木村久夫 「聞け、わだつみの声」
悲劇の学徒兵・戦犯として処刑・遺書で日本軍部を徹底的に批判【美しい日本】とやらの素顔は冷酷な【棄民国家】だった 特に自民党に捧げる 第2次世界大戦
77年前の12月、日本が始めた太平洋戦争は、他国の住民を巻き込み多くの命を奪った。その責任を負わされ、戦犯という名のもとに死刑になった一人の青年がいる。木村久夫は経済学者を目指し京都大学に入学したばかりの、いわゆる学徒兵だった。
シンガポールの刑務所で、木村は無実を訴える遺書を書いた。それは、愛読していた哲学書の余白を埋め尽くすように書かれていた。
「私は何等死に値する悪はなした事はない」
「私は彼の責任をとって死ぬ」
問われた罪は、終戦間近のインド洋の島で現地住民を拷問、処刑、虐殺したというものだった。通訳だった木村は死刑、しかし木村に命令する立場にあった上官は無罪となった。この戦犯裁判は明らかに不合理だと、木村は訴える。
「法廷に於ける真実の陳述をなす事を厳禁され——(遺書より)」
禁じられた真実の陳述とは?
TBSは戦後、木村の法要に集まった遺族や同僚が証言する様子を放送していた。そこへ、命令を下したとされる上官本人が謝罪に訪れる…。なぜ命令に従った末端の兵士、一個人が犠牲にならなければならなかったのか。後世の私たちに、木村が獄中から訴えた戦争の理不尽さを考える。
公式ページ(番組HP): http://www.tbs.co.jp/tv/20181202_CEF3.html
https://datazoo.jp/tv/JNNドキュメンタリー+ザ・フォーカス/1218508
http://kakaku.com/tv/channel=6/programID=73502/
ディレクター:山本杏奈(TBSテレビ報道局)
プロデューサー:佐古忠彦
製作著作TBS:1:20-1:50(30分) :12/2深夜1:20
http://www.tokyo-np.co.jp/article/culture/culture_news/CK2014042902000214.html
https://www.nichibun-g.co.jp/magazine/history/017.html
https://mainichi.jp/articles/20180401/k00/00e/040/182000c
https://blogos.com/article/85514/
https://blog.goo.ne.jp/musshu-yuu/e/11b38c8ef83d351a3717e25b1422d4a1
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/0815-3kimura.htm
(インド洋)アンダマン諸島・ニコバル諸島:カーニコバル島
学徒兵:木村久夫
(京都帝國大学法学部出身任務地アンダマン諸島カー二コバル島1946年5月23
日シンガポール・チャンギー刑務所で絞首刑.)
悲劇の学徒兵・戦犯として処刑・遺書で日本軍部を徹底的に批判【美しい日本】とやらの素顔は冷酷な【棄民国家】だった 特に自民党に捧げる 第2次世界大戦
BC級戦犯(死刑判決)984人
参謀(中佐):斉藤 (軍部全体の判断)
中谷彪著『塩尻公明と戦没学徒木村久夫-「或る遺書について」の考察』(大学教育出版2014)
加古陽治『真実の「わだつみ」学徒兵木村久夫の二通の遺書』東京新聞出版局2014
『きけわだつみのこえ』収録の中でも最も重要とされる木村久夫(一九一八年~四六年)の遺書は、本の余白に書かれたものとされてきたが、もう一通、父親に宛てた遺書が見つかった。『わだつみ』所収の文章はその二通を〝編集〟し、陸軍を痛烈に批判した箇所が削除されたり、辞世の歌を入れ替えたりしたものだった。本書はその二通の遺書全文を、原文に忠実に掲載。詳しい解説を付け、遺書の背景、村が戦犯とされることになった「カーニコバル島事件」の真実にも迫る。戦後の平和主義の意義が問われる今こそ、読むべき本。
戦没学徒の遺稿を集めた『きけわだつみのこえ』の中で特に重要とされる京大生・木村久夫の遺書。しかし、『わだつみ』に収録された遺書は、二つの遺書を合わせて大幅に編集されていた。知られざる「もう一通の遺書」を発掘し、改変を明らかにした東京新聞、中日新聞のスクープ。その二通の遺書全文を掲載し、記者による書き下ろしとともに、木村の人生とその最期の思い、木村が戦犯に問われた事件の真実に迫る。
木村久夫
昭和期の学徒兵戦争犯罪人として刑死した学徒兵。
生年:大正7(1918)年4月9日
没年:昭和21(1946)年2月13日
出生地:大阪府吹田市
経歴
昭和17年京大入学直後、応召、1年後、インド洋のカーニコバル島に送られ、独立混成第36旅団の陸軍上等兵で敗戦を迎えた。スパイ容疑の島民処刑事件で取り調べの通訳をしたため、戦後、イギリス軍の軍事裁判に回され、上官の犠牲で死刑判決を受け、21年2月13日シンガポールで処刑された。チャンギー監獄で田辺元の「哲学通論」の余白に、無実であることを克明に書き残した。この手記は、高知高校時代の師で政治学者の塩尻公明によって「或る遺書について」として紹介され反響を呼んだ。
https://kotobank.jp/word/木村%20久夫-1643704
1918-1946 昭和時代前期の学徒兵。
大正7年4月9日生まれ。京都帝大入学後に応召。陸軍上等兵。インド洋カーニコバル島での島民処刑事件で通訳をつとめたため責任をとわれ,イギリス軍の軍事裁判をうけ,昭和21年5月23日シンガポールで刑死。28歳。愛読書の余白にのこした手記が,23年に旧制高知高時代の師塩尻公明の「或る遺書について」で紹介された。大阪出身。
【格言など】日本軍隊のために犠牲になったと思えば死に切れないが,日本国民全体の罪と非難とを一身に浴びて死ぬのだと思えば,腹も立たない。笑って死んで行ける(遺書)
https://kotobank.jp/word/木村久夫-1070454