本予告
ジャン=リュック・ゴダールの2番目の妻で、ゴダールの監督作「中国女」の主演を務めたアンヌ・ビアゼムスキーの自伝的小説を映画化。
19歳のアンヌは、パリで暮らす哲学科の学生。そんな彼女の人生に驚きの出来事が起こる。映画を変えたと世界中から注目される気鋭の映画監督ジャン=リュック・ゴダールと恋に落ち、彼の新作『中国女』で主演を飾ることになったのだ。
公式サイト:http://gaga.ne.jp/goodby-g/
http://unifrance.jp/festival/2018/films/65/
ミシェル・アザナヴィシウス監督・脚本
1967年、フランス生まれ。テレビドラマの監督としてキャリアをスタートし、テレビ映画「LA CLASSE AMÉRICAINE」(93)で共同監督と脚本を務める。長編映画監督デビュー作は、脚本も担当した『MES AMIS』(99)。続くジャン・デュジャルダン、ベレニス・ベジョ共演のスパイパロディ『OSS 117 私を愛したカフェオーレ』(06)がフランス国内で大ヒットし、続編『フレンチ大作戦灼熱リオ、応答せよ』(09)も監督する。11年、監督、脚本、編集を手掛け、デュジャルダン、ベジョが再び共演した白黒のサイレント作品『アーティスト』が、カンヌ国際映画祭で大旋風を巻き起こす。英国アカデミー賞7部門、セザール賞7部門、ゴールデン・グローブ賞3部門など数々の賞を受賞。賞レースのクライマックスを飾るアカデミー賞®にも10部門にノミネートされ、作品賞、監督賞を始めとする5部門を獲得、その名を世界中に知られる。その他の作品に、『プレイヤー』(12)、『あの日の声を探して』(14)などがある。
アンヌに扮するのは、『ニンフォマニアック』でセンセーショナルなスクリーンデビューを飾り、MiuMiuのフレグランスの広告塔を務めるなどファッショニスタとしても今大注目されているステイシー・マーティン。
アンヌ・ヴィアゼムスキー役の配役について、アザナヴィシウス監督はこう語る。「僕が若い女優を探し始めた時に、ベレニス・ベジョが『シークレット・オブ・モンスター』(15)で共演していたステイシーを思い出させてくれた。電話して、テストを受けに来てもらい即決したよ。ステイシーはいかにも60年代の若い女性らしい。パリ生まれだけどロンドン在住で、幼少期に外国で暮らしていた。ほんの少し訛りがあって、彼女が話すとそこはかとなく時を超越する雰囲気がして、僕はそれがとても好きなんだ。彼女の顔には悲劇的な美しさがあり、ガルボのようなサイレント女優的な趣もあるから、観客はそこに想像力を刺激される。いろいろな感情とニュアンスが豊かに重なって、言葉がなくても人物の存在感を伝えてくれるんだ。」
ステイシーは当時をこう振り返る。「監督は最初、作りたいのは伝記映画ではなくゴダールについてのコメディ映画なんだって言いながら、私にアンヌの本をプレゼントしてくれた。私は『バルタザールどこへ行く』(64/アンヌ・ヴィアゼムスキーの映画デビュー作)を数年前にロンドンの映画館で見ていたのだけれど、ストーリーはシンプルなのに深遠で、アンヌが本当に美しかった。ピュアであると同時に官能的で、それが当時とても印象的だったのを覚えているわ。」
アンヌの役作りに取り組むにあたり、ステイシーはゴダール作品はもちろんだが、トリュフォーの作品もたくさん見たと言う。「ゴダールの映画は完全に編集されているので、当時の直接的な情報を得るのが難しかった。あの時代の人々の話し方、身のこなし、ふるまいを見るためには、もっと日常的で自然なものが必要だと思ったの。トリュフォーの作品にはこの点でとても助けられたわ。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/ステイシー・マーティン
ステイシー・マーティン来日記者会見
http://news.nicovideo.jp/watch/nw3497348
https://matome.naver.jp/odai/2141612991238538601
ゴダール
https://ja.wikipedia.org/wiki/ジャン=リュック・ゴダール
1960年代
1961年、長編第2作『小さな兵隊』に主演女優として出演したアンナ・カリーナと結婚。『女は女である』でベルリン国際映画祭銀熊賞受賞。
1964年、アンナ・カリーナと独立プロダクション「アヌーシュカ・フィルム」(- 1972年)設立。設立第1作は『はなればなれに』。
1965年、『気狂いピエロ』発表。『アルファヴィル』でベルリン国際映画祭金熊賞受賞。同年、アンナ・カリーナと離婚。
