映画『みかんの丘』『とうもろこしの島』予告編
オフィシャルサイト:http://www.mikan-toumorokoshi.info
1966年10月30日生まれ。1989年にジョージア国立映画演劇大学を卒業。父親はサッカーのソヴィエト代表の著名なゴールキーパー、ラマズ・ウルシャゼ。
1990年代の紛争時期に短編を数作品作る。長編第1作「ここで夜が明ける」(1998)を完成、ジョージア国立映画センター代表に就任。その後「三軒の家」(2008)、「私といっしょにいて」(2011)、「保護者」(2012)、「みかんの丘」(2013)を監督。
2013年からジョージア映画人同盟を改称したジョージア映画アカデミーの代表を務める。
※「みかんの丘」以外は日本未公開。
岩波ホール:16:00-17:35(87分)
ジョージアのザザ・ウルシャゼ監督がメガホンを取り、アブハジア自治共和国を舞台に描く人間ドラマ。アブハジアにあるエストニア人たちが営むみかん園の中の一軒家で、ケガをして運び込まれたチェチェン兵とジョージア兵が同居する姿を描写する。製作を担当するのは『バルト大攻防戦』などに携ってきたイヴォ・フェルト。敵同士の緊迫感あふれるやりとりや、複雑な人間関係が見どころ。
ジョージア(グルジア)のアブハジア自治共和国でみかん栽培をするエストニア人の集落。ジョージアとアブハジア間に紛争が勃発し、多くの人は帰国したが、イヴォとマルゴスは残っている。マルゴスはみかんの収穫が気になるからだが、みかんの木箱作りのイヴォは理由を語らない。ある日、彼らは戦闘で傷ついた二人の兵士を自宅で介抱することになる。ひとりはアブハジアを支援するチェチェン兵アハメド、もうひとりはジョージア兵ニカで敵同士だった。彼らは互いに同じ家に敵兵がいることを知り、殺意に燃えるが、イヴォが家の中では戦わせないというと、家主が力を持つコーカサスのしきたりに則り、兵士たちは約束する。数日後、アブハジアの小隊がやってきて‥・。数日後、事実上アブハジアを支援するロシアの小隊が集落にやってきた。
19世紀後半のロシア帝政時代に多くのエストニア人がアブハジアに移住し、開墾、集落を築いた。みかんはアブハジアの名産であり、日本の温州産に似ている。ソ連邦時代に、日本人の学者が中心になって、西グルジアの黒海沿岸の地方に多くの苗を植え、拡がっていったともいわれている。
アブハジア紛争:
1991年にソ連邦が崩壊し、その一共和国だったジョージアは独立、国内で民族主義が高まるなかで、西部のアブハジア自治共和国が反発し、 1992年に、両者の間で激しい戦闘が起こった。アブハジア紛争といわれるこの戦争は、同時代に起こった内戦とともに、ジョージアの社会全般に壊滅的な打撃を及ぼし、 多くの難民が生まれて、国は荒廃、経済も文化も低迷し、輝かしい映画の伝統は途絶えた。
コーカサスの南にある国ジョージア(グルジア)で、1991年のソ連邦解体をはさんで激化した紛争。 ジョージア内に自治共和国としてあったアブハジアは、ジョージア人と異なるアブハジア人が居住する地域。 人々は歴史、文化、宗教、言語等、独自の民族アイデンティティを持つ。1980年代後半、ジョージアの民族主義者が統合を主張したことに対して、 アブハジアが反発。分離独立の気運が高まり、1992年のアブハジア独立宣言後、大規模な軍事衝突が続き、多くの犠牲者、難民がでる。 1994年に停戦合意が成立したが、今日も緊張が続いている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/アブハジア
https://ja.wikipedia.org/wiki/アブハジア紛争
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/georgia/armed_conflict/index.html
グルジア(ジョージア)・アブハジアにエストニア人を発見したのは、興味深い。
アブハジア(チェチェン傭兵)(ロシアの支援)<〜>グルジア<〜>ロシア