ドキュメンタリー映画『かづゑ的』本予告
監督:熊谷博子
ナレーション:斉藤とも子
【イントロダクション】
瀬戸内海にある国立ハンセン病療養所、長島愛生園。
宮﨑かづゑさんは 10 歳で入所してから約 80 年、ずっとこの島で生きてき た。病気の影響で手の指や足を切断、視力もほとんど残っていない。それで も、買い物や料理など周囲の手を借りながらも自分で行う。「本当のらい患者の感情、飾っていない患者生活を残したいんです 。らいだけに負けてなんかいませんよ」と力強く語るかづゑさん。患者同士のいじめに遭い、つらかった子ども時代。家族の愛情と、たくさんの愛読書が、絶望の淵から引き上げてくれた。そして夫の孝行さんと出会い、海沿いの夫婦寮 で自然とともに暮らしてきた。 かづゑさんはいつも新しいことに挑戦している。そし てどこか可愛いらしい。 76 歳のときにパソコンを覚え、84 歳になって初の著作となる『長い道』(み すず書房)を出版。類まれな表現力で日常を瑞々しく綴り、版を重ねている。 90 歳も半ばになったかづゑさんは言う、「できるんよ、やろうと思えば。」
2024年3月2日(土)より
ポレポレ東中野ほか全国ロードショー!
公式Webサイト👉beingkazue.com
©︎Office Kumagai 2023
ドキュメンタリー映画『かづゑ的』特報
「できるんよ、やろうと思えば」96歳のハンセン病療養所入所者のありのままの姿描く 映画「かづゑ的」岡山・香川でまもなく公開
岡山県瀬戸内市にある国立ハンセン病療養所の入所者を主人公にしたドキュメンタリー映画が完成し、2月、試写会が開かれました。
記事はこちらから→https://news.ksb.co.jp/article/15195753
※公開から一定期間を経過した場合はKSBニュースのトップページに移動します。
https://eiga.com/movie/100800/
「三池 終わらない炭鉱の物語」などで炭鉱に関わる人々を追い続けて来たドキュメンタリー映画監督・熊谷博子が、瀬戸内海のハンセン病回復者・宮崎かづゑさんにカメラを向けたドキュメンタリー。
瀬戸内海の長島にある国立ハンセン病療養所・長島愛生園。かづゑさんは10歳で入所してから約80年、ずっとこの島で生きてきた。病気の影響で手の指や足を切断し、視力もほとんど残っていないが、周囲の手を借りながら買い物も料理も自分で行う。患者同士のいじめに遭うなどつらかった子ども時代には、家族の愛情とたくさんの愛読書が、彼女を絶望の淵から救ってくれた。そして夫の孝行さんと出会ってからは、海沿いの夫婦寮で自然とともに暮らしてきた。
いつも新しいことに挑戦しているかづゑさんは、76歳の時にパソコンを覚え、84歳で初の著作「長い道」を出版。熊谷監督が2016年から8年間にわたって長島愛生園に通い続け、かづゑさんの日常を映し出す。俳優の斉藤とも子がナレーションを担当。
2023年製作/119分/G/日本
配給:オフィス熊谷
劇場公開日:2024年3月2日
公式サイト:https://www.beingkazue.com
イントロダクション
「私、みんな受けとめて、逃げなかった。」
瀬戸内海にある国立ハンセン病療養所、長島愛生園。
宮﨑かづゑさんは10歳で入所してから約80年、ずっとこの島で生きてきた。病気の影響で手の指や足を切断、視力もほとんど残っていない。それでも、買い物や料理など周囲の手を借りながらも自分で行う。
「本当のらい患者の感情、飾っていない患者生活を残したいんです。らいだけに負けてなんかいませんよ」と力強く語るかづゑさん。患者同士のいじめに遭い、つらかった子ども時代。家族の愛情と、たくさんの愛読書が、絶望の淵から引き上げてくれた。そして夫の孝行さんと出会い、海沿いの夫婦寮で自然とともに暮らしてきた。
かづゑさんはいつも新しいことに挑戦している。そしてどこか可愛いらしい。78歳のときにパソコンを覚え、84歳になって初の著作となる『長い道』(みすず書房)を出版。類まれな表現力で日常を瑞々しく綴り、版を重ねている。
90歳も半ばになったかづゑさんは言う、「できるんよ、やろうと思えば。」
熊谷博子監督メッセージ
宮﨑かづゑさんは、私が初めて会ったハンセン病の元患者さん(回復者)でした。
信頼する知人に、会わせたい人がいるからと、半ば強引に長島愛生園に連れていかれました。10歳からハンセン病療養所で生活している、という人に。その日々の暮らしを描いた著書「長い道」を会う前に読み、大変心をうたれました。かづゑさんの部屋で話しながら、この人生を撮って残しておかねばと心に決め、2016年から愛生園に通い始めました。それから8年間、私たちはカメラとマイクを携えて、かづゑさんの人生に伴走することになりました。この映画はハンセン病を背景にしていますが、決してハンセン病だけの映画ではありません。人間にとって普遍的なことを描いたつもりです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/熊谷博子
