specialist trailer
アドルフ・アイヒマンは人間の皮をかぶった悪魔なのか?
約350時間に及ぶヴィデオ素材を再構成した貴重な裁判映像が、ホロコーストに加担した“悪の凡庸さ”の実像を暴きだす。
1999年/イスラエル=フランス=ドイツ=オーストリア=ベルギー
エイアル・シヴァン監督インタビュー
http://www003.upp.so-net.ne.jp/jhori/specialiste/specialiste4.html
公式サイト:http://mermaidfilms.co.jp/specialist-movie/
http://cinemarine.co.jp/specialist-unknown-slaughter/
https://ja.wikipedia.org/wiki/スペシャリスト_自覚なき殺戮者
http://c-cross.cside2.com/html/a10su005.htm
横浜シネマリン:11:40-13:55(123分)
ユダヤ人国家イスラエルが南米のアルゼンチンに逃亡していたナチスの親衛隊(SS)中佐アドルフ・アイヒマン(1906~1962)を拘束し、同国の法廷で裁いた“アイヒマン裁判”。戦後70年を過ぎた現在、この裁判の周辺を描いた『ハンナ・アーレント』(12)、『顔のないヒトラーたち』(14)、『アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち』(15)、『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』(16)といった数々の秀作が相次いで劇場公開されています。そしてこれらの作品群のなかで最も注目すべき映画が、本作『スペシャリスト ~自覚なき殺戮者~』です。
(アイヒマンについて)
本作の主題となる人物アドルフ・アイヒマンは、1906年3月19日、ドイツ連邦共和国のノルトライン本作の主題となる人物アドルフ・アイヒマンは、1906年3月19日、ドイツ連邦共和国のノルトライン=ヴェストファーレン州ゾーリンゲンに生まれた。1913年に一家でオーストリアに移住。学生時代は成績不良で、複数の学校で退学・中退を繰り返す。父の採鉱会社で数ヶ月間働いた後、家電製品の販売員を経て石油会社の販売人になるが、1933年に人員削減の対象となり解雇された。1932年にナチス党員になり、後に親衛隊(SS)の中佐に昇進する。そして1942年以降、アドルフ・ヒトラーのユダヤ人撲滅作戦の責任者の一人となる。彼は親衛隊大将ライハンルト・ハイドリヒ(1904年~1942年)から、ドイツ占領下の東欧にあるゲットーや絶滅収容所へ向け、ユダヤ人を大量移送する計画の実行・促進を命じられたのであった。第二次世界大戦終焉後、米軍に逮捕されるが、1946年に脱走。逃亡の末、1958年にアルゼンチンに落ち着いた。
それから約二年後の1960年5月11日に、アイヒマンは潜伏先であるブエノスアイレスのサンフェルナンドにある自宅近くで、ラフィ・エイタン率いるモサド(イスラエル諜報機関)のチームに身柄を拘束された。続く約九日間、アイヒマンはモサドの隠れ家に監禁されたうえ、同月20日に極秘裏に旅客機に乗せられてブエノスアイレスを発ち、22日にイスラエルに到着した。アイヒマンの“密輸”を主権侵害とみなしたアルゼンチン側は、イスラエルに抗議。数回にわたる交渉の末、両国は8月3日に論争を集結させる旨の共同声明を発表する。その後イスラエル法廷は、アイヒマン捕縛をめぐる状況は、裁判の合法性とは何ら関係を持たないものとした。
シバン監督は、イスラエルの哲学者の調査のためにヘブライ大学で映像記録を探している時に偶然、一九六一年にエルサレムで行われたアイヒマン裁判の一部を収録したビデオに出合った。… 苦労して追跡した結果、別の文書保管所で約三百五十時間分のビデオを発見した。… 膨大なテープは、四台の固定カメラで、生中継のように切り替えられながら撮影されていた。… 映像をデジタル化し、不必要な人物の映像を削除したり、オリジナルにはない移動撮影を作り出すなどして、臨場感を高めている。”
読売新聞・東京夕刊: (2000年1月31日)
ハンナ・アーレント『イェルサレムのアイヒマン―悪の陳腐さについての報告』みすず書房; 〔新装版〕版 1969