『幸せの経済学』予告編
1 はじめに
「幸せの経済学」という映画(1)がある。みなさんにとって「映画」とはおそらく、ショッピングセンタ−に併設されているシネコン(シネマコンプレックス=複合映画館)で見るアメリカのハリウッド・メジャー映画や日本映画などの娯楽劇映画のことだろう。あるいは「映画」とは、TSUTAYA などのDVD/ブルーレイレンタルで観るものなのかもしれない。
日本国民のメディア接触の特徴は、テレビや新聞のマスメディア中心のメディア接触が世界的に見ても長時間であることだ。もっとも、若い世代(特に20代男性)のテレビ離れ現象は、世界的傾向と連動して、顕著なものとなっているが。映画に関しても日本国民の映画館での映画鑑賞回数は年間1.3回で、映画産業大国のアメリカ合衆国の4.5回に比較しても余り映画を見ない国民になりつつあるのかもしれないが。
こうしたメディア接触状況において、さらに日本国民はオルタナティブ・メディア(alternative media)への関心が余り高くないという傾向がある。オルタナティブ(2)・メディアとは、既存の新聞やテレビなどのマス・メディアに代わる、代替的な、もう一つのメディアのことである。ミニコミ、無免許ラジオ、NPOラジオ、市民ケーブルテレビ局およびインターネットなどの自主メディアや個人メディア、地域メディアなどのオルタナティブ・メディアは、世界の情報の均質化に抵抗するメディアなのである。
欧米では1960年代以降一般市民のメディアへの「パブリック・アクセス」権が、権利要求され、1980年代からはコミュニティ市民が公共のメディア資源や財産にアクセスする権利が法的に制度化されてきている。市民が情報発信手段としてのメディアにアクセスしたり、市民が自主的にメディアの番組製作や番組放送に参加したりしているのだ。こうした市民メディアは、実質上、オルタナティブ・メディアとして機能している。
日本でも1995年(いわゆる阪神大震災)をきっかけにオルタナティブ・メディア運動が多少は見られるようになっている。現在でもオルタナティブ・メディアとしての市民メディアにおいて、インターネット・ブログ・電子メール・SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス/mixiやfacebookやtwitterなど)が注目をあびている。地域社会にある「大学」もこうしたパブリック・アクセスの番組を製作・放送する可能性が期待されている。実は、「大学」(の授業や科目)は、マス・メディアが扱っていない、あるいは扱うことができない情報/知識を(潜在的市民である)学生に発信・伝達するオルタナティブ・メディアとして把握することも可能なのである。
ここではWebサイトではなく、市民メディア/オルタナティブ・メディアとしての「映画」の可能性に注目してみたいと思う。「映画」といってもシネコンの映画のことではなく、各地で開催される自主上映会形式において見る「映画」のことである。映画の自主上映会も、いままではフィルム上映しかなく映写技術が必要で上映会開催も技術的に困難が伴っていたが、昨今では、プロジェクターとDVDの再生プレーヤーがあれば、ある意味、誰でも市民が(いくつかの形式を踏めば)上映会を開催できるようになっているのだ。そこで映画館でなく、ある映画を上映する空間を地域に作ることで、オルタナティブ・メディア運動としての「映画」自主上映会開催が各地で実行されている。そのような「映画」の一つが、「幸せの経済学」のドキュメンタリー映画(記録映画)である。
自主上映会で上映される「映画」は、娯楽劇映画というよりも、何らかの「社会問題」を扱ったドキュメンタリー映画が多い。何かしらの問題提起、テーマ、メッセージがある映画であり、マスメディアでは扱っていない社会現象について、人びとに啓発・教化する面が大きい映画である。それゆえにドキュメンタリー映画のようなものを見慣れていない観客にとっては、こうした映画鑑賞は、情報過多である傾向が大である。そのためにも上映会では、単に映画上映だけでなく、上映後の講演会、討論会、意見交換会、質疑応答の時間があることが重要な側面なのである。ここに市民メディア/オルタナティブ・メディアとしての「映画」自主上映会開催の真骨頂があるのだろう。