本書の試みは、「東アジア共同体」という虚焦点から日本そして世界の歴史との対話(E.H.カー)を紡ぎ出そうとするものである。「虚焦点」とは、カントの「世界共和国」を持ち出すまでもなく、「発散光線があたかもそこから出ているように見えるが、実在しているわけではない焦点」あるいは「光がそこから発出するかのように見える想像上の焦点」であるから、本書の「東アジア共同体」は、現実の経験的世界には対応しない理念であり、それに向かって進むことが許されるだけの共同体を意味していることになるだろう。従って「東アジア共同体」がどこを指示しているのかは経験的には定かではない。実際、「東アジア」がどういう国々を包摂しているのかは、それぞれの「東アジア共同体」構想によって異なっているのである。
東アジア共同体構想でなくとも、「東アジア」は、様々な地域を指している。例えば、アジア大陸の東部や、極東(Far East)のことや、日本・中国・朝鮮(韓国・北朝鮮)・モンゴルなど、を指すのが一般的だろう。あるいは地理学的には、ユーラシア大陸の東部にあたるアジア地域の一部のことである。昨今は、「東アジア」に、アセアン(ASEAN:東南アジア諸国連合)のインドネシア・マレーシア・フィリピン・シンガポール・タイ/ブルネイ・ベトナム・ラオス・ミャンマー・カンボジアが含まれることも多くなってきている。ASEAN-10+3(日中韓)などである。時には、インド・台湾・香港・マカオ・オーストラリア・ニュージーランドなども「東アジア」に入れている場合もある。(本書は、東アジアと東南アジアを分ける分類を採用しているようだ。(『「アジア共同体」の実相には東南アジアと東アジアによっても大きな差異が見られる』p74.を参照。)
私見では、ロシアを「東アジア」に包含すべきではないかと思っている。通常、ロシアは、旧ソ連としては「北アジア」に分類され、東アジアと併せて「北東アジア」とされることもある。また「アジアロシア」という呼称もあり、これはロシア領土のうち、アジアに分類される地域のことを指している。ロシア領土のうちヨーロッパに分類される地域は、ヨーロッパロシアと呼ばれている。ロシア帝国時代の「ヨーロッパロシア」とは、東スラブ地域(ウクライナ・ベラルーシなど)を指していた。このヨーロッパロシア地域としてのロシアについては、本書(p2など)でも記述はあるが、アジアロシアや東アジアとしてのロシアについての対話はほとんどない(p74に「北東アジア経済圏」の文字はあるが)。ロシアは地理的には、ユーラシア(ヨーロッパ+アジア)大陸に位置しているが、文化的・歴史的には、ヨーロッパともアジアとも見なされていないようである。18世紀からのロシア帝国の地政学的伝統の残滓が強いのかもしれない。
「東アジア」としてのロシアに注目したいのは、第二次世界大戦(アジア・太平洋戦争)の日本国の戦後処理の「東アジア」の歴史ときちんと対話したいからである。第二次世界大戦において連合国共同宣言に署名した連合国(United Nations)諸国は、1945年3月1日の時点で46か国であった。最初の署名国は、中華民国 • ソビエト連邦 • イギリス • アメリカ合衆国の4大国であった。ここにソ連が含まれているのである。朝鮮戦争真只中の1951年9月8日に、サンフランシスコ講和条約(対日平和条約Treaty of Peace with Japan)が日本国と48ヵ国によって(全面講和ではなかったが)調印署名された。1952年4月28日の条約の発効により、日本国と多くの連合国との「戦争状態」が終結し、連合国による日本国の占領は終わり、日本国は主権を回復したと、署名国では見なしている。 同日、日本国は、アメリカ合衆国と日米安全保障条約も署名していた。
だが、この多くの連合国の中に、ソ連は入っていなかったのである。この時に対日平和条約を締結しなかった諸国は、以下のような状況であった。連合国51ヵ国が参加したサンフランシスコ講和会議(実態は調印儀式だった)に、中華人民共和国(北京政府)・中華民国(台湾政府)・朝鮮民主主義人民共和国(North Korea)・大韓民国( South Korea)そしてモンゴル人民共和国は招請されなかった。ソ連・ポーランド・チェコスロバキアは会議に出席したものの、条約への署名を拒否した。インド・ビルマ・ユーゴスラビアは、会議に招かれたが出席しなかった。インドネシアは会議に出席し条約に署名したが、議会で批准はされなかった。その後、日本国はインドネシア、中華民国、インドなどとの間で個別に平和条約を締結そして批准している。その経緯は以下の通りである。
インドネシアとは、1957年1月20日に「日本国とインドネシア共和国との間の平和条約」に署名し、条約は4月15日に発効した。
