予告編
北欧の少数民族サーミ人の少女が、差別や困難に立ち向かいながら生きる姿を描いたドラマ。1930年代、スウェーデン北部の山間部に居住する少数民族サーミ族は、支配勢力のスウェーデン人によって劣等民族として差別を受けていた。サーミ語を禁じられた寄宿学校に通うエレ・マリャは、成績も良く進学を望んだが、教師からは「あなたたちの脳は文明に適応できない」と告げられてしまう。ある時、スウェーデン人のふりをして忍び込んだ夏祭りで、エレは都会的な少年ニクラスと出会い恋に落ちる。スウェーデン人から奇異の目で見られ、トナカイを飼育しテントで暮らす生活から抜け出したいと思っていたエレは、ニクラスを頼って街に出る。監督のアマンダ・シェーネルはサーミ人の血を引いており、自身のルーツをテーマにした短編映画を手がけた後、同じテーマを扱った本作で長編映画デビューを果たした。主演はノルウェーでトナカイを飼い暮らしているサーミ人のレーネ=セシリア・スパルロク。2016年・第29回東京国際映画祭で審査員特別賞および最優秀女優賞を受賞した。
公式サイト: http://www.uplink.co.jp/sami/
http://2016.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=23
https://ja.wikipedia.org/wiki/サーミ人
http://letsgo-sweden.com/2014/07/10/sami/?s=NULL&cat=all&tag=サーミ
http://boreale.konto.itv.se/samieng.htm
監督:アマンダ・ケンネル
http://2016.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=23
http://natalie.mu/eiga/news/247123
「監督が語る」
「“自国の闇”をもきちんと描くサーミ出身の初監督作は希望を与えてくれる
映画『サーミの血』公開初日イベント・レポート」
http://www.webdice.jp/dice/detail/5481/
「自由のためにすべてを捨てた北欧トナカイ遊牧民の少女の物語『サーミの血』」
http://www.webdice.jp/dice/detail/5477/
UPLINK:3:10-5:08(108分)
ヨイク (Yoikあるいはjuoiggus)
https://ja.wikipedia.org/wiki/ヨイク
サーミ人の音楽を特徴付けるのは、ヨイク (Yoikあるいはjuoiggus)と呼ばれる、基本的に無伴奏の即興歌である。
ヨイクは、上述したシャーマニズムと関連して誕生した音楽である。サーミのシャーマン、ノアイデは、トランス状態に陥る時、幻覚作用のあるベニテングタケの一種を服用していた。このキノコに誘発された激しいトランス状態の中、精霊との交信を行うのだが、さらにその状態を深めるため、大声で歌われていた歌、これがヨイクである。
シャーマニズムとの関連から、ヨイクは自然界とコミュニケーションを取るための道具、方法としてとらえられる。太陽や月、山、川などを対象に、その成立に関する物語を歌う、叙事詩のような形式を取ることもあれば、対象への賛美と感謝を歌う讃歌のような形式を取ることもある。
自然界に対してだけでなく、人間同士のコミュニケーションのためにも用いられる。赤ん坊が誕生した時、その子供に対して歌われたり、親しい人同士で、その人の外観、人格的美点、欠点、人生など描写したヨイクを歌い合うこともある。また、たった一人でトナカイが牽く橇に乗ったとき、その孤独を癒すためにも歌われる。
ヨイクは、決して吟唱詩のようなものではない。メロディーだけ、リズムだけで構成されるようなヨイクも存在するが、詩による、“歌う”ヨイクが優勢であることは確かである。しかし、この詩が、実際のサーミ人の口語で行われるということはない。ヨイクを構成する詩の言葉は、極度に省略、簡略化された特別の言葉、あるいは象徴的なイメージ群からなっているのである。そのため、サミ人の自然に対する視点や生活、感性を共有しない非サーミ人にとって、ヨイクをそのままに理解することはほぼ不可能といっていいだろう。この“わかりにくさ”のために、ヨイクはしばしばヨーデルと比較される。しかしこれは大きな誤りである。元々谷と谷の間で羊飼いたちの連絡手段として発生したヨーデルと違い、ヨイクは子音と母音の組み合わせから成り、歌い手はそれを慎重に選択、配列することによって、一言に膨大な情報を持たせるのである。