https://www.cine.co.jp/miike/
「三池 終わらない炭鉱の物語」
『三池を抱きしめる女たち~戦後最大の炭鉱事故から50年』
ポレポレ東中野:14:40-16:45 (119分)
https://pole2.co.jp/news/65dbf6dd79afd1476307bd55
★『かづゑ的』イベント情報
▽3/4(月)
14:40の回上映後
舞台挨拶<登壇>
熊谷博子(監督)
84 歳になって初の著作となる『長い道』(みすず書房)を出版。宮﨑かづゑ
国立ハンセン病資料館証言映像 宮﨑かづゑさん~ハンセン病療養所に生きて~
宮﨑かづゑさんは、子どものころにハンセン病を発病し、家族とはなれて岡山県にある国立のハンセン病療養所長島愛生園に入所しました。その後84年を長島愛生園で過ごし現在に至ります。子ども時代や足の切断の経験、後遺症を抱えながらも創意工夫で不自由なく送ってきた療養所での生活を語ります。[2022年8月19日撮影]
国立ハンセン病資料館では、ハンセン病問題を多くの方に広く知っていただくために利用できる証言映像の制作を実施し、当館公式YouTubeチャンネルに公開いたしました。学校教育や人権研修などにぜひご活用ください。
ハンセン病療養所で86年間暮らした女性の厳しくも瑞々しい日常を映画で記録 公開を前に主人公は【岡山】 (24/03/01 18:00)
3月、瀬戸内市の国立ハンセン病療養所長島愛生園を舞台にしたドキュメンタリー映画が公開を迎えます。主人公は10歳で入所し80年以上、園で暮らした90代の女性。厳しくも瑞々しい日常が記録されています。
(ハンセン病元患者 宮崎かづゑさん)
「「かわいそう」「見たくない」は自然で当たり前の感情。私もこういう病気でなければ逃げると思う。嫌がると思う。ただ、そういう人に私は嫌な感情をもつことはない」
美作市出身でハンセン病の元患者、宮崎かづゑさん(96)。10歳から現在まで86年間、長島愛生園で暮らしています。3月に公開されるのはかづゑさんを主人公にしたドキュメンタリー映画で、タイトルは「かづゑ的」。
(ハンセン病元患者 宮崎かづゑさん)
「愛生園の素晴らしさ、皆さんが思っていることと実際は大きく食い違っている」
病気の影響で手の指や足を切断し、視力もほとんど残っていないかづゑさん。映画には、園で出会った夫や親友と暮らした瑞々しい日々が記録されています。
(試写会に参加した園の元職員は…)
「私はここの元職員で宮崎かづゑさんをよく知っているが、本当にかづゑさんらしい、強く生きる」
2016年から8年間、かづゑさんを撮り続けてきたのは熊谷博子監督です。
(熊谷博子監督)
「私のイメージだが、ハンセン病の元患者はいかに自分が差別を受けてひどい目にあったか、抗議をするところから始まると思った。お会いしたらかづゑさんと(夫の)孝行さんがいて2人の関係がすてきだった。私たちがイメージしているハンセン病の元患者の世界と違うのでは、記録しなくてはまずいと」
壮絶な差別やいじめにより強いられた厳しい人生。しかし、かづゑさんはこの場所でたくましく、愛情深く、幸せな日々を過ごしてきたと語ります。
(ハンセン病元患者 宮崎かづゑさん)
「手足が悪い上に目が見えない、それでいて人間は素晴らしい。楽しかった、うれしかった。これをいっぱい花束のように胸に抱いて納骨堂に参ります」
映画「かづゑ的」は3月2日、東京で公開されるのを皮切りに岡山市のシネマ・クレールなど全国で順次公開されます。
https://www.hmv.co.jp/artist_宮崎かづゑ_200000001034443/biography/
宮崎かづゑ プロフィール
1928(昭和3)年岡山生まれ。1938(昭和13)年12月末、10歳で国立療養所長島愛生園(現・岡山県瀬戸内市)入園。入園直後、注射針から雑菌が入り、左足の大手術をする。12~13歳頃、少年舎(子供の寮)がある「望ヶ丘」へ移る。愛生学園(園内の小学校)の尋常科3年生に編入学するが、治療や戦争のため学校に通えたのは正味2年であった。戦後、19歳のときに右足を切断。23歳で療友の宮崎孝行氏と結婚。園内の購買部経理担当者等として働いていた夫を主婦として支える(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
『私は一本の木』より