中華民国とは、1952年に「日本国と中華民国との間の平和条約」を、両国間における第二次世界大戦の戦争状態を終了させるために締結した。だが、この「日華平和条約」は、1972年の日中共同声明の合意により、日本国と中華人民共和国は国交を樹立し、日本国は中華人民共和国(中国共産党政権)を中国の唯一の合法政府と承認したため、効力を失った。そして中華人民共和国とは1978年に日中平和友好条約を締結した。
インドとは、1952年6月9日に、インドが日本国に対する全ての賠償請求権を放棄するとともに日本国が対印投資を約する「日印平和条約」を締結した。
ビルマ連邦とは、1952年4月30日に日本国との戦争状態を終結する声明を出した。
ユーゴスラビアとは、1952年1月23日に、書簡を交わし、「対日平和条約」の発効の日をもって両国間の戦争状態が終了することを合意した。
モンゴル人民共和国とは、1960年に「中蒙友好相互援助条約」を結んだ。
ポーランドとは、1957年に「日本国とポーランド人民共和国との間の国交回復に関する協定」を交付した。これで戦争状態が終了し、外交関係が回復された。
チェコスロバキアとは、1957年に「日本国とチェコスロバキア共和国との間の国交回復に関する議定書」を交わし、両国間の戦争状態が終了し、外交関係を回復した。
韓国とは、1965年に、「日韓基本条約」を締結し、国家承認を行い、国交正常化した。(だが、竹島問題は現在も日韓での外交問題である。)
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に関しては、日本国が、日韓基本条約第3条で大韓民国(韓国)を「朝鮮にある唯一の合法的な政府」であると認めたので、朝鮮民主主義人民共和国については条約等に基づく国家承認を行っていない。
そしてソ連とは、1956年に日ソ共同宣言に合意し、正式に国交回復をした。だが平和条約締結交渉を維持することにはなったが、依然として現在まで平和条約は結ばれていないのである。
以上が、日本国と平和条約関連の外交関係の現状である。日本国は、北朝鮮を国家として承認していない。そして未だ平和条約を締結していない連合国(署名国)がロシアなのである。1951年のサンフランシスコ講和条約の中で,日本は千島列島と南サハリンを放棄した。その後、南千島の北方四島(歯舞,色丹,国後,択捉)のうち歯舞群島及び色丹島の二島返還(ソ連案)、四島返還案(日本政府案)、解決済み(ソ連案)、未解決(日本政府)などとして交渉している。だが日ソ平和条約締結は未だ成立していない。両国には、北方領土問題(千島問題)を解決し平和条約を締結しようとする意図はあるようだが、ロシアは日本国と平和条約を締結していない連合国(署名国)として現代にいたっている。
「東アジア共同体」への道を付けるための歴史との対話の第一歩は、日本の戦後処理の未解決問題である北朝鮮問題そして日ソ平和条約締結問題ではないだろうか。だからこそ、「東アジア」としてのロシアに注目する必要があるのだ。さらに、パックス・アメリカーナ(Pax Americana)での世界秩序の一元化が崩壊しつつある現代、その歴史的前提であったパックス・ルッソ・アメリカーナ(Pax Russo-Americana)のバランス・オブ・パワー(勢力均衡)の世界秩序の一翼を担ってきた超大国ロシアの21世紀の姿に、注目することには意義があるのである。
本書では『中国を「東アジア共同体」の一員に参画せしめ、市民間交流や共同事業を通じた市民社会の成熟化、社会の多元化・外向化、相互依存の深化への支援努力を通じて』(p34)中国の転換を進めることは、「安全保障政策」として意味があると指摘しているが、これは何も中国に限ったことではなく、ロシアについても同様なのではないだろうか。
さて本書のように、日本の『若者が「東アジア共同体への道」作りに関わる意義は大きい』ことに疑いの余地はないだろう。歴史認識が、「権力を操る人々や歴史家」「一部の知的エリート層」にのみ委ねられるものではなく、アジア民族運動史などのように、様々なレベルの庶民が紡ぎ出すものであることも確かである。(「庶民」とは、特別な地位・財産・社会的特権などをもたない世間一般の普通の人々のことである。)「歴史認識の国家管理」を持ち出すまでもなく、「歴史とは権力によって書き換えられる」(池上彰)のであるが、逆に言えば、功罪を含め、人類の<歴史>を形成してきたのは庶民であることもまた事実であるに違いない。どのような形であれ、形成してきた(している)<歴史>についての歴史記述を、庶民の側が試みることもまた至極真っ当なことである。(「自身の歴史観を模索し、語っていかなければならないのだ。」p48.)
