予告編
2017年東京国際映画祭コンペティション部門出品
妙なる静けさが心にしみわたる――自然と人の神秘なる交感の物語
ジョージアの山深い村に、人々の心身を癒す聖なる泉があった。その泉を代々守ってきた家族の父は老い、三人の息子は生きる道が異なった。一家の使命を継ぐ運命におかれた娘ナメは思い悩み、普通の人のように自由に生きることに憧れる。そんなある日、父とナメは泉の変化に気づく‥‥。霧に包まれた森と湖、美しく幽玄な自然を映した詩的映像、その清冽で限りなく静謐な世界。そこに描かれる太古から語り継がれた物語
ジョージアの神秘的な山村を舞台に、癒やしの泉を守る家族が織り成すドラマを繊細な映像美で描いた作品。ジョージアの山岳地帯で、村に古くから伝わる癒やしの泉を守る一家。息子たちはそれぞれ独立し、年老いた父は末娘ナーメに跡を継がせることに。ところが、ある日泉に異変が起こりはじめ……。監督は、これが長編4作目となるザザ・ハルバシ。2017年・第30回東京国際映画祭コンペティション部門出品(映画祭上映時タイトル「泉の少女ナーメ」)。
公式サイト:http://namme-film.com
https://en.wikipedia.org/wiki/Namme
http://2017.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=21
『聖なる泉の少女』はジョージアのアチャラ地域に昔から口承で伝わってきた物語に基づいた作品である。
「むかしむかし、泉の水で人々の傷を癒していた娘がいました。いつしか彼女は他の人々のように暮らしたいと願い、自らの力を厭うようになりました。そしてある日…」
霧に包まれた森と湖、美しく幽玄な自然を映した詩的映像、清冽で限りなく静謐な世界に映し出される太古から語り継がれた物語―本作は、古代の信仰の世界を通して、人と風土の内面的な絆の深さ、そこから生まれる神話的世界を描く。自然と人との霊的な交感を描き、心の世界を置き去りにした今日の物質文明に異議を投げかける。
『聖なる泉の少女』は、ジョージアの南西部、トルコとの国境を接するアチャラ地方の山深い村が舞台である。村には人々の心身の傷を癒してきた聖なる泉があり、先祖代々、泉を守り、水による治療を司ってきた家族がいた。儀礼を行う父親は老い、三人の息子はそれぞれ、キリスト教の一派であるジョージア正教の神父、イスラム教の聖職者、そして、無神論の科学者に、と生きる道が異なっていた。そして父親は一家の使命を娘のツィナメ(愛称ナーメ)に継がせようとしていた。その宿命に思い悩むナメ。彼女は村を訪れた青年に淡い恋心を抱き、他の娘のように自由に生きることに憧れる。一方で川の上流に水力発電所が建設され、少しずつ、山の水に影響を及ぼしていた。そして父とナメは泉の変化に気づくのだった…。
STORY
妙なる静けさが心にしみわたる、自然と人の神秘なる交感
ジョージア(グルジア)の南西部、トルコと国境を接するアチャラ地方の山深い小さな村が舞台である。村には人々の心身の傷を癒してきた聖なる泉があり、先祖代々、泉を守り、水による治療を司ってきた家族がいた。儀礼を行う父親は老い、三人の息子はジョージア正教(キリスト教)の神父、イスラム教の聖職者、無神論の科学の教師になり、生きる道が異なった。そして父親は一家の使命を、娘のツィスナメ(ナメ)に継がせようとしていた。その宿命に思い悩むナメ。彼女は村を訪れた青年に淡い恋心を抱き、他の娘のように自由に生きることを憧れる。一方で川の上流に水力発電所が建設され、少しずつ山の水に影響を及ぼしていた。そして父とナメは泉の変化に気づく…。
霧に包まれた森と湖に描かれる、太古から語り継がれた物語
「聖なる泉の少女」は、この地方で昔から口承で伝わってきた物語を元にしている。
むかしむかし、泉の水で人々の傷を癒していた娘がいました。いつしか彼女は他の人々のように暮らしたいと願い、自らの力を厭うようになりました。そして、ある日、力の源だった泉の魚を解き放って、他の人々と同じ生活に帰っていきました。
霧に包まれた森と湖、美しく幽玄な自然を映した詩的映像、清冽で限りなく静謐な世界に映し出される太古から語り継がれた物語。本作は、古代の信仰の世界をとおして、人と風土の内面的な絆の深さ、そこから生まれた神話的世界を描く。そして泉の水による傷の治療、息を吹きかけて松明を灯す儀式など、自然と人の霊的な交感を描き、心の世界を置き去りにした今日の物質文明に対し異議を投げかけている。
ジョージア(グルジア)について
ジョージア(グルジア)は3000年の歴史をもつといわれ、東西交易の要所だったため、他国の侵略を絶え間なく受けてきた。現代のジョージアの主な宗教はジョージア正教(キリスト教)。本作の舞台は黒海に面した西部のアチャラ地方である。西ジョージアはかつてコルキスと呼ばれ、紀元前5世紀にギリシア、その後もローマ帝国など、数々の国の影響を受けてきた。9世紀にジョージア王国に組み込まれるが、侵略は続き、特に16世紀以降のオスマン帝国との抗争により、この地にはイスラム教徒のジョージア人が多い。
監督/脚本:ザザ・ハルバシ(ハルヴァシ) Zaza Khalvashi
映画監督、脚本家。1957年ジョージア・バツミ生まれ。82年、トビリシの演劇学校で映画演出を学ぶ。現在、バツミ芸術教育大学にて教鞭を執っている。本作は“There, Where I Live”(90)“Miserere”(96)“Solomon”(15)に続く4作目の長編監督作である。
