4ローカリゼーションとは?
この映画ではローカリゼーションは、次のように定義されている。
ローカリゼーション(localization)
- 巨大な多国籍の企業や銀行を現在のところ優遇している財政支援などの廃止
- 地域のニーズ(需要)のための生産に利して、輸出市場への依存を減少させること
- (しばしば孤立主義や保護(貿易)主義や貿易の排除と混同されている)
つまり、ローカリゼーションとは、法人資本主義に代わる体系的な遠大な代替案なのである。基本的に、経済活動の規模を縮小させるのだが、それは国際貿易の終焉や国民経済主義を意味するものではなく、地元で必要とするものを生産すること(地域のニーズが第一ということ)で、説明責任のある持続可能な経済を作り出すことである。政策レベルの第一歩は、多国籍企業を民主的な統制下に置くというプロセスを開始することである。
経済を具体化するために政府が実行できる3つのメカニズムに注目する必要がある。国民経済レベルと国際自由協定の両方で、規制の対象/税金の対象/補助金の対象についての選択メカニズムである。現在、あらゆる政府は、巨大なグローバル企業を優遇するためにこのメカニズムを使用している。今後の社会的・環境的な崩壊を防ぐのならば、「地ならし」が必要である。例えば、現在、原子力や化石燃料に使っている補助金の一部だけでも再生可能なエネルギーのために使われたら、あるいは自家用車のためのインフラ整備に使っている補助金の一部が大量(公共)輸送システムのために使われたら、達成効果は信じられないほどなのである。
この映画では、「ローカリゼーションのムーブメント」として以下のものが紹介されている。
1企業と銀行のローカリゼーション (ローカルなビジネスと銀行業)
BALLE(10)という団体の活動では、地元企業の団結が進められ、地域の価値観に基づいた経済が作られ始めています。小規模ビジネスとローカル経済は、公平で持続可能な富を生むことができます。
ローカル経済は、グローバルな法人経済から独立し、コミュニティ価値によるコミュニティに基づいた人間関係や新しい経済を作り出している。より人間的な規模で機能している経済では、自分たちの選択の影響(化学薬品で汚染された環境や労働者の搾取など)を知ることが容易になり、ビジネスはより説明責任のあるものになるのだ。
経済問題を再定義することで、ローカル経済は、これまで巨大な勢力だと思っていたものを統制できるようになった。グローバル経済は少数の富裕層を生み出し、大多数は貧困層だが、他方で小規模なビジネスやローカル経済は公正で持続可能な財を産み出すのだ。ローカルなビジネスは、ローカルな弁護士や公認会計士を使ったり、ローカルなテレビやラジオで広告したりという高水準の経営チームを有することによって、ローカル経済に貢献できるのである。
銀行業や金融業でもローカル化の動きがある。金融業を再規制することで、「大きすぎて倒産できない」とされる銀行においても、投機機能を主要機能から分離させ、お金を怪物ではなく僕(しもべ)にすることができるのだ。ローカルな銀行業やローカルな年金は、より安定な財政制度になりうるのである。
グローバルなビジネスから撤退することは、世界や国際協力や文化交流を退けることではない。グローバルな問題の解決のためには、グローバルな協力は必要なのである。それは経済のグローバリゼ−ションとは異なるのである。
2ローカルフード経済(ローカルな食物)
ファーマーズマーケット(11)や(消費者)生産者協同組合、地域(コミュニティ)支援(型の)農業、パーマカルチャー(12)、都市農園(菜園)などの食にまつわる多くの活動が始まっています。地域に根ざした小規模農業は、多くの雇用と豊富な生産量を生み出せます。
ローカリゼーションが好ましいだけでなく必要不可欠である領域は、食物生産の農業である。生産者と消費者の距離を小さくすることで、フードマイレージ(13)を削除することで、石油依存の排気ガスを削除することで、そのお金をローカルな経済に投資するのだ。ローカルフード経済では、消費者の支払いは少なくなり、農民たちの稼ぎは増えるのだ。このローカルフードシステムは、環境にも有益である。