その一方で、「国民の自尊心をくすぐる偏狭なナショナリズムによる扇動、排外主義への誘導」や「反知性主義的な言動」に「いとも容易く操作されてしまっている」庶民が、物語る歴史記述(「稚拙な歴史認識」)もたくさんあるのも事実だろう。近現代史に対する無知・無関心・無理解、そして「政治的未熟や稚拙」が横溢する日本社会で、『自己中心的な「小さな幸せ」の枠内に閉じこも』る若者もたくさんいるだろう。
本書で指摘されているように、中国だけでなく「成熟した市民社会」「民主的な政治システム」「法の支配」の存在も実は危うい日本社会においても、「経済的豊かさ」の維持拡大をよしとする庶民もたくさんいるだろう。「国家権力に対する市民社会・市民権の未成熟性」という問題がある地域であり、『知性・感性がかなりの「後れ」を取ってしまっている』日本人・日本社会の中で、「国権主義的・権威主義的な反動的」イデオロギーの政権を支持する国民が半数以上を占めているという現実認識も重要である。「排外機運の醸成に一役買っている」マスメディアや、「偏見に満ちた、反知性的な言動が溢れて」いるインターネットのSNS、「市民社会の未成熟」に取り囲まれて、「ポピュリスト政治家の扇動」に乗ってしまう多数の庶民がいることも事実だろう。「報道の自由と市民の主体的判断、そして健全な批判精神が欠落する」、「民主主義が成り立たない」社会では、「偏狭なナショナリズムへの気づきにも鈍感となる」庶民もたくさんいるだろう。「社会的に満たされていない閉塞感情を他文化に属するマイノリティ集団に向けて晴らそうとする倒錯した思い」を抱いてしまう人々を利用しようとする政府の「分断工作」政策を、支持する庶民も相当数いることも事実だろう。「過去に犯した誤りを繰り返さない」という歴史学習の意義とは逆に「誤りを犯した歴史」を再び繰り返すかのような、受身的・無批判的に受容されている歴史教育の学習者になってしまう学生も多いことだろう。残念ながら、戦後の日本人の大半は「大人の判断」を支持できるだけの国民的な「余裕」を涵養できなかったのかもしれない。『ろくに他のアジア諸民族とコミュニケーションもすることなく、すべてを「ヤバい」の一言で片付けている』若者たちも多くいるのだろう。
このような社会背景の中だからこそ、若者たちが東アジアの歴史認識を語ることに意義があり、それゆえ本書に描かれた「オキナワ」の視点、「フクシマ」の視点、『周縁』の視点、「ローカル」な視点、非「西洋」の視点、「東アジア」の視点から、歴史との対話を紡ぎ出していることの重要性は計り知れないものである。
冒頭で「東アジア共同体」が虚焦点であると述べたが、同じように本書で表されている「われわれの共同体」「私たちの市民」「東アジア市民の共通的歴史観」「共に生きる東アジア市民社会」「われわれの関係」「創造的な未来」「東アジア世界を共に生きる一人の市民」「主体的市民意識」「市民的公共性」「地球市民社会の実現」「東アジア共同体市民の立場」「『私たちの世界』=新たな共同体」も、虚焦点なのではないだろうか。虚焦点とは「現実の経験的世界には対応しない理念であり、それに向かって進むことが許されるだけの」焦点のことなのだから。
本書においても、『「アジアにおける脱国民国家的「公共性の創造」という目標において、地域間格差は大きく、なお「アジア共同体市民意識」は未成熟の段階にある。」』(p74.)そしてだが、「アジア共同体を巡る議論も、これまでの国益追及を専らとした国家間ゲームや合従連衡を主軸とした国際政治経済のフレームにとらわれない、「次の段階」に向けた知的飛躍が求められていることだけは確かだろう」と述べられている。さらに『政府以外の様々な文化主体の関係が織りなす「民際化」へ、さらには部分的には国境や民族の相違をも止揚する地球市民間の連帯関係性へと移遷していく』という現実認識も付け加えている。
本書ではこの「次の段階」における問題として、「成長のアジア」論の下ではあまり問題視されてこなかった点に注目している。特に「地域の資源を活用した自力の開発能力」に関する問題を、21世紀のライフスタイルの再考を迫るイシューとして、注目してている。「疲弊衰退する(させられつつある)暮らしの現場=「ローカル」レベルでの自治権のあり方を再検討し、それをグローバルな地平から考え直し、同様の境遇下にある世界に人々と共に、いかに刷新、興隆させていくか」という課題である。
