予告編
2014年に香港で起こった「雨傘運動」の一部始終を、運動に参加した若者たちの視点から記録したドキュメンタリー。14年、将来的に普通選挙で行政長官を選ぶことができるようになるはずだった香港で、民主主義的な普通選挙の道を閉ざす「8.31決定」が下される。これを受けて「真の普通選挙」を求める若者たちが街を占拠するデモ活動を開始し、警官隊から浴びせられる催涙弾に対して雨傘を手に抵抗したことから、一連のデモは「雨傘運動」と呼ばれた。当時27歳の若手映像作家チャン・ウージン監督がデモの前線でカメラを回し、その中で出会った学生らに焦点を当て、ごく普通の若者たちが「香港の未来」を探し求めた79日間を記録した。17年の山形国際ドキュメンタリー映画祭「アジア千波万波」部門で小川紳介賞を受賞。
僕が生まれる前、1984年に香港が1997年に中国に返還される事が決まった。2014年、香港にはいまだに民主主義はない。自分たちで香港の代表を選ぶ「真の普通選挙」を求めて若者が街を占拠した、雨傘運動。同じ「香港人」であるはずの警官たちからの浴びせられる催涙弾に皆が雨傘を手に抵抗し、僕はカメラを手にデモに向かった。そこで映画の主人公となる仲間たち、大学生のレイチェル、ラッキー、仕事が終わってからデモに駆けつけてくる建築業のユウ、授業のあと1人でデモに来た中学生のレイチェルたちに出会った。香港の街が占拠され、路上にはテント村ができ、自習室ではラッキーの英語無料教室が開かれた。テントをたて、水を運び、そして夜は一緒にマットを敷いて路上に寝る日々。討議がまとまらず言い争いになると「これが民主主義」だと、皆で笑いあう。こんな香港を見るのははじめてだった。香港に暮らす「普通」の僕たちが、「香港人」として「香港の未来」を探した79日間の記録――。
当時27歳だった陳梓桓(チャン・ジーウン)監督が仲間たちと過ごした、未来のための備忘録。
公式サイト:https://amagasa2018.com
https://cinemarine.co.jp/amagasa/
https://globe.asahi.com/article/11676707
陳梓桓(チャン・ジーウン/Chan Tze-woon)監督
政策研究の学位取得後、香港バプテスト大学で映画制作を学ぶ。初期短編作品『香港人不知道的(The Aqueous Truth)』(2013)と、ジョニー・トー主宰の新人監督発掘コンペティション「鮮浪潮」の助成金を得て製作された短編『表象および意志としての雨』(2015)は、香港の政治事件を写し取ったモキュメンタリーの手法をとられた。ドキュメンタリー映画『乱世備忘-僕らの雨傘運動』(2016)が長編デビュー作。1987年5月6日生まれ。
http://www.cinemajournal.net/special/2017/yellowing/index.html
https://angielee.hatenablog.com/entry/2018/07/12/025320
横浜シネマリン:10:00-12:10 (128分)
伯川星矢
周庭(アグネス・チョウ):「香港衆志」常務委員
http://wakusei2nd.com/series/御宅女生的政治日常――香港で民主化運動をし-18/
葉錦龍(サム・イップ):雨傘運動・金鐘地区ブロックリーダー
遠藤誉・深尾葉子・安冨歩 『香港バリケード――若者はなぜ立ち上がったのか』 明石書店2015。
區龍宇 (早野一訳)『香港雨傘運動―プロレタリア民主派の政治論評集』柘植書房新社2015
■雨傘運動とは
