【予告】映画「母さんがどんなに僕を嫌いでも」2018年11月16日(金)全国公開
小説家・漫画家の歌川たいじによる同名コミックエッセイを太賀、吉田羊の共演で映画化。タイジは幼い頃から大好きな母に愛されることなく育てられた。母からの愛の欠乏、さらに壮絶な家庭環境に耐えかね、17歳で家を飛び出し、1人で生きることを選択したタイジだったが、友人の言葉に動かされて母ときちんと向き合う覚悟をする。大人になってもタイジを拒絶する母。そんな母からの愛を取り戻すため、タイジは母に立ち向かっていく。タイジ役を太賀、母・光子役を吉田がそれぞれ演じ、「レディ・プレイヤー1」の森崎ウィンをはじめ、白石隼也、秋月三佳、木野花らが脇を固める。監督は「すーちゃん まいちゃんさわ子さん」の御法川修。
公式サイト:http://hahaboku-movie.jp
https://ja.wikipedia.org/wiki/母さんがどんなに僕を嫌いでも
https://eiga.com/news/20181117/13/
「吉田羊、息子を演じた子役の手紙に感涙「母は幸せでした」」
https://eiga.com/news/20181030/23/
「吉田羊、虐待母を演じた苦悩「思考回路が理解できず」」
https://eiga.com/person/88200/
シネスイッチ銀座:16:30- 18:24(104分)
歌川たいじ(コミックエッセ)『母さんがどんなに僕を嫌いでも』2013年KADOKAWA
新版『新版母さんがどんなに僕を嫌いでも』2018年
原作者歌川たいじ
1966年、東京都出身。09年より日常を漫画にしたブログ「♂♂ゲイです、ほぼ夫婦です」を始め、単行本「じりラブ」(10)にて漫画家デビューを果たす。自費出版本「ツレちゃんに逢いたい」(12)が発行部数15,000部を超え注目を集め、15年には「やせる石鹸」で小説家デビューを果たす。会社員時代よりゲイを公表しており、NHK「ハートネットTV」への出演や、NGO団体への協力など、精力的に活動を続けている。本作の原作となる「母さんがどんなに僕を嫌いでも」(13)は発売当時より高い評価を受けて小説版も発売。17年には日本財団が主催する「これも学習マンガだ!」に選出され、映画公開に合わせて新版も発行された。8月末には新作「花まみれの淑女たち」の発売が控えている。
COMMENT原作者コメント
大勢で制作する映画と違って、本を作るときは基本的にひとりで粛々と作るのですが、「母さんがどんなに僕を嫌いでも」を描いていた間は「こんな自分の過去なんか描いて、誰かの役に立つのだろうか」と、ずっと考えながら原稿用紙に向かっていました。ところが、いざ出版してみると、各方面から大きな反響をいただきまして、テレビや新聞、雑誌やネットなどで数多く取り上げていただき、ただただ驚くばかりだったのです。それから間もなく、本作のプロデューサーが「ぜひ映画化したい」と、無名な私の本を手にあちこち駆けずり回ってくださいました。「どれどれ」と読んでくださった方々が次々と手を差しのべてくださって、御法川監督をはじめスタッフ・キャストが集結し、いよいよ制作がはじまるまでの一部始終を見せていただきました。私は映画制作のことはなにも知りませんが、こんなふうに熱意と人情によって作られる映画もあるのだなあと、胸が熱くなったのでした。
「痛みの多かった少年時代に重きを置くのではなく、人とのふれあいによって主人公が変わっていく過程をていねいに描いた温かい映画にしよう」プロデューサーも監督も脚本家も口を揃えてそう仰って、もちろん私も心から賛成しました。そして、スタッフ・キャストの方々全員が同じ認識のもと、一丸となるという表現がぴったりの体制で、私が自分の半生を通して世の中に伝えたかったことを表現してくださいました。そんな現場を目の当たりにして、「ここにいる人たちは本当に実在する人間なのだろうか、どこかに羽を隠した天使なんじゃないのだろうか」などと思ったのを鮮烈におぼえています。
「主人公タイジ役を太賀でどうだろうか」という話が出たとき、思わず身を乗り出して叫んでしまいました。太賀さんが10代だった頃から出演作品を観ておりました私は、ひとりの表現者として、彼の演技力を非常にリスペクトしていたからです。「画面を通して見る太賀の顔は、圧倒的な情報量を持つ顔だ。さまざまな香りのスパイスが調和する絶品カレーのような芝居だ」と、常々絶賛してきた役者さんなのです。
念願叶って彼が主役に決まり、母役を吉田羊さん、婆ちゃん役を木野花さんが演じてくださると聞いて、「もう原作者として、なんにも心配することはないんじゃないか」と思えました。他の役についても、これ以上望むものはなにもないと思うほどの役者さんが参加してくださって、これっぽっちも不満はありませんでした。編集を終えた本作をはじめて拝見したとき、あまりにも自分のことすぎて、この映画がおもしろいのか、つまらないのか、正直、わかりませんでした。感想なんて抱けないほど、自分のことすぎたのです(実は、原作を書き上げたときも同じような思いでした)。試写を見終わってわかったのは、「ここに描かれているのは間違いなく自分の過去だけれど、もう、自分だけのものではなくなったのだな」ということだけです。
この話には、闇を抱えていた私を変えてくれた恩人や親友たちが登場します。不真面目な私が、死んでも裏切れない人たちです。彼らが私に与えてくれた、変わる勇気、変えていく意志。かけがえのないものが、この中にあふれています。そんな自分の過去が、大勢の人の力で翼を広げ、いよいよ映画になって自分のもとから飛び立ったのだと試写を拝見して感じました。
「飛び立ったのならば、できるだけ遠くまで飛んでいってほしい。そして、届くべきところにちゃんと届いてほしい」そんな気持ちで、いまはいっぱいです。この映画にちりばめられた、私が自分の闇と戦う中で手にしてきた宝物。それらが、世の中の痛みのある心にどうか届きますようにと、それだけをいま、願っています。