その一方で、根強く残る「国家の呪縛」から逃れることができない現実があることも指摘されている。そのため「グローバルな視点からローカルな現場を見つめ直す、あるいはその逆方向への知的な往復運動としてのグローカル志向こそは、前時代のこうした「呪縛」から自己を解放し、地域、国家、世界の位相を解消するうえでの「暮らしの叡知」に他ならない」と主張している。そして「暮らしの安全保障」「東アジア市民社会のレベルからのトランスナショナルな市民的権利と生活の保障にこそ、優先的な目標が置かれるべきもの」としている。この「次の段階」においても、「東アジア市民社会」という虚焦点が、再現されてはいないだろうか。
本書においてはこの虚焦点という理想に向かう手段として、反復的に繰り返えし述べられている言葉がある。「市民間の知的努力と協働のモーメント」、「叡知」の積み上げ、「叡知と実践が求められている」、「再認識」、「見直し」、「意識の覚醒」、「感覚の滋養」、「鈍感」、「無知と無関心」、「自らの意志と知の力」、「主体的」、「危機感」「相応の覚悟」、「健全な批判精神の滋養」、「地球市民意識の覚醒」、「暮らしの叡知」、「真摯な反省努力」、「知的怠慢」、「市民の叡知」、「意思」、「知性」、「姿勢」、「主体的な市民意識の覚醒」、「われわれ意識の覚醒」、「「知の公共空間」の創造努力」、「必要な叡知」、「知の運動」、「既成価値観の呪縛」、「意識」などである。これらの用語は、虚焦点に向かうために、『独善と偏見に基づく反知性主義と決別し、「知の力」をもって問題を共に克服する努力が、今ほど必要とされる時はない。』(p77)という文脈で使用されているのだ。「反知性主義」に対して「知」が強調されているというコンテクストである。だが、ここで「知」を強調することにおいて、ある意味、不可思議な「知性主義」に陥ってしまっている傾向はないだろうか。
そもそも、ここで決別すべき「反知性主義」とは何なのだろうか。これを英語のanti-intellctualismと解すると誤解を生むだろう。英語ではanti- intellctualismという言葉は1950年代までほとんど使用されていなかったようだ。英語ではホフスタッターが書いた書物(1963年)のタイトルで知られるようになったanti-intellectualism(反知性主義)は、文字通りだと、知性主義(intellectualism)に反対する主義思想だと解されてしまうが、内実は違っていて、権威主義批判・エリート主義批判であり、権力と結びついた知性に反発したのであり、知性主義そのものは批判対象ではなく、知性主義の立場は否定されていないのである。正確に言えば、anti-anti-intellectualismが、ホフスタッターのいうanti-intellectualismの内実なのである。権力・権威と結びついた知性ということが反知性主義だと解されて、その反知性主義に反対しているのだ。アメリカにおいてanti- intellectualismに基づく現象は、マッカーシズムや、アイゼンハワー大統領選挙であり、9.11当時多発テロ以降のキリスト教原理主義、そして現在のトランプ大統領選挙に現れているのである。
では、もともとの英語のintellectualismとは何なのか。英語では人間の精神(mind・mentality・spirit、ラテン語のment・spritus)は、「知性・理性(真)intelletus」「意志・意欲(善)voluntas」「感情・欲望(美)motus」と三つに分かれるとされている。そのうちどれを重視するかで、 intellectualism(主知主義)(知性主義)・ voluntarism(主意主義)(意志主義)・ emotionalism(主情主義)(感情主義)の立場として相対的に対置されている。この最初の主知主義が英語のintellectualismなのである。さらに繰り返すと、英語のanti-intellectualismは、intellectualism(知性主義)を否定している立場ではなく、権威主義やエリート主義(知識人や特権階級や肩書き主義)に反対する立場・思想なのである。