1997年、中国に返還された香港は「特別行政区」となった。「香港特別行政区基本法」には将来、「普通選挙」で行政長官を選ぶ事ができるとされたが、2014年北京は、共産党が支持しない候補を選挙から排除する仕組みを導入する「8.31決定」を下し、民主主義的な普通選挙の道は閉ざされた。「8.31決定」の撤回、「真の普通選挙」の実施を求め、香港の金融街・中環(セントラル)を占拠する「オキュパイ・セントラル」が計画された。大学では授業ボイコットが行われ、黄之(ジョシュア)鋒(・ウォン)ら若者による組織「学民思潮」は、政府本庁舎前で抗議活動を開いた。催涙弾で鎮圧しようする警察に、数万人におよぶ学生、市民たちが雨傘で抵抗した事により「雨傘運動」と呼ばれるようになった。しかし成果を得ないまま占拠を続ける運動に対して徐々に市民からの反発も強まり、79日間に及ぶ「雨傘運動」は終了した。金(アドミ)鐘(ラルティ)に残ったバリケードには、「It’s just the beginning /まだこれからだ」というメッセージが残されていた。
その後、黄之鋒は「民主の女神」こと周庭(アグネス・チョウ)と共に、香港の自決権を掲げる政党「香港衆志(デモシスト)」を創設。2018年、周庭が立法会議員補欠選挙出馬の届け出を行うも認められず、香港の「高度な自治」が脅かされているとの懸念が高まっている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/2014年香港反政府デモ
香港で2014年9月28日から79日間続いた民主化要求デモ。2017年の香港行政長官選挙をめぐって、中国中央政府が民主派の立候補者を実質的に排除する選挙方法を決定したことに抗議する数万人の学生・市民が銅鑼湾(コーズウェイベイ)・金鐘(アドミラルティ)・旺角(モンコック)などの繁華街を占拠た。名称は、催涙弾や催涙スプレーで排除しようとする警察に、デモ参加者が雨傘をさして対抗したことから。雨傘革命。香港反政府デモ。
https://kotobank.jp/word/雨傘運動-1818530
雨傘革命
2014年9月に香港で始まった民主化要求運動。17年に実施される行政長官(香港のトップ)の選挙に関して、中国政府が自由な立候補を阻む選挙制度を決定したため、9月25日夜、民主派の学生らが中環(セントラル)地区の行政府庁舎前に結集した。3日後、警察の催涙スプレーに、民主派のデモ隊が雨傘を開いて対抗したことから、「雨傘革命」と呼ばれることになった。
香港は1997年にイギリスから中国に返還され、現在は中国の特別行政区である。返還から50年間は、外交・防衛を除く分野での高度な自治を保障する「50年不変の原則」が約束され、現在まで「一国二制度」が貫かれてきた。香港自治政府の「首長」が行政長官で、現職は12年に選出された梁振英(りょうしんえい)である。これまで行政長官の選挙は定数1200人の選挙委員による投票で行われ、一般市民の直接選挙権はなかった。選挙委員は各種議会、産業界、社会団体などの代表者から成るが、親中派が大半を占めていた。
14年8月、中国政府はこれを不服とする香港住民の意向をくみ、18歳以上の住民に行政長官選挙の投票権を与える新制度案を示した。しかし、立候補者は新設される「指名委員会」が選定する仕組みで、事実上、中国共産党の意向に沿わない民主派の出馬は閉ざされることになった。完全な自由選挙を求める民主派の占拠は香港島の中環(セントラル)地区から始まり、当初は12年に愛国教育の導入を阻止した学生グループ「学民思潮」らが主導的な役割を担っていた。やがて主婦や老人、サラリーマンなど一般市民も加わり、大規模デモとなって九龍半島にも拡大していった。10月21日には民主派学生の代表と行政府の幹部との異例の対話が実現したが、行政府の歩み寄りはなく、物別れに終わった。民主派への妥協は中国本土の反政府運動や分離独立運動に飛び火しかねないことから、今後も中国当局が新制度を撤回する可能性は低いと見られる。現在(14年11月末時点)も双方の主張は隔たったまま、行き詰った状態が続いている。
(大迫秀樹 フリー編集者/2014年)
https://kotobank.jp/word/雨傘革命-1689627