1967年7月22日、『中国女』に主演したアンヌ・ヴィアゼムスキーと結婚(- 1979年離婚)。
1967年8月、商業映画との決別宣言文を発表。
1968年5月、五月革命のさなかの第21回カンヌ国際映画祭に、映画監督フランソワ・トリュフォー、クロード・ルルーシュ、ルイ・マルらとともに乗りこみ各賞選出を中止に追い込む。同年、ジャン=ピエール・ゴランらと「ジガ・ヴェルトフ集団」を結成(- 1972年解散)、匿名性のもとに映画の集団製作を行う。
(1972年のジガ・ヴェルトフ集団解消後のゴダールはアンヌ=マリー・ミエヴィルと公私ともにパートナー化していた。)
AC AEON CINEMA イオンシネマみなとみらい:12:30-14:35 (108分)
http://unifrance.jp/festival/2018/latest/535/
6/22(金)12:30『グッバイ・ゴダール』上映後にフランス映画研究の第一人者であり、現ユニフランスプレジデントのセルジュ・トゥビアナ氏が東京国際映画祭プログラミングディレクターの矢田部吉彦氏とトークショー+Q&A。
セルジュ・トゥビアナ
1949年生まれ。1974年から2000年までカイエ・デュ・シネマの映画評論家、ジャーナリスト、編集者を務めた。Antoine de Baecqueと共同執筆し多くの言語に翻訳されているフランソワ・トリュフォーの伝記(Gallimard社、1996年)を含め、アモス・ギタイ、モーリス・ピアラ、ジョン・ヒューストンの『荒馬の女』(マグナム・フォトのアーカイブ写真を使用した)など映画に関する多くの出版物の著者である。2014年と2015年には、国立映画センター(CNC)のAvance Sur Recettes委員会の委員長を務め、2017年7月6日、2年間の任期でユニフランスのプレジデントに選出された。
http://unifrance.jp/festival/2018/latest/560/
7.13公開
原作:女優であり、作家であり、ゴダールの2人目の妻でもあったアンヌ・ヴィアゼムスキーによる自伝的小説。
アンヌは、2017年10月に亡くなった。
祖父はノーベル文学賞受賞作家のフランソワ・モーリアックという正統派インテリ一族に生まれた少女アンヌ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/アンヌ・ヴィアゼムスキー
『バルタザールどこへ行く』 Au hasard Balthazar : 監督ロベール・ブレッソン、1966
『中国女』 La Chinoise : 監督ジャン=リュック・ゴダール、1967年
『ウイークエンド』 Week End : 監督ジャン=リュック・ゴダール、1967年
『テオレマ』 Teorema : 監督ピエル・パオロ・パゾリーニ、1968年
『人間の種』 Il Seme dell’uomo : 監督マルコ・フェレーリ、1969年
『東風』 Vent d’est : 監督ジガ・ヴェルトフ集団、1969年
『アーティスト』のベレニス・ベジョ。
五月革命について
今年2018年は、本作でも描かれている1968年の五月革命からちょうど50年。そんな五月革命について、アザナヴィシウス監督はこう語る。「本作を作るもう一つの魅力は、五月革命に新たな解釈をもたらすことができるってことだ。フランス映画で五月革命はあまり描かれてこなかったから、僕はそこに新たな息吹を与え、五月革命の精神に対する最大級の敬意を表したかった。映画が時に不敬であっても、少々ゴダールをあざけるようなことすらあっても、五月革命を悪く扱うつもりはない。時代錯誤だと非難を受けることもあるだろう。もしくはあの時代に対する筋違いの皮肉を生む危険もある。大衆や若さを動かし、あの表情、スローガンを生んだエネルギーに対する敬意は僕が表すことができる最大の表現なんだ。」
本作中の五月革命をゴダールとして生きたルイ・ガレルはこう言う。「僕にとっては五月革命についての映画に出演するのは実は3度目。ベルナルド・ベルトルッチが『ドリーマーズ』(03)で用いた手法は夢幻的で、僕の父(フィリップ・ガレル)が監督した『恋人たちの失われた革命』(05)は詩的だった。今回アザナヴィシウスが使ったのはドラマ的なドタバタ劇、イタリアスタイルの喜劇の様式なんだ。彼のまなざしは批評的であり温かくもある。ゴダール自身、五月革命と映画について問われてこう答えている。それは喜劇人ジェリー・ルイスのための題材だよ、って。」
『フランス映画祭2018』http://unifrance.jp/festival/2018/
予告編