1.「ケア」の概念分析
「心のケア」「スキンケア」「高齢者ケア」「ターミナルケア」など、「ケア」という言葉が、日々よく聞かれます。ケアは、英語のcareのカタカナ表記で、その意味は「介護」「世話」「手入れ」などと説明されています。また英和辞典を引けば、careのもともとの意味は「悲しみ」であり、「気にかけること」(配慮)が本義であるとの説明も載っています。私がよく引く「新明解国語辞典」(三省堂)では、ケア=「そのまま放っておくことが出来ないものに対する手当。[狭義では、老齢者・身障者・病人などに対する世話・介護・看護を指す。]」と説明されています。結果として、多くの場合に、ケア=介護と理解されていると思われます。
ではケアの意味として理解されている「介護」とは、そもそも何でしょうか。先の辞典でも、介護=「衰弱し切った病人・けが人や重度の身障者、また寝たきり老人などに常時付き切りで、その生活全般の面倒を見ること。」と説明されています。「介護」という言葉は、もともとは明治期に軍人の恩給の給付基準としての用語でしたが、1970年代後半ごろから障害者の「公的介護」という文脈で流布するようになったようです。「障害者は、親が面倒を見るのが当たり前」とか「両親は長男が面倒をみるもの」という考えが一般的であった時代から、「社会全体で面倒を見る」という価値観が芽生え始めた頃で、「介助」的「看護」・「介抱」的「看護」という意味で「介護」という用法が広まったようです。その延長線上に、ケア=看護という意味も用いられているのだと思われます。
日本語のケアの原語である英語のcareには、実のところ、英和辞典の訳語としてもあまり掲載されていない、もう一つの意味があります。ターミナルケアに関わることですが、care=treatment(治療、療法、医療)という意味です。例えば、medical care(医療)、
palliative care(緩和治療=緩和ケア)、supportive care=therapy(支持療法),health care(保健医療)などのように使われています。英語でもcare(ケア)=介護=介助=世話とcure(キュア)=治療は、医療用語としては異なるという議論はあります。ターミナルケアの「ケア」とは、ある種の医療行為ですが、症状を緩和したり、悪くならないようにしたりする消極的医療行為のことを指しています。積極的医療行為としてのcure=治療ではないとされるのです。しかしcare=治療・医療という意味は否定されていないのです。
日本語の「ケア」からは、この治療・療法・医療という意味が消えてしまっています。
また日本語では「介護」」と「看護」=nursingを区別する傾向があります。看護は看護師の仕事で、介護は介護福祉士の仕事とされていますが、はたして両者の仕事内容に差異はあるのでしょうか。日本語のケア=介護の場合に、既存の専門領域から排除する形で理解しようとする傾向が強いようです。
日本語の世界では、ケア=介護を医療の専門領域の行為とすることを認めないようにすることによって、何をしようとしているのでしょうか?「介護」は、医療の専門領域の行為としないことには、両義的な意味がありますが、旧態依然の「家族」の行為として「介護」を理解させることには、ある種の「政治」的な意図があることは事実でしょう。参考書:三井さよ『ケアの社会学』、上野千鶴子『ケアの社会学』、広井良典『ケアを問いなおす』、「シリーズケアをひらく」(医学書院)、「講座ケア」(ミネルヴァ書房)。
2.「ケアレス」社会の中の今どきの若者(大学生)の就職事情について
1.で述べたように、ケア=careにはいろいろな意味がありますが、英語のcareには、その系列の形容詞がいくつかあります。carefreeやcarefulやcarelessなどです。「ケア」社会の代わりに、それぞれの形容詞を付けた社会は、心配=苦労のない社会(逆はcareworn=心配/苦労でやつれた社会)、注意深い=入念な社会、不注意な=軽率な社会となります。現代の日本社会は、ケアレスの社会=ケアの無い社会=無頓着な社会あるいは配慮の無い社会あるいは苦労の無い社会なのでしょうか。
現代日本の若者(大学生)にとって、現代社会は、若者を気にかけない=無視した(careless)社会だと思っています。どうでしょうか。逆ではないかお思いではないでしょうか。つまり若者が社会を気にかけないのではないか、とお思いではないでしょうか。さてどちらでしょうか。
年の終わりに近づく頃になると、厚生労働省と文部科学省は、毎年、来年春の卒業予定の大学生の就職内定率を発表します。10月1日時点で、68.4%でした。内定率とは、学生の就職希望者に占める内定取得者の割合のことです。この数字は、昨年同期比で4.1%上昇しており、4年連続の改善で、6年前のリーマンショック前の69.9%に近い高水準であり、企業の業績回復や人手不足を背景に、企業の採用意欲が高まっていると解説されています。この数字は、12月、来年2月そして4月と発表され、おそらくそれぞれ8割弱、8割強、9割以上だと発表されることでしょう。就職希望者を分母とした数字です。
また、これとは別に、文部科学省は、5月1日現在の数字に基づいて「学校基本調査」の調査結果を発表しています。それによりますと、2014年の大学卒業者に占める就職者の割合は、4年連続上昇で、69.8%だったそうです。これが就職率です。この場合に、分母は卒業生数(全員)=56万5千ぐらいです。したがって上記の9割以上と2割以上の差があることになります。さらに詳しく見てみると、69.8%の就職率には非正規雇用も含まれており、例年非正規雇用の就職率は4%ぐらいですので、正規雇用の就職率は、66%(約2/3)なのです。
残りの1/3の卒業後の進路は、どうなっているのでしょうか。その中で一番多いのは、大学院などの進学で、約12%ぐらいいます。その他に、ほぼ同じ率で「進学も就職もしていない者」が12%いました。「一時的な仕事に就いた者」が3%で、「その他」が3%です。つまり正規雇用でも進学でもない卒業生(「安定的な雇用に就いていない者」)が、約19%(非正規4%+12%+一時3%)いることになります。卒業生56万の約2割つまり11万人は、安定的な就職ができなかったことになるのです。大学新卒者のうち、11万人以上が、毎年毎年、安定的な就職組ではない状態になっているのです。
現代18歳人口は120万人ぐらいで、大学進学率は50%です。60万人の大学進学者のうち卒業時には約10万人がまともな就職のできない新卒者になっている現状を、どう思われますか。大学進学者に、社会はこの事実を教えていません。文系の大学生の半分以上の者は、「大学は勉強する所ではなく、好きなことや遊びをする所」という20年以上前の大学観を持ったまま、大学生活を送っています。私は、日本社会は、大学生に配慮のない(careless)社会になってしまっていると思いますが、皆さんはどう思いでしょうか。
ミクシテ19号原稿(2015/2/8)