では、次に日本語の「反知性主義」について考えてみたい。これは「知性主義」に反対している立場・主義ではないのだろう。なぜならば、日本語では、英語と違って主意主義と主情主義に対置される主知主義としての「知性主義」intellectualismの立場・思想がないからである。日本語では知性主義の概念がないのである。日本語の反知性主義とは、反・知性主義というよりは、むしろ反知性・主義(「反・知性」主義)の意味に解するのが妥当であろう。「知性」に反対する主義・思想のことなのだ。だとすると、「反・知性」とは、どんな「知性」に反対しているのかが問題となる。「知性」全体、あらゆる「知性」に反対しているのだろうか。あるいはある種の「知性」に反対しているのだろうか。(英語の anti-intellectualismは、権威的・エリート的な「知性」に反対しているのであり、知性一般を否定しているのはなく、むしろ肯定しているのである。)
日本語の「反知性主義」があらゆる「知性」に反対している立場・思想であるならば、話は簡単だが、内実はそうでないようだ。英語のanti-intellectualismと同様に、ある種の「知性」には反対し、別種の「知性」は肯定しているようである。では、どんな「知性」(知識・知)を否定したり、肯定したりしているのだろうか。
日本語の「反知性」とは、一般的・歴史的に言えば、19世紀の「攘夷論」から続く、近代的西洋文化(ヨーロッパ文明)に端を発する知識・知性(欧化主義の知性)の否定であり、現代的には「人権」「民主」「平等」「法の支配」「普遍」「個人」などの概念を含む西洋学知に対する面従腹背的な否定であり、国粋的ナショナリストの知識・知性の容認・称揚・肯定というものがおおまかなところだろう。こうした「知性」観が一個人の思想家の主義主張として述べられるのであれば、問題はないが、これが一国家の国家政策の要として主張されるときには、問題の位相が異なってくる。
この「反・知性」主義の考え方が、伝播対象としているのが、ポピュリスト政治が焦点としてきた「the popular」(popul=people=一般大衆的庶民)である。このpopulが誰であるのかによって、これまでも世界史上において様々なポピュリズムが出現してきた。
現代日本において注目すべきpopulは(実は世界共通項だが)、世界経済の新自由主義的グローバリゼーションの結果として現象している「没落中産階級」的庶民であろう。日本の没落中産階級的庶民は、今現在、どんな「知性」的現状に陥っているのだろうか。
新自由主義的経済政策の下、経済格差が拡大し、非正規雇用の労働が常態化する中で、大学を含む教育の形骸化が進行し、メディアの公然のイデオロギー化(保守政治家主義、ナショナリズム、反教養主義、視聴率コマーシャリズムなど)が進み、インターネットによって「ニュース」を知る中で、おそらく日本の言説空間が二重化しているのではないだろうか。一方で、「知性」をめぐる議論の前に、日本語ができない、まともに使えない、「言葉」が分からない、単純な言葉しか理解できない、「レッテル」としてしか言葉を理解できない、言葉で考えることができない、論理的言語が使えない、言葉による考察ができない、ものごとの因果関係を言語化できない、考えることそのものができないという言説空間が、拡大・大量化しているのではないだろうか。この言説空間は、国民が、何であれ知性や知識を有することをよしとせずに、無知であることを奨励するような国家政策と無関係ではないだろう。
こうした中で、「反知性主義」に対抗するために「知」を強調する不可思議な「知性主義」を唱えても、上記のような言説空間に対抗するのは、非常に難しいのではないだろうか。唱えるべきは「知性主義」の称揚ではなく、まずは、精神(意識・心)の現実を構成する言語活動において「精神」と「言語」の関係を問い直してみるもう一つの言説空間(=言語生活実践)を模索していくことではないだろうか。