ナーランダ大学
ナーランダNalanda
https://ja.wikipedia.org/wiki/ナーランダ
(ナラン=蓮、ダ=与える)
- 仏教大学遺跡 https://ja.wikipedia.org/wiki/ナーランダ大学 (5c-12c)
・玄奘記念堂
- ナワ・ナーランダー・マハーヴィハーラ(国立大学)(2014-)
https://en.wikipedia.org/wiki/Nalanda_University
世界遺産:「ビハール州ナーランダ―のナーランダ・マハーヴィハーラの考古遺構」2016
https://worldheritagesite.xyz/nalanda-mahavihara/
インド北東部,ビハール州中部のビハールシャリーフ南西にある仏教遺跡。ナーランダの歴史は仏教の開祖である釈迦とジャイナ教の開祖であるマハービーラの生きた時代に始まる。5世紀のグプタ朝時代に仏教の那爛陀寺(ならんだじ)が設けられ,7世紀に玄奘や義浄が留学して仏教教理を学び,中国,東南アジア諸国からも多数の僧が留学した。12世紀末頃にイスラム教徒に侵略されるまでナーランダはインドの後期仏教の密教学(→密教)の中心地であった。1915年以来インド考古局の発掘により,僧院や寺院の遺構が明らかにされ,2016年世界遺産の文化遺産に登録された。出土遺品はグプタ朝からパーラ朝にわたるが,特にパーラ朝の密教彫像が優れている。パーラ朝美術を代表する密教美術の特色は,尊像の種類が著しく増加したことと,各尊の像容が厳密に定められたことである。文献資料としては成就法を集録した『サーダナマーラー』が重要。最も種類の多い尊像は観音系(→観世音菩薩)で,文殊系(→文殊菩薩),多羅系(→多羅菩薩)がこれに続く。明王部では降三世明王,ヤマーンタカ(→大威徳明王),ヘールカ,天部ではジャンバラ(宝蔵神),マハーカーラ(→大黒天),マリーチー(→摩利支天)が彫像として制作された。彫像の体躯は細く華奢で,全体的にはマンネリズムが感じられる。ナーランダの優れた遺品としては遺跡の近くに立つマリーチー像,大塔基壇側壁を飾る観音立像などがあげられる。
https://kotobank.jp/word/ナーランダ遺跡-108605
玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)いわゆる三蔵法師Xuanzang (シュェンザン)
https://ja.wikipedia.org/wiki/玄奘三蔵
https://ja.wikipedia.org/wiki/大唐西域記
https://ja.wikipedia.org/wiki/西遊記
https://en.wikipedia.org/wiki/Xuanzang
https://www.britannica.com/biography/Xuanzang
https://www.iep.utm.edu/xuanzang/
http://www.acmuller.net/yogacara/thinkers/xuanzang-bio.html
デリーー>パトナ(Patna)ー>ナーランダ
https://ja.wikipedia.org/wiki/パトナ
https://kotobank.jp/word/パトナ-115436
インド北東部,ビハール州の州都。同州北西部,ガンジス川南岸に位置。前4世紀にマウリヤ朝の首都がおかれ,当時はパータリプトラと呼ばれていた。4世紀からはグプタ朝の首都となり繁栄が続いたが,6世紀にエフタルによって破壊された。スール朝,次いでムガル帝国のもとで河港都市として発展。1765年にイギリス軍に占領された。市街は川に沿って20km近くも延び,商店,住宅の密集する旧市街と,行政機関,博物館などのある新市街とに分れる。農機具,薬品,自転車などの工場も立地。15世紀のモスク,パトナ大学(1917) ,文書館,シク教第10代の師(グル) ゴービンド・シンを記念する寺院がある。人口91万6980 (1991) 。
インド北東部、ビハール州の都市。同州の州都。ガンジス川南岸に位置し、付近にガンダク川、ソン川、ガガラ川などの支流の合流点がある。紀元前5世紀頃、マガダ国の都パータリプトラが置かれ、続いてマウリヤ朝やグプタ朝の都になった。米・小麦・砂糖などの集散地。パトナ大学、パトナ博物館、英国統治時代の街区バンキブルなどがある。パトナー。
インド東部、ビハール州の州都。人口137万6950、周辺部を含む人口170万7429(2001)。ガンジス川本流とガンダク川、ソン川、ガガラ川の各支流が合流する付近に位置する交通上の要地で、紀元前5世紀から現在に至るまで、文化、交易の中心地として発達してきた。市街地はガンジス川の右岸に沿い幅2キロメートル、長さ20キロメートルにわたって東西に細長く延びる。東部が旧市街地で、穀物商、香辛料商などの小さな店や住宅の密集するなかに16世紀のモスク、17世紀のシク教寺院などがある。中央部がバンキプルといわれる植民地時代の市街地で、かつては多くのイギリス風建築物があった。西部は新市街地をなし、病院、高等裁判所、高級住宅が並び、アラビア、ペルシアの古文献の収集で有名な図書館や、パトナ大学がある。これまでのガンジス川堤防と鉄道に挟まれた帯状の市街地は西部、南部へと拡大している。米、小麦、砂糖などの農産物を集散するとともに、織物、ガラスなどを産する。[中山晴美]