない。しかし、彼は朝鮮人を嘲笑う日本人に対し全身全霊で刃向かい、全朝鮮人の中で最も反抗的な人物であった。関東大震災後の混乱期の朝鮮人虐殺を隠蔽するスケープゴートとして1923年9月3日、金子文子とともに逮捕されたが、皇太子暗殺計画を自白することで日本政府を逆に混乱に陥れる。世界が注目する裁判において、彼は日本人が仕掛けた筋書きに対抗するヒーローになる決意をする。大逆罪に問われ、死刑判決を下されるが、恩赦により無期懲役へ減刑。第二次世界大戦終結後に出獄し、大韓民国へ帰国。1974年、北朝鮮で死亡。
朝鮮の社会運動家。本名朴準植。慶尚北道生れ。1919年渡日,アナーキズム運動に参加。1922年同志金子文子と同棲,小サークル〈不逞社〉を組織。1923年関東大震災時,金子文子とともに拘束,治安警察法違反,爆発物取締罰則違反,そのうえ大逆罪にでっちあげられ死刑宣告(朴烈事件)。同年恩赦で無期懲役に減刑されたが,金子は自殺。戦後釈放され,1946年在日本朝鮮居留民団(民団)を結成,1949年韓国に帰り李承晩政権の国務委員。1950年朝鮮戦争時北朝鮮に連行され,のち南北平和統一委員会副委員長。
朴烈事件
1923年に大正天皇暗殺計画の容疑で朝鮮人朴烈 (本名朴準植) と愛人の金子文子が検挙された事件。朴は朝鮮人の無政府主義団体である黒濤会を結成し,中心となっていたが,大正天皇の写真を壁に張り,ナイフで刺したのを尾行の刑事に見られたことから,関東大震災後の同年9月2日金子とともに検挙され,上海から爆弾を入手し天皇暗殺を計画したかどで25年10月20日起訴され,26年3月25日大審院は両人に死刑を判決した。同4月5日両人は終身刑に減刑されたが,金子は7月獄中で自殺した。しかし,この事件をめぐって,取調室で朴が金子を膝に抱いているところを判事が撮影した写真がひそかに持出されたうえで怪文書として配布された。野党の政友会が,この写真を使って,若槻礼次郎内閣の倒閣をはかったことから政治問題化し,若槻内閣の退陣を早めた。
金子文子『何が私をこうさせたかー獄中手記』岩波文庫
韓国のエンターテインメント映画の底力がすごい。