予告編
イギリスの名優マイケル・ケインがプロデュースとプレゼンターを務め、今なお世界中に影響を与え続けるイギリスの1960年代カルチャー「スウィンギング・ロンドン」を描いたドキュメンタリー。ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ザ・フーといった大物ミュージシャンをはじめ、モデルのツイッギー、ファッションデザイナーのマリー・クワントなど、6年がかりで50以上のインタビュー撮影を敢行。さらにジョン・レノンやデビッド・ボウイら伝説的パイオニアたちの貴重なアーカイブ映像も盛り込みながら、時代をリードした人々の証言を通して当時の熱狂を体感することができる。ブロードキャスターとして活躍するピーター・バラカンが日本語字幕監修を担当。
公式サイト:https://mygeneration-movie.jp
https://www.bunkamura.co.jp/cinema/lineup/19_my_generation.html?ugad=NtWxKGnT
https://tokushu.eiga-log.com/interview/17673.html
監督:デイビッド・バッディ(David Batty)
1962年生まれ。TVドキュメンタリーのリサーチャーを経て、チャンネル4のドキュメンタリー・シリーズ「Cutting Edge」の4話(93~96)で監督としてのキャリアをスタート。以来、家なき逃亡者から英国王室、日本の神風特攻隊からカムデンのゴミ収集作業員、さらにヒトラーの恐ろしい心理学的ポートレートに至るまで40本以上を監督してきた。中でも、「闇の奥にまで入り込んだ……注目に値する……痛烈な作品」と評され、ニュース&ドキュメンタリー・エミー賞の調査報道部門にノミネートされたTVドキュメンタリー「The Cult of the Suicide Bomber」(05)の監督として最もよく知られている。本作では、マイケル・ケインの大掛かりなシークェンスの数々とともに、50以上のインタビューの撮影を敢行した。
デイヴィッド・バッティ監督にとってマイケル・ケインは憧れの存在だったという。「彼は私の大好きな映画の何本かに出演している。将来もこれを超えるものは絶対に作れない最高の英国ギャング映画『狙撃者』(71)や、おそらく英国最高の戦争映画の1本『ズール戦争』(64)、私が思うにボンド映画よりよくできている『国際諜報局』(65)などだ」
幸い、バッティは生い立ちのおかげで、スターに夢中になりすぎたり何も言えなくなったりすることはなかった。バッティの両親はビートルズ映画の監督リチャード・レスターと家族ぐるみの親しい友人で、両家はよく休暇をともにし、バッティは5歳のとき、レスターが『ジョン・レノンの僕の戦争』(67・未)を撮影中のスペインで休暇を過ごしたのだ。
バッティと家族は、伝説の人と一緒に自家用ジェットでロンドンに戻った。5歳なので飛行機に乗ることのほうに興奮していたが、バッティは世界で最も有名な人と握手したことを覚えている。
「レノンは『ストロベリー・フィールズ・フォーエバー』をスペイン滞在中に書き始め、また、常に自身の最高傑作と見なしていたようだ。その曲を私たちが本作のためにビートルズの代表曲として選んだのは、不思議な巡り合わせだ」とバッティは語る。
ケインを撮影するにあたっては、バッティは彼を温かくもてなそうと考えたという。「彼は監督する喜びを与えてくれる人だ。経験豊かで、世界中であらゆることをしてきたにもかかわらず、『何をしてほしい?』と訊いてくれる。そして驚くほど気前よく自分の時間を差し出してくれるんだ」
バッティはロンドン中で数え切れないくらいケインを撮影した。「BTタワーの最上部へ行かせたり、隙間風の入るエレベーターで何時間も昇り降りさせたり、凍えるほど寒い日にテムズ川でボートに乗せたりしたが、マイケルは一度も不平を言わなかった」とバッティ。そして、こう付け加える。「マイケルは決して私に、映画界の大物やハリウッド・スターと仕事をしていると感じさせなかった。彼はいつも『1960年代は人生最良の時代だった』と言い、みんなに1960年代を知ってもらいたがっている。だから、このプロジェクトに情熱を傾けたんだ」
ナビゲーター・プロデューサー:マイケル・ケイン(Michael Caine)