ローカリゼーションは、土地の多様性の再生化にも構造的に関係している。グローバルな市場では、狭い範囲の標準化された生産物(つまり単一栽培作物)に限定されるが、ローカルな市場では経済利益のためにも生産物の多様さが増すのである。
いろいろな食に基づく運動が出現している。上記以外にもエディブル・スクールヤード(食育菜園)(14)、スローフード(15)がある。逆説的に、ローカルフード経済再建の効果的な発案は、大都市の現象である。ロンドン、シドニー、サンフランシスコ、デトロイトなど。デトロイトは、自動車産業の崩壊で打撃を受けたが、ローカルフードへの焦点化によって、自分たちの生活に対する制御を取り戻している。食物の必要な人は、土地を利用して野菜を栽培し始めたのである。
ローカルフード(地産地消)運動の急速な成長は、企業秩序への挑戦を表わすものになっている。逆に大企業も、自社製品が「ローカル」であると広告宣言するようになってきている。
西洋世界のローカリゼーションは、第三世界から重要な輸出市場を奪っているとの議論があるが、現実は違うのである。南半球の貧困の減少は北半球の市場へのアクセスに依るという考えは、グローバリゼ−ションのものである。資源や土地、水、エネルギーは限られている。土地/水/エネルギーを使って、例えばイギリスの世帯向けに、特等品レタスを生産すると、それはインドの農民から米や麦、水を奪うことになるのだ。
南半球のコミュニティを支援するためには、食物の自給などの自立を達成することが必要なのだ。それが世界から貧困をなくす考え方なのである。
グローバリゼ−ションの支持者の議論では、大規模の産業的農場によってのみ、人口過剰の地球の人びとに食物を供給することができるということになっているが、小規模の、ローカルに順応した農場の方が2つの重要な点で効率的なのである。第一に、機械化・産業化が少ない方が雇用を多く創出できる。第二に、エイカー当たりの食物生産性が実質的に向上するのだ。
3エネルギーのローカリゼーション(ローカルなエネルギー)
風力発電や太陽電池などの再生可能エネルギーを利用すれば、必要なエネルギーが確保できます。それらを開発する仕事は、旧来のエネルギー産業が生む雇用よりも多いため、地域社会を守ることにもつながります。
地球温暖化、安価な石油時代の終焉が言われているが、将来のエネルギー需要計画は、たいがい長距離輸送やグローバルビジネスの成長の継続を前提にしている。それは石油燃料の大量使用の継続を意味しているのだ。
本当のエネルギー需要について基本に戻る必要がある。消費文化が強制してくるモノは本当に必要なのか、が問われなければならない。衣服、住宅、食物、穀物は、近くの地元で生産できるのではないか。現在のシステムにおける無駄を削減すれば、分散型の再生可能な資源から、かなり高い割合のエネルギー需要を満たすことができるのである。また広範な再生可能なエネルギーのテクノロジーは、中央集権型の時代遅れのエネルギー・テクノロジーよりも、雇用を増やすことができるのだ。
ローカル化したエネルギーの追求の議論は、南半球において強いものである。産業化の進んでいない世界では、たいていの人びとは、いまだ比較的分散型の町や村に住み、石油燃料にもあまり依存していない。「開発」はいらないということではなく、さまざまな再生可能なテクノロジーを例示することはできるのである。慣例的な化石燃料基盤のインフラよりも、分散型の再生可能な類のインフラを導入する方が、高価でなく、容易なのである。それによって、コミュニティの組織構造や社会の凝集性の持続が可能にもなるのである。
4アイデンティティと地域の知恵(ローカルなアイデンティティ、ローカルな知識)
子どもたちの学びの場である地域社会の結束を見直せば、子どもたちにロールモデルを示すことができます。大切な信念や価値観に触れることは自尊心や敬意を育て、地域のつながりや人と自然とのつながりを強めます。
