私は、東京の某女子大学で、非常勤講師として社会学「ジェンダー論」を教えておりますが、今回はこの授業で出会った女子学生の話を紹介していきたいと思います。彼女は、大学に入学した1年生の時には、以下のように自分の将来のプラン(理想的な人生)を持っていたそうです。「①子どもを産んだら仕事を辞めて専業主婦になる、②経済的には男が家族を支え、その家族は女が支える、③子どものために離婚は絶対にしない。」と友達に語っていたそうです。こうした考えを持っていた背景として、母親が専業主婦であったこと、両親の仲は良く、順調な家庭に育ったと感じていたこと、二人の兄がおり絶えず男と比較され女の役割を果たすことが求められ、自分もそれに答えることに満足感を抱いていたことなどを説明してくれました。こうした考え(結婚観)は、日本の女子学生や若い女性たちの多くに未だ典型的な「常識」として、自明視されているものなのです。
ところが、この女子学生は現在、大学4年生なのですが、今では次のような価値観を持っていると、説明してくれました。「①男女関係なく経済的に自立すべき、②男女が共に家事・育児を行うべき、③必ずしも一生同じパートナーと過ごさなくてもよい。」この1年生の時の考えと4年生の今の価値観の変化の間には、何があったのでしょうか。大学の授業「ジェンダー論」での学びというのが、先生を喜ばす回答なのでしょうが(確かにその面はあったと自負はしておりますが)実のところは、一年間のフランス留学生活が一番大きな要因だったようなのです。
一年間のフランス生活で、「男女平等な家計負担、パックス制度、女性の権利解放が社会に根付いている世界」を目の当たりにした彼女は、上記のような価値観を新たに持つようになった、と言うのです。大学1年に持っていた結婚観は、日本社会で育ってしまった女の子たちが「漫然と」抱いてしまう人生観・男女観であり、これを疑う機会をほとんど与えられていない社会環境・家庭環境の中ではごく当然の考えなのでしょう。ところがこの日本育ちの女の子が、その素質・中身は何も変わっていないのに、別の社会環境に置かれると、これまた「自然と」別の男女観・人生観を言う女の子になるのです。人間は、環境の産物であることが、よく分かるエピソードです。
20世紀のフォークソングで、「結婚しようよ」と歌っていた日本で育った21世紀の女子学生たちの抱いている人生観と、「プロポーズはしない」と歌っていたフランス社会に触れた21世紀の女子学生の形成した価値観、これは二つの近代社会(欧米と日本)のどちらに触れた経験があるのかによって、形作られるものであり、彼女自身の本質的な内面から出てきたものではないことが分かると思います。