ジェンダーって何?という問いは、なぜジェンダーなのか?という問いを生じさせます。ジェンダーとは政治や経済などの社会的要因と相関した女や男などの変数であり、自然な身体的男女としての性別概念に代わる視点が、社会的・歴史的・文化的変数としてのジェンダーだと説明してきました。となると、なぜこれまでの男女性別概念に代えてジェンダーの視点が必要なのかという疑問が出てきてもおかしくありません。
一国中心主義でものを考えるのが得意な日本社会は、国際社会の動向を把握するのが不得手で、国際社会で使用されているジェンダーの視点を理解しているとはいえません。ジェンダーの視点が理解しにくい理由の一つに、日本が近代国家モデルとしての国民国家の枠組に留まったままだということがあります。西洋の近代国民国家や近代産業社会や近代家族は、近代社会の編成原理としてsex(性別)概念を生み出し、それに基づく社会秩序や人間観を自明視させてきました。明治以降、日本は近代西洋の提示した国民国家や産業社会作りにおいて、優等生の地位を得てきました。結果として、性別概念が自明視されているわけです。こうした性別概念では、女性は家庭(私的領域)に、そして男性は社会(公的領域)にと振り分けられてしまいます。
ここで、自明視された性別概念を理解するために、近代日本における性別概念の成立について、ジェンダーの視点から見てみましょう。ジェンダーの視点とは、自明視された性別概念を相対化する視点でもあり、女性を男性と共に社会に参加する存在と捉え、女性や性別や性を、社会・歴史・政治・経済・文化などの中で構築されるものとして捉えるのです。
実は性別(性の別)の「性」という漢字の意味は、時代と共に変化しているのです。国語辞典には次のように説明されています。①天から与えられた本質。生まれつきの本性。②物事の性質・傾向。③こころ。④いのち。⑤sexの訳語。⑴雄雌の区別。性別。⑵男女の本能の働き。セックス。⑥genderの訳語。⑴(言)文法上の性。⑵(社)ジェンダー(社会的に形成される性)。このうちの⑤sexの意味を、すぐに漢字の「性」と重ねて考えられるのは、みなさんが近代人であることの証左だともいえるのです。
近代以前の「性」の漢字の意味は、①を中心に④までを提示しており、⑤以降の意味は、日本が近代社会を目指したからこそ出て来たものです。江戸時代には性や性の別が男女の性別やセックスを意味するとは考えられていなかったのです。これは明治以降、20世紀になってから出て来た考え方なのです。「性別」という漢字表現は、19世紀中頃までの漢語の世界にはなく、明治時代に西洋語のsexなどの日本語への翻訳語として成立したものです。こうして日本でも、近代社会を編成するための中心概念である「性別」が成立してきたのです。
国語辞典に⑥の意味が載っているように、1970年以降、西洋社会あるいは国際社会ではsex概念に代えてgender概念が成立してきました。近代社会としての西洋社会あるいは国際社会は、gender⑵で社会を編成する時代に変容してきたのです。近代社会を性別概念で編成する時代から、gender概念で編成する社会に変容してきたのです。ジェンダーの視点は、性別概念が近代という時代の産物で、社会的・歴史的変数であることを教えてくれます。
実は「なぜジェンダーなのか?」という問いは、21世紀の日本社会がどうなっていくのかという問題に連動しています。西洋の近代社会が生み出した性別概念をこれからも後生大事にしていくのか、あるいは西洋社会がsex(性別)に代えて成立させたジェンダーの視点を受け入れ、社会を再編するのかが日本社会に問われているのです。GEM指数が54位という日本社会の現状を見ると、どうやら性別中心のsexist社会であり続ける道を選んでしまったように思えるのですが、このシリーズの読者のみなさんはどう思われるでしょうか。(参考文献:椎野信雄『市民のためのジェンダー入門』創成社2008)
文教大学父母と教職員の会会報(No95-98)(4回シリーズ)
「ジェンダーって何?」