岩波ホール:11:00-12:35 (91分)
https://www.iwanami-hall.com/movie/聖なる泉の少女
コメント
世界は傷つき、汚れ、疲れきっている。世界を治療するにはどうすればよいのか。このフィルムはイエスが預言者である前に民間の治療医であり、魚を漁すなどる者たちが最初の使徒であったことを、わたしに思い出させる。
四方田犬彦(映画・比較文学研究)
東京国際映画祭公式インタビュー 2017年11月1日
コンペティション部門『泉の少女ナーメ』
ザザ・ハルヴァシ(監督・脚本)、マリスカ・ディアサミゼ(女優)、スルハン・トゥルマニゼ(プロデューサー)
異なる文化と宗教を持った人々を見つめながら、“神話”を思い描いた
古来から伝わる癒しの泉の番人をしている一家。男兄弟は独立し、それぞれ違う信仰をもちながらも仲良くしているが、泉の効用を信じていない。年老いた父は末娘のナーメに番人を継がせようとするが、ある日、泉が涸れてきて…。霧深い山々、人里離れた湖、闇夜を行く松明など幽玄な映像が展開されるが、これらは黒海沿岸に伝わる神話をもとにして、監督自身が見た夢の要素を取り入れた結果なのだという。冒頭に引用される聖書の一節「神の霊は水面を歩いていく」がいみじくもすべてを物語っているようだ。
──コルヘティに伝わる神話にインスパイアされ、アジャラでロケされた作品ですね。黒海沿岸のこの一帯はギリシャ神話にも登場し、のちにキリスト教が根付いたあと、オスマントルコ帝国が侵攻して、現在はキリスト教徒とイスラム教徒が共存しているという土地柄です。
ザザ・ハルバシ監督(以下、ハルバシ監督):南ジョージアのアジャラ地方は、まさにそのような多層的な文化が集積した土地です。私の出身地方なのですが、ここでは多様な文化と宗派の人々が共存しています。同じ家庭に生まれながら、兄弟で違う文化的素養を身につけ違う宗教を信じることが普通にあり、互いの信仰を排斥することなく調和しながら生きています。映画ではそうした特色を見つめながら、それぞれの宗教やギリシャ神話の起源にあるような神話を思い描いてみました。あのコルキス王国(ギリシャ神話に登場。現コルへティ)よりも古くにあったであろう神話を。
──火や水、伝承歌など、文明の始まりにあったような素材で、主だったディテールは構成されています。
ハルバシ監督:それらは私の夢に登場してきたものです。黒澤明監督の『夢』を観て以来、私はいつか夢の要素を映像化したいと思っていました。私の作品は、典型的な劇的構造に基づいたものではありません。アリストテレスの「詩学」にあるような、導入があり展開があり紛争があり、解決があるというような、直線的な形式をもっておりません。自分が見た夢を素材にして伝えたかったのです。
──物語は代々家族が守ってきた泉をめぐって展開されます。兄弟のかわりに父親に尽くしていたナーメがやがて恋に落ち、泉が徐々に涸れていく…。
ハルバシ監督:古くから伝わる神話は、ある女性が魔力を持ちながらも、自分ではその能力を疎ましく思っているというものです。彼女は普通の人間になって恋をして暮らしたかった。そしてある日、本当に恋をしたらその魔力を失ってしまいます。ずっと口承で伝わってきた話で、私も祖母から聞きました。祖母は106歳で往生したのですが、たいへん印象に残っていてこれが本作のベースになっています。
まわりの風景に溶け込めば、映画の世界に入ることは容易だった
──でもナーメには現代性が付与されていますよね?
ハルバシ監督:ふだんは敬虔な信者のようにヴェールを巻いてますが、外出して父親が見ていないことを確認すると、ヴェールを解いておしゃれに肩にかけ直します。無表情な役のぶん、小さな動きでコントラストを付けて感情を表現しました。
──マリスカさんは演じてみていかがでしたか? 日常生活からかけ離れた世界で演じにくさはなかったでしょうか?
マリスカ・ディアサミゼ:私は首都のトビリシに住んでいて、そこから別世界に連れて行かれました。山に垂れ込める霧を見て、ほんとうに絵画のようだと感銘を受けました。風景に溶け込みさえすれば映画の世界に入ることは簡単でした。見たこともない山奥に連れて行かれて、天と地ほどの変化を経験したことで、ふだんの性格からは離れたキャラクターにもたやすく入り込めました。
ハルバシ監督:いつものマリスカは陽気で、踊りや歌も上手な愉快な人間です。しかしアジャラでの撮影中は宿の部屋に誰も入れず、人との会話を絶って、ずっとひとりきりの世界を作っていました。その部屋に入ることが許されたのは私だけでした。部屋には本があり絵が飾ってあり、まさしく自分の世界を生きているふうでした。彼女は撮影中スタッフから指示があってもほとんど会話せず、ただやるべきことをこなしていました。「ああ、役に憑りつかれているんだ」とわかってからは、あまり指示をすることもなくなりました。そんな彼女だからこそ“神の霊”のようになれたのですよ(笑)。
――プロデューサーさんにお伺いします。屋外ロケが多く、天気待ちなどで時間のかかる撮影だったと思いますが、進行や予算の管理は大変ではなかったですか?
スルハン・トゥルマニゼ:撮影にかかった時間よりも、その後の編集作業のほうに時間がかかりました。時折、クルーがノーギャラで作業してくれたこともありました。危機的な状況のなかでも、みんな心を込めて映画に貢献してくれました。そうした意味では運にめぐまれた作品です。
(取材・構成 赤塚成人 四月社)
神話の世界は、やはり男の世界。