18–19世紀にかけ、他のスカンディナヴィア人の統治下に置かれ、民族的なものを否定する価値観にさらされていた状況の中で、ヨイクを伝えることに執着した者たちは、形を変え、ヨイクを存続させることを選択した。
つまり、弦楽器や打楽器、管楽器による伴奏を伴ったヨイクを生み出したのである。
元々ヨイクはシャーマン・ドラムを打ち鳴らしながら行われていたため、楽器の伴奏がつくことに何ら不思議はないように思われる。しかし、例えばノルウェー人の民族楽器ランゲレイクやフィンランド人の民族楽器カンテレを使うことで自らの民族的地位を同時に向上させようとしていた節もある。事実、南部スウェーデンにおいて、サーミ人は社交的な場所に積極的に出かけ、ダンスを踊り、ヴァイオリンを演奏することさえしていた。今世紀初めにはコラ半島のスコルト・サーミ人はロシア流のアコーディオンを演奏し、カドリール(一種のスクエア・ダンス)を踊ることがステータスになってもいたのである。
老年層のほとんどはヨイクを歌おうとせず、中年層はヨイクを知らないといった状況が生まれつつあった中、ヨイクは復興の兆しを見せる。若いインテリ層が民族的アイデンティティの復興と確立を掲げ、ヨイクを再興し始めたのである。しかし、この流れもすぐには身を結ばなかった。ヨイクをすること、それはキリスト教会と政府によって処罰の対象とされていたのである。
民族的アイデンティティ復興の動きは、ニルス=アスラク・ヴァルケアパー(通称:アイル)というフィンランド国籍のサーミ人現代詩人がヨイクを始めたことで一気に進んだ。彼の目的は、古いスタイルのヨイクを、あくまでその基本を損ねることなく復活させることであった。彼の目論見は成功したといえる。ニルスは1994年ノルウェーのリレハンメルで行われた冬季オリンピックの開会式壇上でヨイクを熱唱し、多くのサーミ人に勇気と希望を与えた。
民族意識が高まる中、その流れにさらに拍車をかける存在が現れる。それが、マリ・ボイネ (英語) というサーミ人女性である。彼女は政治的メッセージを歌詞に込めたヨイクを次々と発表、自らの政治的立場を明確にすると共に、様々な問題について賛否を要求され始めたサーミ人に訴えかけ始めたのである。
彼女のヨイクのスタイルとして特徴的なのは、ギターの伴奏を伴っている、ということである。彼女のメイン・テーマは先住民と植民地主義者、異なる民族間に起きた文化的衝突の悲劇を表現することである。
1973年、フィンランドのカウスティネンに民族音楽研究所が開設され、ヘイッキ・ライティネンが初代所長に就任すると、彼は「民族音楽はあまねく博物館から民衆の元へ降りなければならない。それだけが、民族音楽が生き残れる唯一の道である」というスローガンを掲げ、フィンランドの民族音楽を次々と復興し始めた。木の笛、カンテレなどの古代の音楽や民族歌謡が見直され、その研究が行われると共に、それらの音楽を演奏、吟唱するグループができ始めたのである。
アンゲリン・テュトット (英語) も、言ってみればこうした流れの中で誕生したグループであった。アンゲリン・テュトット、後にアンゲリットと改名することになるこのグループは、ウルスラとトゥーニのランスマン姉妹によって1982年に結成された。元々少女時代からヨイクに興味を持っていたこの姉妹だったが、最初は学校の先生に命令されるような形で始めたらしい。しかし、そんな事情をよそにやがて二人はヨイクに熱中。89年には現在ソロで活躍中のウッラ・ピルッティヤルヴィを加え三人で活動を始める。その後、やはり現代的民族歌謡のグループとして結成されたヴァルッティナ (英語) のリーダー、サリ・カーシネン (英語) に見出され、彼女が主催しているレーベルからCDを出すことになった。
彼女たちのヨイクの特色は、まずその多様な音楽性にある。伝統を重視する一方、様々な音楽、例えばプログラミングを重視したクラブ系サウンドを取り入れてみたり、他のヨーロッパ音楽を取り入れたりもしている。
彼女達が尊敬するヨイクの第一人者、ニルス=アスラク・ヴァルケアパーやマリ・ボイネも、ヨイクをジャズロックとあわせるなどして色々な表現スタイルを試みているが、アンゲリットの二人も決してそれにひけをとってはいない。子供の頃から世界各地を回ってジャンルを問わないフェスティバルに参加し、自分達のヨイクを聞かせているほか、地元のクラブ系のKLFのアルバムに参加するなどして広い視野を持ち続けている。このためであろうか、自分達のアルバムにもドラム・ベースやアンビエント・サウンドを取り入れて常に時代性を感じさせるヨイクを発表している。これまでにヨーロッパの国々はもちろん、エストニア、ロシア、アメリカ、中国でも積極的にパフォーマンスを行っている。日本にも二度来日し、その中でアイヌのミュージシャンとの共演も経験している。