予告編
「東ベルリンから来た女」で知られるドイツの名匠クリスティアン・ペッツォルト監督が、ファシズムの風が吹き荒れたナチスによる史実と現代の難民問題を重ね合わせ、祖国を追われた人々が希望を求めてさまよう姿をサスペンスフルに描いたドラマ。原作は、1930~40年代にかけて、ナチス政権下のドイツから亡命した小説家アンナ・セーガースによる「トランジット」。ドイツで吹き荒れるファシズムから逃れてフランスにやってきた青年ゲオルクは、パリからマルセイユへと流れ着く。偶然の成り行きから、パリのホテルで自殺した亡命作家ヴァイデルに成りすますことになったゲオルクは、そのまま船に乗ってメキシコへ行こうと思い立つ。そんな時、必死に人捜しをしている黒いコート姿の女性マリーと出会ったゲオルクは、ミステリアスな雰囲気を漂わせる彼女に心を奪われる。夫を捜しているというマリーだったが、その夫こそゲオルクが成りすましているヴァイデルのことだった。2018年・第68回ベルリン国際映画祭コンペティション部門出品作品。
ナチスによる悪夢的史実と現代の難民問題を驚くべき発想で重ね合わせた野心作!祖国を追われた人々が希望のありかを見つけようとする姿をサスペンスフルに描いた、私たちが今観るべき物語。
現代のフランス。祖国ドイツで吹き荒れるファシズムを逃れてきた青年ゲオルクが、ドイツ軍に占領されようとしているパリを脱出し、南部の港町マルセイユにたどり着いた。行き場をなくしたゲオルクは偶然の成り行きで、パリのホテルで自殺した亡命作家ヴァイデルに成りすまし、船でメキシコへ発とうと思い立つ。そんなとき一心不乱に人捜しをしている黒いコート姿の女性とめぐり合ったゲオルクは、美しくもミステリアスな彼女に心を奪われていく。しかしそれは決して許されず、報われるはずのない恋だった。なぜなら、そのマリーという黒いコートの女性が捜索中の夫は、ゲオルクが成りすましているヴァイデルだったのだ……。
ミヒャエル・ハネケ、フランソワ・オゾンに起用され、今ヨーロッパで最も注目を集める若手俳優たちがペッツォルト監督作品に新たな風を吹き込む
『東ベルリンから来た女』『あの日のように抱きしめて』で歴史に翻弄された人々の数奇な運命を描いた名匠クリスティアン・ペッツォルトが、驚くべき発想に満ちた最新作を完成させた。ドイツの作家アンナ・ゼーガースが1942年に亡命先のマルセイユで執筆した小説「Transit」を、現代に置き換えて映画化。ユダヤ人がナチスの理不尽な迫害を受けた戦時中の悲劇と、祖国を追われた難民をめぐる問題が深刻化している21世紀の今の状況を重ね合わせるという大胆な試みを実践した野心作である。主演には巨匠ミヒャエル・ハネケの『ハッピーエンド』など話題作に相次いで出演し2018年のベルリン映画祭シューティングスター賞を受賞したフランツ・ロゴフスキー。ヒロインにはフランソワ・オゾン監督作『婚約者の友人』の主演に抜擢され2017年ヴェネチア国際映画祭マルチェロ・マストロヤンニ賞(新人賞)を受賞した注目の女優パウラ・ベーアが扮している。
公式サイト:http://transit-movie.com
https://natalie.mu/eiga/news/315233
Christian Petzoldクリスティアン・ペッツォルト(監督・脚本)
1960年ドイツ、ヒルデン生まれ。ベルリン自由大学でドイツ哲学と演劇を学んだ。その後ドイツ映画テレビアカデミー(DFFB)で映画製作を学ぶと同時に、ハルン・ファロッキ、ハルトムート・ビトムスキーの助監督を務めた。『YELLA』(07/未)でベルリン国際映画祭の銀熊賞(女優賞)をニーナ・ホスにもたらし、『東ベルリンから来た女』(12)でベルリン国際映画祭銀熊賞(監督賞)を受賞。同作と同じく『あの日のように抱きしめて』(14)は米ナショナル・ボード・オブ・レビューの「外国語映画ベスト5」に選出され、サンセバスチャン映画祭批評家連盟賞、リスボンと香港で監督賞、ニーナ・クンツェンドルフがドイツ映画賞の最優秀助演女優賞、ニーナ・ホスがモンス国際映画祭とシアトル国際映画祭の俳優賞などに輝いている。最近はテレビの犯罪ドラマ『KREISE(原題)』『WÖLFE(原題)』の脚本、監督を手掛けるなど活躍の幅を広げている。
Based on the novel ‘TRANSIT’ by Anna Seghersアンナ・ゼーガース(原作)
1900年ドイツ、マインツ生まれ。ハイデルベルク大学で美術史・中国史の博士号取得。1925年に学生時代に知り合った亡命ハンガリー人と結婚しベルリンへ移住、1927年以降小説を発表していく。1928年にドイツ共産党に入党。1933年にナチスが政権を取るとゲシュタポに逮捕されるがハンガリー国籍であったために釈放、その後彼女の作品はドイツ国内で発禁となる。警察の監視下に置かれながらもスイスに逃れ、そしてフランスへと亡命。1940年「トランジット」(中央公論社「新集世界の文学42」)の執筆を開始。ナチスの勢力がフランスに及ぶと、ドイツ軍占領下のパリに数か月隠れ住む。さらなる亡命先を求めて非占領地域のマルセイユへの脱出に成功。194年、アメリカ作家連盟の援助でマルセイユから貨物船でメキシコに亡命。1943年「トランジット」脱稿。1947年帰国。ベルトルト・ブレヒト夫妻の元に身を寄せた後、西ベルリンに居を構えたが、1950年東ベルリンに移る。1983年に83歳で死去。
新宿武蔵野館:14:35-16:20 (102分)
INTERVIEWS
舞台を現代のマルセイユに置き換えて、1940年代の小説「トランジット」を映画化しようと思いついた経緯は?
