では『21グラム』という作品を見てみよう。これはアメリカのハリウッド映画である。制作費は、『アモーレス・ペロス』の10倍の2000万ドルである。それでも「イニャリトゥ主義」は、ここでも相変わらず踏襲されている。ある事故を媒介にして、三つの物語が交差する時空の中で展開し、その状況における人間関係のあり方(人間ドラマ)がていねいにドキュメントされる映像/音響/物語世界が描写されているのだ。今回のアクシデントも交通事故である。だが今回は、交通事故そのものの場面は一度もスクリーン上には出てこない。この映画の三つの物語とは、交通事故の轢き逃げ犯(ベニチオ・デル・トロ)と、ひき逃げの被害者家族(事故で死んだ夫と二人の子どもそして遺された妻)、そして脳死したその夫の心臓を移植してもらった男(ショーン・ペン)をめぐって展開される。映画は、心臓移植を受けた男と心臓を提供した夫の妻(ナオミ・ワッツ)のベッドでの裸のシーンから始まる。この冒頭のシーンが示唆するように、三つの物語が交差する時空は、『アモーレス・ペロス』よりも錯綜したものになっている。映画の舞台は、中西部アメリカ・ニューメキシコ州の町である。
タイトルになっている「21グラム」とは、人間が死ぬ時、体重が21グラム分軽くなる、その重量を意味しているそうだ。そしてこの21グラムは、「魂の重さ」あるいは「生きること=息すること」の重さ、つまり呼吸の空気の重さと解釈されているが、この映画では空気の重さというよりも、生きるという営み中の「孤独=寂しさ=寂寥」の重さのように表現されている。人は生きている限り、21グラムの孤独を背負っており、それは死ぬまで続くのである。ではこの21グラムは、軽いのか重いのか。この重さ(軽さ?)を、時には過大評価したり、時には過小評価したりしながら、人は生きているものなのだろう。人と人を結びつけているのは、まさにこの重さに対する人々の幻想でもあるかのようだ。この重さを過大評価する人は、この重さを補償してくれるような大きな存在を、例えば「神」を求めるのだろう。また逆にこの重さを過小評価する人は、人と人との結びつきをぞんざいに扱ってしまうのかもしれない。いずれにせよ多くの人は、それなりの評価をもちながら、時には過大に、時には過小に、21グラムを幻想しながら生きているのだろう。そして、『21グラム』のに登場する人物たちも例外ではない。
この21グラムの重さを最大限に過大評価してしまった人間として、前科者であり轢き逃げ犯となるジャックという男が描かれている。若い時にはほとんど無神論者であったが、今は宗教(信仰)に過剰に依存している。仕事はしているが、前科ゆえに首になりながらも家族(妻と子ども二人)を必死で養っているが、家庭に居場所は見つからない。神(?)はその彼に、もう一度、試練を与える。事故現場から逃げてしまった彼は、妻の隠匿工作にもかかわらず、被害者三人の死亡を知った上で警察に自首したが、何と証拠不十分で不起訴となり釈放されてしまうのだ。このことによって、彼の21グラムはさらに重いものになってしまったのだ。彼は家族の元を離れ、ひとり労働者として働き始める。
ジャックが轢き殺してしまった男の心臓が、余命一ヶ月と宣告されていた男ポールに移植され、ポールの寿命は多少延びることとなった。数学の大学教授であるポールは、妻(シャルロット・ゲンズブール)とは離婚寸前の状態だ。移植手術の後、妻との関係はさらに悪化し、妻による中絶や人工受精の騒動の中で、彼の21グラムはさらに重さを増していく。自分に移植された心臓の存在が肥大化し、その心臓のドナーに過剰に関心を寄せていくのだ。そしてポールは、次第にドナーの妻クリスティーナに執着していく。
若い頃はドラッグ依存で荒んだ日々を送っていたクリスティーナだが、結婚してからはセラピーの助けを借りながら、夫と娘二人の幸せな家庭を築いていた。そんな彼女に、ある日突然、一本の電話が入り、父子三人が交通事故にあったと伝えられる。病院に駆けつけた彼女に知らされたのは三人の死亡だった。クリスティーナの21グラムが、突如その重みを増す。それ以来、彼女はその重さに耐えられなくなり、またドラッグ依存に舞い戻ってしまう。そんな時に、執拗にアプローチしてきたのがポールだった。最初は拒否していた彼女だが、ドラッグでも支えられない21グラムの重みゆえに最終的にはポールを受け入れ、二人の関係は進展していく(これが映画の冒頭のシーンであった)。ポールから心臓移植のことを聞いたクリスティーナは、21グラムの重さの最初の原因を作ったジャックを殺すことをポールに依頼するのだった。ポールは銃の引き金は引いたが、ジャックを殺すことはできなかった。三つの物語の主人公の三人が一同に会したモーテルの一室で、ポールは今度は銃を自分に向けて発射した。ポールの身体から21グラムが軽くなることはなかった。人は生き残って、ずうっとこの21グラムの重さの意味を自問自答しながら生きていくことになるのだ。性懲りもなくさまざまな人間関係に巻き込まれながら。
『バベル』
|椎野信雄