60年以上のキャリアを持ち、2度のアカデミー賞に輝く映画界のレジェンド。1933年、南ロンドン生まれ。本名はモリス・ジョーゼフ・ミクルワイト。幼い頃から演技に興味があり、53年に英陸軍を除隊後、映画『ケイン号の叛乱』から芸名を取って、舞台俳優として英国中を巡業。映画やTVにも出演し始める。
映画で初の大役を演じたのは『ズール戦争』(64)。諜報員ハリー・パーマー役で初主演した『国際諜報局』(65)でBAFTA賞(英国アカデミー賞)に初ノミネートされ、続く『アルフィー』(66)ではアカデミー賞に初ノミネート。一躍国際的スターとなる。60年代後半は他に、『国際諜報局』の続編『パーマーの危機脱出』(66)と『10億ドルの頭脳』(67)、ゴールデン・グローブ賞にノミネートされた『泥棒貴族』(66)、そして『夕陽よ急げ』『女と女と女たち』(67)、『恐怖の落し穴』『怪奇と幻想の島』(68・未)、『ミニミニ大作戦』『空軍大戦略』(69)など11本の映画に主演した。
その後の20年間に出演した映画は、ロバート・アルドリッチ監督『燃える戦場』(70)、エリザベス・テイラー共演『ある愛のすべて』(72)、ジョン・ヒューストン監督の『王になろうとした男』(75)と『勝利への脱出』(81)、『ニューヨーク一獲千金』(76)、リチャード・アッテンボロー監督『遠すぎた橋』(77)、ニール・サイモン脚本『カリフォルニア・スイート』(78)、ブライアン・デ・パルマ監督『殺しのドレス』(80)、シドニー・ルメット監督『デストラップ 死の罠』(82)、スタンリー・ドーネン監督『アバンチュール・イン・リオ』(84・未)、ジョン・フランケンハイマー監督『第三帝国の遺産』(85・未)、ニール・ジョーダン監督『モナリザ』(86)、ゴールデン・グローブ賞にノミネートされた『ペテン師とサギ師 だまされてリビエラ』(88)など40本以上に上る。
アカデミー賞では、ウディ・アレン監督『ハンナとその姉妹』(86)、ラッセ・ハルストレム監督『サイダーハウス・ルール』(99)で助演男優賞を2度受賞。主演男優賞には『アルフィー』以外にも、ローレンス・オリヴィエ共演『探偵〈スルース〉』(72)、そして『リタと大学教授』(83・未)、『愛の落日』(02)で計4回ノミネートされた。また、『リタと大学教授』でゴールデン・グローブ賞とBAFTA賞、『リトル・ヴォイス』(98)でゴールデン・グローブ賞を獲得。
最近は、クリストファー・ノーラン監督のヒット作『バットマンビギンズ』(05)、『ダークナイト』(08)、『ダークナイトライジング』(12)で執事アルフレッド役を演じ、同監督の歴史劇『プレステージ』(06)でロンドン映画批評家協会賞を受賞。大ヒット作『インセプション』(10)と『インターステラー』(14)でもノーラン監督と仕事をした。さらに、アカデミー賞外国語映画賞受賞監督パオロ・ソレンティーノの『グランドフィナーレ』(15)で主演を務め、ザック・ブラフ監督『ジーサンズ はじめての強盗』(17)ではモーガン・フリーマンやアラン・アーキンと共演した。
そのほかの主な出演作に、『ブラッド&ワイン』(96)、『クイルズ』『デンジャラス・ビューティー』(00)、『オースティン・パワーズ ゴールドメンバー』(02)、ゴア・ヴァービンスキー監督『ニコラス・ケイジのウェザーマン』(05・未)、アルフォンソ・キュアロン監督『トゥモロー・ワールド』(06)、『センター・オブ・ジ・アース2 神秘の島』(12)、ルイ・ルテリエ監督『グランド・イリュージョン』(13)、マシュー・ヴォーン監督『キングスマン』(14)などがある。92年に大英帝国勲章CBEを受章し、その8年後にナイトに叙された。最新主演作『King of Thieves』(18)ではジム・ブロードベント、レイ・ウィンストンらと共演している。
プロデューサーのサイモン・フラーとプレゼンター兼プロデューサーのマイケル・ケインは、大スクリーンで1960年代を可能な限りリアルに見せたいと考えていた。そのため、ディテールの再現に膨大な時間が費やされた。
「歴史的事件が信じられないほどたくさん起きた10年間だが、本作では、ひとつの事柄に90秒以上かけていないので、90分で非常に多くのことが語られている。各シーンは、数週間がかりのリサーチと熟考のたまものだ」と編集のベン・ヒルトンは語る。
フラーとケインは、1960年代に初めて使われた映像技術も反映させたがっていた。監督のデイヴィッド・バッティは言う。「映像にはノイズや傷、光、それに何だかわからないものがたくさん入っていたが、あえてきれいにしなかった。これも重要なディテールだから」