歴史映画として『あの日のように抱きしめて』をハルン・ファロッキ(※『あの日のように抱きしめて』共同脚本)とすでに作っていた。僕らはその時代を生きていたし、あの時代、あの状況、あの思いを再現した。ハルンと僕は、1940年のマルセイユですべてが展開する構想でこの映画の最初のトリートメントも書いていた。ハルンが亡くなった後、プロジェクトを再開したけど、脚本はそれ自体で完結しているという印象だった。でも同時に全然情熱を持つことができなくなっていたんだ。その時、自分が撮りたいのは歴史映画ではないことに気づいた。過去を再構築する作業はしたくない。世界中に難民がいて、僕らはナショナリズムが再台頭するヨーロッパに住んでいる。だから歴史映画製作という安全地帯に立ち戻りたくなかった。
1940年と現在のマルセイユという異なる世界を脚本で描写するのは難しいものでしたか?
脚本を手がける前に、“現代のマルセイユを舞台にして、亡命者たちの動きを映画にしたらどうなるか?”と想像してみたんだ。違和感はなかった。スーツ姿でダッフルバッグを背負った人がマルセイユの港を歩き、ホテルの部屋を予約して「ファシストが三日後にやってくるから、僕はここを出ていかなくてはならないんだ」と言う場面を全く問題なく思い描いていた。ちっとも違和感がなくて、逆にそのこと自体に違和感を感じたくらいだよ。つまり、70年前にマルセイユで行き詰っていた人々の逃亡の試み、不安、トラウマ、あらゆる物語がたやすく理解できるということだ。そのことになんの説明も要らないということに驚かされたよ。
二人の主役、フランツ・ロゴフスキとパウラ・ベーアはどのように見つけたのですか?
ゲオルクについては、なんとしてでも自分の方法を通す、自分というのものを持つ印象を与える俳優を探していたんだ。脚本を書いているときは、『勝手にしやがれ』のジャン=ポール・ベルモンドのような俳優が頭にあった。いつもキャスティングを一緒にやるシモーネ・ベアもベッティナ・ボーラーもすぐにフランツ・ロゴフスキを勧めてくれたんだ。会ってまずフランツが言ったのは、パリのカフェのシーンのピンボール・マシンが気に入らないということだった。ピンボール・マシンが映ると1960年代の回想シーンのようになってしまう、この映画はもっと現在と過去を同じスペースに置くことが大事だと。まさに彼の言う通りで、私はすぐさまピンボール・マシンを撤去した。パウラ・ベーアに私の目を向けさせたのはフランソワ・オゾンだった。フランソワは公開前の『婚約者の友人』のラッシュを見せてくれて、私はとても感銘を受けた。パウラはまだ22歳なのに、どこであの成熟を手に入れたのか見当もつかない。それと同時に驚くほどのみずみずしい魅力を放っていた。
難民問題は世界的な課題になっていますが、本作を製作するにあたり意識しましたか?
この問題には常に細心の注意が必要だ。私たちが本作の準備を進めている間にカレーの難民キャンプ「ジャングル」が解体された。あそこへ行って撮影し、アフリカからの難民たち、難民ボート、それにイタリアのランペドゥーサ島に打ち上げられる遺体をカメラに収めろ、と周囲から言われたよ。でも、それはできない。アフリカからの難民を撮影することはできないんだ。私にはそんなことをする権利などない。それがどういうものかもわからない。僕たちが映画の中で描いたのは、マルセイユにあるマグレブ(北アフリカのモロッコ、アルジェリア、チュニジアの三国の総称)だが、マグレブは街の一部として、フランス植民地時代の歴史の一部として、確かに存在している。僕らの仕事はそこに実在するものを舞台に、物語の世界を作っていくことだった。