ローカリゼーションは、子供たちにロールモデルを与え、外部を見ることなく社会の中で自分が誰であるのかを肯定する、あるいは自己肯定するための基準を提供してくれる。グローバルな消費者文化に背を向けて、お互いとローカルなコミュニティをつなぎ直すならば、子供たちには非常に異なったロールモデルが提供されるのである。
グローバルなメディアや広告における職業イメージは、人びとに劣等感をもたらし、後にそれは、心の狭さ感や嫌悪感に変形する。他方で、ローカルな子供たちは、強みも弱味も持っている本当の生身の人間と同一化し、現実的な自分観や可能な自己観を持つことができるのだ。ラダックには、セレブはいなく、皆が「誰か」であり、そのような帰属感が自信や深い自尊感を築き、それがこの次は他者への尊敬を生み出すのである。
ローカルな経済は、コミュニティを強化することによってだけでなく、地球とのより深いつながりを自然なものにすることによって、より確実なアイデンティティを創造する。ロ−カルな知識は、人生について教えてくれる知識なのである。(辻信一参照)
5世界のローカリゼーション(グローバルにローカル化する)
デトロイトの都市菜園や、イギリス・トットネス発祥のトランジション・タウン(16)、埼玉県小川町(17)のごみのリサイクル活動など、持続可能な暮らしを目指すコミュニティが世界中に生まれています。
ローカルなレベルでは、より持続可能な方法に向けていろいろなことが起きている。エコビレッジ(18)、トランジション・タウン、脱炭素シティー(19)などである。人びとは、長距離貿易よりもローカルなニーズ(需要)のためのローカルな生産(地産地消)を優遇することで、土台から経済を再建する活動をしているのだ。
トランジション・タウン運動は、イギリス発祥の社会実験であり、創設者のロブ・ホプキンズによれば、その目的はもっとローカルに注目することであり、国際市場からローカルな市場に向けたローカルな農業に依拠していくのである。
日本の埼玉県小川町では、生ゴミのリサイクルシステムの町ぐるみの(生ゴミの資源化)プロジェクトが始まったところだ。世界的なローカリゼーション運動が始まっている。世界で4億人以上の小農が参加しているビアカンベシーナ団体は、グローバリゼ−ションに反対し、ローカルな食物の自立運動をしている。オーストラリアのバイロンシャイア市の地方政府は、多国籍企業に依存せずに、ローカルへのシフトを支援している。
ローカルなコミュニティは、世界中で結びつくこと、協力、情報の共有、によって、強さ(力)を獲得している。西洋人には、消費者文化の美化されたイメージの背後にある現実を途上国の人びとに暴露することで、果たせる重要な役割がある。第三世界の人びとに、消費するなとは言えないが、土地に暮らしていることが、馬鹿で時代遅れで原始的、なのではないとは言えるし、自分が価値のある人だと感じるために消費者文化を盲目的に真似する必要はないと、言うことはできるのだ。西洋の状況について、社会環境問題について、そしてより生態学的な、持続可能な解決法の探求についても、まさに情報を提供できるのだ。西洋人は、コミュニティや自然との結び付き、時間など多くのものを失ったのである。
グローバルな消費者文化は私たちの期待を裏切っているが、「グローバル」が唯一の仕方で他に選択枝はないと言われている。だが、代替案はあると考える人の数は世界で増えているのだ。
6ローカリゼーションの未来(ローカルな未来)
経済のローカル化によって人生の豊かさがもたらされる。コミュニティの価値や相互ケアの再発見は、本当の幸福、より良い生活の質にいたるのだ。経済活動の規模を減少させることで、私たちの幸福は増えるのである。ローカリゼ−ションとは、「つながり」についてのことであり、他者や自然的世界との相互依存の感覚を再確立することである。この「つながり」は基本的な人間のニーズなのである。
「経済を『専門家』に任せるのではなく、経済変革のための運動に参加せよ。」という言葉で、映画はエンディングとなる。