ヒルトンは、ビートルズが飛行機から降りる映像を何本も見た結果、別のビジュアルスタイルにたどり着いたという。「大部分の映像はまったく同じ方法で撮られたものだと気づいた。カメラマンたちは前にいる人々が映らないように、高い三脚に載せたカメラで、手を振りながら笑顔で降りてくる彼らを撮ったんだ。そこで私は何日もかけて、飛行機から降りる彼らを後ろから撮った映像を探した。それは手持ちカメラでかなり接近してビートルズの視点で撮った映像で、彼らはカメラマンと話をしている。私たちはみんなが百万回も見たニュース映像は使いたくなかった。動きのある、一瞬の決定的な映像を探したんだ」
現在のケインの映像については、バッティは彼の有名な出演作『ミニミニ大作戦』からインスピレーションを得た。オリジナルのアストンマーティンDB4を見つけ、スコットランドからロンドンに運び、ケインが運転する姿を昼夜にわたり撮影した。「信号で止まるたびに大勢の人が集まり、写真を撮っていた。Twitter上では『ミニミニ大作戦』のリメイクだろうという推測で盛り上がっていた」とバッティは微笑む。
デイヴィッド・ベイリーのスタジオを再訪し、象徴的なモノクロのポートレートの前を通り過ぎるケイン、ナイトクラブ「アドリブ」に敬意を表して再現した旧式のエレベーター、テムズ川の上のケインなどが撮影された。本作は60年代を従来とは異なる視点で見せる。
「私たちは、マイケルが1960年代に実際にやったことを反映させようと、小さなディテールを探し求めていた」とバッティ。また技術的な発達も反映させたことについてヒルトンが説明する。「本作は60年代初頭のモノクロ、モノラルばかりの映像で始まるが、60年代末にはカラーでステレオになる。当時の音響・映像技術の発達過程を取り込んだんだ」
https://ja.wikipedia.org/wiki/マイケル・ケイン
脚本/プロデューサー:ディック・クレメント&イアン・ラ・フレネ(Dick Clement & Ian La Frenais)
英国のTVコメディー・シリーズを数多く執筆してきた名脚本家コンビ。ラ・フレネは1936年生まれ、クレメントは1937年生まれ。映画脚本家としても活躍し、代表作に『地獄のかけひき』(69/クレメントは監督も兼任)、『ロンドン大捜査線』(71)、『ゼンダ城の虜』(79)、『ザ・コミットメンツ』(91)、『スティル・クレイジー』(98)、『アクロス・ザ・ユニバース』(07)、『バンク・ジョブ』(08)などがある。
本作の脚本の概要には、ふたつの目的が記されていた。まず、60年代ポップ・カルチャーの物語を、のちの世界にどのように影響を与えたかという観点から語ること。第二に、ドキュメンタリーの案内役マイケル・ケインと彼の経験に焦点を当てること。ケインらと同様、脚本家のディック・クレメントとイアン・ラ・フレネも本作に情熱を注いだ。
ラ・フレネが語る。「ミニスカートと素晴らしい曲の数々が生まれた時代というだけではなく、社会が激変し、あらゆる種類の作品が爆発的に生まれた時代でもある。音楽だけでなく、ファッション、アート、映画などのすべてが、政治、社会的変化、性的指向、ドラッグ、フェミニズムの混合の中にあった。驚くべき坩堝だ」
「私たちは3幕仕立てで行くことに決め、まずは編集室に座って必須映像を選ぶ作業をした」とクレメントは語る。たとえば、保守党国会議員サー・ジェラルド・デイヴィッド・ニューネス・ナバーロがカメラに向かって若者の堕落を語る映像。「過ぎ去ったものとの対比を示していて、素晴らしく皮肉で面白い」
必須映像を選んだ後、デイヴィッド・バッティ監督と彼のチームはそれをひとつにまとめて形を整え、脚本家コンビが映像に合わせてナレーションを書き直せるようにした。
それから彼らは、ケインとバッティがインタビューした映像を取捨選択した。クレメントが説明する。「デイヴィッド・バッティは時代の重要な証人たちへの素晴らしいインタビューのために忙しく働いていたし、マイケルもポール・マッカートニーやロジャー・ドールトリーらに次々とインタビューしていた。おかげで私たちは、彼らの見解を考慮しつつ脚本を書くことができた」
「マイケルが自分自身のことを語ってくれたことは、私たちにとって重要だった」とバッティは語る。「最初の映画の大役を獲得したのかをどのようにして教えてもらう必要があったんだ。なぜ彼は名前を変えなければならなかったのか。また、彼やビートルズや他のみんなは、有名になるためになぜロンドンに来なければならなかったのかを」
