今から40年ほど前に「結婚しようよ」と、歌っていた日本社会の中で育った若者男女が、漫然と抱いている結婚観には、ある特徴が見え隠れしています。その一つとして、皆婚(かいこん)主義という考え方の自明性があります。皆婚主義とは、すべての人が結婚して当然という考え方のことです。
また「皆婚社会」という言葉もあります。そのような社会では「結婚をしない」という選択肢は無いに等しく、結婚することが当たり前であり、当然のこととしてみんなが結婚するのです。 「生涯独身で暮らす」 という独身主義を実践しているのは、現在でも男女ともに5%ぐらいで、日本のような皆婚社会では非婚志向の人たちは少数派なのです。
たしかに60年代の統計上の生涯未婚率(50歳時の未婚率)は、男性では3%そして女性は2%でした。(1920年から1960年代までは、男女とも2%以下でした。2010年には、男性の2割そして女性の1割が生涯未婚で、晩婚化・未婚化が問題視されています。)こうした日本における皆婚社会の傾向は、江戸時代後期からの現象であり、農民男性の95%(農民女性の99%)が有配偶者だったそうです。(ただ江戸初期では、農民男性の5割そして女性の3割が、未婚だったようだ。)また江戸末期の幕末における「江戸」の街の有配偶率は、男性で5割そして女性で7割という数字もあり、江戸初期の農民の比率と変わりがなく、日本全体が歴史上、「皆婚社会」だったと結論づけるのは早計であり、非「皆婚社会」において「独身」を通した町人も多いのです。
皆婚主義の特徴を前提とした第二の特徴は、これは意外だと思われるかもしれませんが、「結婚」の中身にまったく関心がないということです。「婚活」という言葉がはびこり、テレビ番組では有名人の誰々が結婚した、または婚約したと毎日のように報道されたり、ブライダル産業も活況を呈しているにも関わらず、あるいはだからこその現象なのです。
人々の「結婚」に対する関心の中身は、実のところ、「結婚式」、「入籍?」、「新婚旅行」、「新居」のことであったりするのです。これらがほぼブライダル業界の市場売上高に関連していることは見ての通りです。「結婚生活」、「夫婦関係」、「婚姻制度」といったものには、ほとんど関心がないのが現状です。結婚の実態に対する無関心と無知には唖然としてしまうほどです。男性に対しては「結婚して一人前」 、そして女性に対しては 「女性の幸福は結婚にあるのだ」 あるいは「結婚して子供を産むべきだ」と言う大人たちの結婚への関心も、大なり小なり同じようなものなのです。
人々にとっての結婚とは、その実態や中身なのではなく、何か形式的なものとなっています。その形式とは、世間において「一人前」と見なされるための手段、人としての「証明」手続き、「国家」から保護されるためのお墨付き、「普通」の人になるための通過儀礼、相手から生活保障を受けるための保険、親孝行(両親の安心)のための子どもとしての義務、先祖から受け継いだものを継承するための子孫の誕生の段取りであったりします。でもこうした結婚観は、近代社会において普遍的なものなのでしょうか?次回は、このことを「プロポーズはしない」後の世代となった欧米の近代社会の結婚観を確認することによって検討してみることにします。
近代社会と結婚 3
|椎野信雄