予告編
1973年、全世界で9,000万人の目をくぎ付けにした決戦があった。女子テニスの世界チャンピオンのビリー・ジーン・キングと、元男子チャンピオンのボビー・リッグスの戦いだ。
男女平等を求める運動が起こっていたが、あくまで“始まり”にすぎなかったこの時代、女子の優勝賞金が男子の1/8だという事実に抗議したビリー・ジーンは、仲間と共に“女子テニス協会”を立ち上げ、自分たちでスポンサーを探し出す。そんなビリー・ジーンに、“男性優位主義の代表”として挑戦状を叩きつけたのが、ボビー・リッグスだ。一度は拒否したビリー・ジーンだが、彼女にはすべてをかけて戦わなければならない理由があった。遂に“バトル・オブ・ザ・セクシーズ=性差を超えた戦い”が幕を開ける──。
公式サイト:http://www.foxmovies-jp.com/battleofthesexes/
https://ja.wikipedia.org/wiki/バトル・オブ・ザ・セクシーズ
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13574104.html
バレリー・ファリス Valerie Faris 監督
1970年代後半、米カリフォルニア大学ロサンゼルス校在学中に、後に夫となるジョナサン・デイトンに出会い、結婚後は夫婦で映像制作を行う。80~90年代にはレッド・ホット・チリ・ペッパーズをはじめ数々のアーティストのミュージックビデオやドキュメンタリーを監督、2度のグラミー賞に輝いた。98年にCM制作会社を設立し、アップル、AT&T、ソニーなど大企業のCMを手がける。06年、夫婦でメガホンをとった初の長編映画「リトル・ミス・サンシャイン」が全米でロングランヒットし、アカデミー賞では4部門にノミネート、脚本賞(マイケル・アーント)と助演男優賞(アラン・アーキン)を受賞した。その後、ラブストーリー「ルビー・スパークス」(12)や、実話をもとにしたスポーツドラマ「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」(18)を夫婦で監督した。
ジョナサン・デイトンJonathan Dayton 監督
1970年代後半、米カリフォルニア大学ロサンゼルス校で映画学を専攻。在学中に出会ったバレリー・ファリスと結婚し、夫婦で映像制作に取り組む。80~90年代にかけてレッド・ホット・チリ・ペッパーズら数々のアーティストのミュージックビデオやドキュメンタリーを監督し、2度のグラミー賞に輝く。98年にCM制作会社を設立し、アップル、AT&T、ソニーなど大企業のCMを手がける。長編映画初監督作「リトル・ミス・サンシャイン」(06)は全米でロングランヒットを記録し、アカデミー賞では作品賞など4部門にノミネート、脚本賞(マイケル・アーント)と助演男優賞(アラン・アーキン)を受賞した。以降、ラブストーリー「ルビー・スパークス」(12)、実話をもとにしたスポーツドラマ「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」(18)などを夫婦で監督する。
https://cinema.ne.jp/recommend/battleofthesexes2018070606/
「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」エマ・ストーンインタビュー映像
シネクイント:17:40-19:52 (122分)
ビリー・ジーン・キングとは?
ビリー・ジーン・キング・イニシアティブの創設者で、ワールド・チーム・テニスの共同創設者。長きにわたり、社会変革と平等を求めて戦っている。
1943年11月22日、アメリカ、カリフォルニア州、ロングビーチ生まれ。11歳からテニスを始めた。
ウィンブルドンでは、1961年に女子ダブルスで優勝したのを皮切りに、最多記録である20回の優勝を誇る。さらに、四大大会のシングルス、ダブルス、混合ダブルスを合わせて39回制した。
1973年9月20日、「バトル・オブ・ザ・セクシーズ(性差を超えた戦い)」と呼ばれた試合でボビー・リッグスを破り、女性たちを勇気付け、男性たちに学びを与えた。この試合は社会に影響を与え、女性解放運動に寄与したことから、人々の記憶に残るものとなる。
1974年、革命的なプロテニスリーグであるワールド・チーム・テニス(WTT)を共同設立。現在43シーズン目を迎えている。同年、女性スポーツ財団を創設、スポーツや身体的活動を通じて少女や女性の生活を進歩させることを使命とする。2006年、全米オープンの大会会場がUSTA・ビリー・ジーン・キング・ナショナルテニスセンターと改名された。2014年、ビリー・ジーン・リーダーシップ・イニシアティブを開始。2014年2月、オバマ大統領より、ロシア、ソチ冬季五輪の政府代表団に任命された。
行政の援助が行き届かない人々への支援を生涯の使命とし、HIV感染者へのプログラムと財政的支援を、エルトン・ジョン・エイズ基金(EJAF)と共に行っている。
タイム社による「20世紀における最も重要なアメリカ人100人」に名を連ねる。2009年、大統領自由勲章をオバマ大統領より授与された。
【町山智浩の映画時評】