Bunkamura:15:10- 16:45 (85分)
『ハンナとその姉妹』『サイダーハウス・ルール』で2度のアカデミー賞®を手にし、近年は『バットマン』シリーズなどで活躍する英国の大スター、マイケル・ケイン。そんな彼と華麗な青春のタイム・トリップを楽しめる画期的な作品が登場した。『マイ・ジェネレーションロンドンをぶっとばせ!』は、彼を育てた60年代のロンドンの新鮮の輝きを体感できる貴重な映像コラージュ集となっている。製作総指揮も担当したケイン自身がナビゲイターとして登場し、絶妙なプレゼンテーションを展開。『アルフィー』や『ズール戦争』といった60年代の出演作やテレビのインタビュー番組をはじめとする若き日のケインの映像と撮りおろしによる現在の映像を交互に出すことで、その時代観がリアルに伝わる。
コックニー訛りで話す労働者階級の出身でありながら、新しい時代の追い風を受けることで自らの道を切り開き、成功の階段を登ったケイン。そんな彼を生んだユニークでオリジナルな時代に対する愛情あふれるナレーションを通じて、当時の生々しい感覚がよみがえってくる。
本作には60年代のカルチャー・アイコンともいうべき数多くの人々が登場する。元ビートルズのポール・マッカートニー、ローリング・ストーンズのミック・ジャガー、ザ・フーのロジャー・ドールトリーといった大物ミュージシャン、女優で歌手のマリアンヌ・フェイスフル、人気モデルのツィギー、カリスマ的なカメラマンのデイヴィッド・ベイリー、ミニスカートの発案者であるファッション・デザイナーのメアリー・クヮント。こうしたキーパーソンに取材し、現在の映像ではなく、若き日の姿に現在の声をかぶせるという大胆な手法をとることで、当時の表現者たちの生々しい創造の息吹きが伝わる。他にもジョン・レノン、デイヴィッド・ボウイ、ヴィダル・サスーン、デイヴィッド・ホックニー、ジョーン・コリンズ、サンディ・ショウ等、数多くの開拓者たちの貴重なアーカイヴ映像もたっぷり盛り込まれる。
マイケル・ケインは60年代を「英国史において初めて若い労働者階級が声をあげた時代」と考えているが、時代をリードした人々のコメントを通じて、音楽、映画、ファッション、アートと文化の新しい発信地だった「スウィンギング・シティ」=ロンドンのカラフルな魅力が伝わる。タイトルの「マイ・ジェネレーション」は、ザ・フーの大ヒット曲からとられているが、劇中では他にもビートルズ、ローリング・ストーンズ、アニマルズ、キンクス、クリーム等、幅広い選曲が行われ、その歌詞が時代の気分を伝える。
1960年代後半は、ロンドンだけでなく、世界で同時多発的に若者文化が花開いた時代だった。それは、第二次大戦後のベビーブーム時代に生まれた世代、いわゆる団塊の世代(1947年〜49年生まれの世代)の存在が大きい。全人口の約半分を25歳以下が占めたこの時代、音楽・ファッションの分野で巨大なティーンエイジャー市場と大規模なユース・カルチャーが産まれ、さらにはそれが社会そのものを揺り動かし活性化させたのだ。彼らが与えた影響は、約半世紀が過ぎた現在にも及んでいる。ビートルズやローリング・ストーンズは現在も不滅の人気を誇り、世界中のミュージシャンたちに大きな影響を与えている。そして、ポール・マッカートニーやストーンズは、今も現役続行中。カメラマンのデイヴィッド・ベイリーも現役で活動し、日本でも写真展を開いたばかり。60年代のカリスマたちは21世紀に入ってもロングランナーとして不滅の影響力を誇っている。また、マイケル・ケインの主演作『国際諜報局』は現在の大ヒット・シリーズ『キングスマン』にも影響を及ぼしている。
彼らがいた60年代には光があふれていたが、ここでは時代の負の部分も描かれる。歌手のドノヴァンは初めて薬物で逮捕されたミュージシャンとなり、ストーンズのブライアン・ジョーンズは薬物中毒で他界した。“青春の光と影”が同時に描かれることで、作品にドラマティックな奥行きが生まれている。監督は過去にエミー賞候補になった作品も手がけたデイヴィッド・バッティで、今回の作品のために1600時間を超える映像素材を集め、ケインと共に6年がかりで作った。脚本と製作は英国のテレビ界で知られ、映画は『ザ・コミットメンツ』等の脚本を手がけているイアン・ラ・フレネとディック・クレメント。音楽監督は『ホーム・アローン』のターキン・ゴッチが担当している。